2007.1.29付八木孝三様宛村尾建吉氏の書簡について
*1月31日に届いた八木氏宛書簡の写しは、1月4日付の永里の問い合わせに直接応答されたものではないけれども、私(たち)を一枚岩と捉えた上で発送されたものと解しています。その上で過渡的に若干の感想~意見を記しておきます。
*お手紙の全体的トーンは「松下の表現過程から切断されているという事実の前で、きみらと自分は対等なのだ。その上で自覚的かつ責任的に何ができるかという現れの違いに過ぎないではないか」と読めましたが、違っているでしょうか?
*死による表現過程切断の<絶望>を強調的に語る人は「松下の表現に関しては何もできない」となるのですが、村尾氏の場合は「自分の責任で松下の表現を扱える」となるところがスゴイと言えばスゴイと思いました。
*既に出現している本は私個人に限って言えば、購入条件なしといえども自分がたどっている<現在>への~なにものか~からの批判でもあると受け取っています。その上で本の出現過程が或る重大な拘束性を生み出している可能性を感じ、あえて質問を送ったのです。
*「ネット販売」は、松下の死後何度か報告をお送りしたように、既刊パンフの増刷~発送だけでも継続しようとする当初からの作業に連続するものです。ネットで松下パンフの所在を示し内容を少しずつ公開しながら、入手希望者には、カンパの目安として生前実験的に付けられた価格でコピーして<販売>するという方法です。アナログ人間にはネットを扱うのは未だほとんど不可能なので、もっぱら八木さんの主体的作業にかかっています。この方法自体に過剰な思い入れがあるわけではありません。「松下さんのオリジナルをできるだけ壊すことなく、今ここで何かできることはないか」という思いの集合をこういう形で実行しているに過ぎないのです。
*その意味で「どんなに非力でも松下の表現過程が今もささやきかける要請に対応したい」という遺族的位相を含む模索の共同性が存在するのであって、「継承者」を自負する固定的共同性が存在するわけではありません。
*想像で恐縮ですが、おそらくご自分の表現に関して「死後~考える会等の作業の持続を願い、表現を含む<遺品>への対応について遺族や関係者への指針を示すことなど仮にも自分にはありえない、死ねば死にきり、どう扱われようが知ったことではない」と思っておられるから、松下の表現についても独自の割り切り方が可能なのでしょう。
*しかし、「死によって村尾の~著作活動は宙吊り、誰もその偉大な活動を継承できない。本質的著作権は情況そのものに在るのだから、遺族も他の動きも関係ない。各個の責任で<全>表現を本に収録し書店等で販売することも自由なのだ」と、任意の人物が<絶望>を根拠にいきなり自分流の出版に踏み切った時、商品価値があるかどうかに関わらず、ご家族やその周辺にいる人たちは「本質的だ」とこれを受け止め支持できるでしょうか、ご本人たちのご意見を直接お聞きしたいものだと思います。
*個人に<著作権>があるかないか、法定相続人が継承するかどうか以前に、過酷な闘争過程で生活を共にして、今もかろうじて生きておられる存在位相の<共闘>者たちの情念~を包括~配慮しない<死者>の表現の扱いは、どんな内容の思い込みに基づくものであれ権力的と言わざるをえないのではないでしょうか?
*出版経費の回収が結果的に不可能でも、一旦商品価値の問われる領域に他者の表現を引き寄せる限り、<著作権>は資本制的権利の位相を明確に帯びます。この時民法上の関係も踏まえた上で対応するのは制度への屈服ではなく、最低限の思想的<礼節>だと考えるのです。ご自分の退職後が現行制度によっても支えられている現実を直視すれば資本主義的法制を一面的に唾棄もできないでしょう。
*松下の<遺書>は複数存在します。村尾氏が書簡で部分引用しているのは、「死の<瞬間>」に関したもので、90年6月~に記された山本聖氏を連絡先としたものがありましたが、同氏の関係的<離脱>を経て92年の誕生日の日付で再構成され、同年6月に入院中の松下から緊急に面会要請があってかけつけた高尾和宜氏が病院で直接託されたものです。その後松下本人から2箇所に、高尾氏からコピーが1箇所に届けられ、96年5月、遺体の周辺に集まりえた人たちに高尾氏の判断で公表し、八木さんのコピーや友田清司氏のメモを経てマスコミ等にまで伝わったものです。
遺族への<遺書>や関係者への書面等による直接間接の<遺志>表明を総体的に把握する姿勢の必要を感じられないまま、部分的<遺書>を自分にとって「励まし」と引き寄せてみても今回の<動機>にとって本質的意味を持たないのではないかと思います。<遺書>は他者の表現を扱う場合潜るべき関係性の比喩でもあります。
*松下は<著作権>を視野に置かなかったのではありません。むしろ「匿名性に貫かれた」ビラ一枚~の<著作権>も活かそうとしたと言うべきでしょう。言い回しの問題ではなく、可能な限り表現主体ないしその関係者との連絡を試みておられたのも事実です。
生じうる法的<著作権>を巡る自主ゼミ性も視野に入れて、連絡不可能性に引き裂かれている表現主体相互の関係の転倒と、表現の交換契機として<無断>引用や転載も応用したのです。< >焼き業とも情況的清掃業とも自分の仕事を呼び、散乱~集積している自他の表現の破片群を清掃~< >焼きしながら、その生命性を取り出す情念を貫きました。<著作権>は或る表現が浮上してくる回路の不可避な下向性を指示します。全く考慮の外に置いて、他者の表現を情況に対応させようとする発想は彼にとってありえないことです。自らもそんな扱われ方を拒否するにちがいありません。
*本という形式に慣らされた資本主義下の現代人はコピーにコピーを重ねていくようなパンフの形にまどろこしさや扱いにくさを感じやすいのですが、松下が金銭面の理由からのみでなく、あえてこういう形を選んでいる意味を何度でも考えるべきではないでしょうか。読みにくいとか、コピー状態が悪いとかいう問題をマイナスとして軽く見ないほうが良いと私は思います。~考える会メンバーの写経的読み方については強い共感も覚えましたが、ただ、その作業が本に変換されていくプロセスには、私(たち)が自分のこととして自覚している<宗教性>とも異質な<宗教的>飛び越しが感じられます。
以上をとりあえず…。 2007.2.16 永里繁行