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村尾版松下表現集刊行の可否 2007年 RSSフィード
 

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1noharranoharra   村尾版松下表現集刊行の可否 2007年

返信2007/11/24 12:35:18

2noharranoharra   2007.01.04〜

2007.01.04〜

後記 (その1)

 後記 とタイトルされ、226から259まで 頁の打たれた17枚の印刷物(校正に使用されたもの)が送付されてきたのは夏の*1ことだった。遅れたが、ここに全文公開していく。野原、永里と村尾氏の間の往復書簡を村尾氏が編集したもの(すべて全文を掲載しているようだ)。


           後  記


※ 第一巻の刊行後次のような批判か寄せられ、それに対

する反論を返すというやりとりか続いたので、そのままここ

に掲載しておく。ただし、原文は横書きであったが、収録の

都合で縦書きに変更したことを付記しておく。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

村尾建吉さま

前略。失礼します。野原燐 と申します。

このたび出版された『存在と言語』という本について次の通

り根本的疑問を抱きましたので通信します。下記疑問点に

2週間以内にご回答いただくようよろしくお願いします。ま

た『存在と言語』という本の存在根拠に関わる問題なので、

わたしたちとの話し合いかつくまでこの本の配布を宙吊りに

されるよう要請します。


         ☆1☆

以下

http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13/6 ☆1☆および☆2☆

http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13/7 ☆3☆および☆4☆

http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13/8 ☆5☆および結論

結論部分を再掲しておく。

表現集〈 〉版を含む、パンフレット群は松下昇の表現とみなされるとしてもそれに留まらず、「何かへ向かって深化ないし飛翔し、既成のイメージないし形式からはみ出していく過程にある」パンフ群として定義されている。したがって「この動きに参加し、応用する」刊行委員会という不定型な組織とその公開性こそは、むしろ著作権を主張する。〈松下〉の自由を他者が簒奪することと闘う為には。

松下の表現が目指した自由を、制限してしまうことにしか、今回の刊行行為はなっていないと考える。そうでないというのなら、どのような自由を展望していると言うのか?

したがってわたしたちは次のように考える。

1.公開。

2.参加者の自由な討論ですべてを決定する。

3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

上記の<自主ゼミ実行委員会>の原則を持った討論の場が、現実の場に設定されるべきである。*1

その場で、上の野原の五つの問いかけを含む批判疑問を討議することができる。公開の討論を経るまではこの本の配布は宙吊りにすべきである。公開に極限的に開かれていることを抜きに〈松下〉の表現は成立できないのだから。

  *1:ネット上にも

太線の後、永里氏第一信。

http://from1969.g.hatena.ne.jp/eili252/20070109

波線

以上が野原と永里からの第一信。村尾氏のページレイアウトでは、p226-231と6頁を占める(但し最終頁は上の段半ばまで)。

これはすでに配本されているらしい『存在と言語』第2巻の後書きなのだろう。本の後書きとしては未知の読者に対しはなはだ不親切なものである。未知の読者はこれは一体どんな本だろうと著者の生の声を求めて後書きを読もうとするのだが、そこに村尾の声はなく、4頁以上野原の文章がそのまま載っている。活字の権力作用を考えるときに、わたしたちは北川透が編集していた雑誌(あんかるわ29号以下)に村尾氏の通信が転載された例をまず考える。当時の村尾表現の転載をめぐって北川−村尾間にどのような出会いと分かれがあったのか。そのときなんらかの<活字の権力>批判を村尾は抱いたはずではないのか。だとすると今回、野原 そして死者である松下からの<活字の権力>批判は、当然あらかじめ村尾に予想されていたはずのものである。

とにかく6頁めの半ばでやっと村尾氏の文章が登場する。

後記 その2 p231〜

 今年の一月に入って 以上の手紙が連続して村尾建吉宛て

届いた。八木氏の手紙には日付が記されていないが先に届

いた順にここに転載している。これらの手紙を転載するのは、

『存在と言語』第一巻で見通していた「予測しがたい困難」

の最大のIつとして今後の刊行に決定的な影響を及ぼして

いると考えられるからである。この「困難」への取り組みも

刊行理由をかたちづくっているとみなして村尾は作業協同

者に以下の「基本的な態度」をもって呼びかけ、話し合った。

 Hさん*2からの手紙に即して 村尾の基本的な態度を以下

に記します。


1.どのような提起も自分たちの曖昧さを照射していると

 受けとめるべきてあり問題を成長〜深化させる方向で歓

 迎する必要があること。


2.疑問を発する場合相手にそれを投げつけるだけでなく

 同時に、必ずそれに対する自分の答えも用意する必要があ

 り相手の返事と自分か用意している答えとの『ズレ』を

 明らかにし追求する必要があること。

  相手の返事を聞こうとするだけの態度は怠惰であること。


3「私たちは十分に討議してこなかった」という反省かよく

 なされ誰もが頷くが、そうではなくさまざまな問いが噴

 出してこないような作業のあり方そのものを転倒する必要が

 あること。事前の討議ではなく作業過程を歩む中でこそ

 多くの問いに出会わなければならないのてはないか。


4野原さんの提起に対する村尾の返信を軸に集まることは

 村尾がかたちづくる文脈の中での討論に終始するので一

 度その文脈を解体する必要があり、そこで対等に話し合う

 必要があるのではないか。したがって返信はその場で作

 成するつもりです。

  その対等の条件についても各自考えて下さい。

5.「なぜ ワープロ打ちだけの作業になっているのてはない

 か」という自問がしばしば起こってくるにもかかわらず、

 自問が繰り返されるだけでその自問がどこにも着地せず

 成長し深まっていかないのかについて根底から考えて

 みて下さい。


6.村尾の提起があるから、誰かの要請があるから動こう

 とする発想〜存在様式を打破する必要があるのてはないか

 一人でも引き受ける覚悟に向かって 足を踏み出そうとし

 ているか。


7.作業の宙吊り要請を、あなたはどの水準で受けとめ作

 業を持続させようとしているか、あるいは作業の宙吊り

 を媒介する問題群へと赴くのか。


8.以上の問いに出会わないところでの作業の繰り返しは一

 般事務の次元にあり、その枠組みを突破しない限り我々

 はどこにも行けないという感覚を引きすることがてきない

 のは、どうしてか。

                  2007年1月19日記

                       村尾建吉

次の手紙との間には今まであった波線などがない。村尾の文章としての連続性からか。

八木孝三様


 お手紙に関して、まず今回の『存在と言語』第1巻発行の

契機〜経過について説明します。

 村尾の定年退職が近づくにつれ職場を基盤にしてきた読

書クラブの存続が問われてきました。終焉するのか、存続す

るのか。存続するのであれば職場を超える関係性をどう構

築していくのか。クラブ通信が職場の範囲を大きく超えるテ

ーマを取り扱ってきているものの、クラブ自体の取り組みは

職場の関係性を逸脱する度合いが少なく、クラブを存続させ

るのであれば、我々が職場を超える領域に踏みだしていくこ

とが迫られていました。

 しかしながら、終焉にしても、存続にしても、読書クラブ

は〜考える会として80年代の数年間、松下さん〜の表現過

程と交差しようとしてきた試みについての総括〜対象化作業

への取り組みもまた、ずっと問われていました。〜考える会

は主に村尾、上野、佐伯が中心になって活動してきましたが

現在のクラブには〜考える会のかつての試みを全く知らない

メンバーもおり、〜考える会の活動を振り返るためには、村

尾が関わってきた69年以降の松下さんの表現過程について

当然ながら把握する必要がありました。

 表現過程が情況の創出と不可分であることを考えるなら、

言葉で説明できる次元にはないことを踏まえて、まずは松下

さんの文章に接することから始めようということになりまし

た。いうまでもなく彼の文章に目を通したからといって、彼

の展開してきた表現過程がわかるということなど到底考えら

れませんが、彼の文章が視覚的に読むことすら困難であり、

また表現過程のわからなさに踏み込むためにも、我々は彼の

文章の前に〈初めて〉立つつもりて臨みました。松下さんの

〈死〉によって表現過程が宙吊られてしまっている現在、誰

にとってもそのような心構えは不可欠だと思っています。し


かも我々は ますます無思考が猛威を振るっている社会の空

洞化の中に置かれています。

 眼球を動かすだけでは、思考を通常に働かせるだけでは、

松下さんの文章群でさえも読み通せないという困難さの前で、

なにかに伸し掛かられて、あるいはどうしても読まざるをえ

なくなる関係性をつくりだすなかで読むということについて

考えなければなりませんでした。彼の文章に関心を持つ者で

もそれを持続させることは困難であるだけでなく、またパン

フ群の大半のコピー状態が不良により視覚的にも読みづらく

その上問題群も重層〜捩れを極めているために、いかに文章

の中に踏み入っていくかに、最大の関心を集中しました。そ

こで彼の文章を写経のようにしてワープロで打ち込むという

作業の中で否応なしに読み、その作業を自分たち以外の多く

の人々の目にも触れる方向で押し進めようという企画に結び

つけて作業の励みにし、持続させようと、してきたのてす。

『存在と言語』はそのような経緯で刊行されたのですが、そ

の作業の中でたえず問われつづけたのは、村尾もまた、他の

メンバーと同様に「新たな読者」として出現することができ

るか、という課題であり、覚悟でした。その覚悟なしにはこ

んな大変な作業を引き受けることなど、とても不可能だった

でしょう。掛け値なしに言いますが、クラブは大変な課題を

負ってしまったのです。しかし、メンバーの中には、作業に

関わらなければ松下さんのことも知らないままたったし、彼

の文章に接することもなかったことを考えると、大変よかっ

た、という感想も出されています。やれるところまでやるし

かないという気持で我々は取り組んできたのです。

 次に、多くの人々の目に触れる機会を求めて、書店に置か

れることの問題に触れます。『存在と言語』所収の「なぜ、い

ま本書を刊行するのか」にも書いていますが、書店に置くこ

とが松下さんの展開してきた表現過程と相容れないことは明

白です。表現過程の発想からすれば、ありえないことは十分

承知しています。ならば、なぜ書店に置いたのか。こう問う

前に、あなたの手紙で知ったことてすがあなたたちがネッ

トを通じて松下さんの文章群に触れる機会を提供しているこ

とを知っていたなら、我々の作業のありかたも変わっていた

かもしれません。村尾たちはそのことを全く知らないまま、

松下さんの文章群をこのまま埋もれた状態に放置してはなら

ない、と真剣に恩い悩んていたのです。

 HPでも刊行を知らせていますが村尾たちが足を運べる

範囲内の書店に置くことによっても見知らぬ読者に知らせよ

うとしたのです。既成の出版、販売ルートに乗っかっている

ことは間違いありませんが、その乗っかりかたを最小限にと

どめる工夫も行っております。あくまでも直接購読性が基本

であり、それが軌道に乗れば、書店販売は縮小し、やめてい

くことを考えています。書店販売は、松下さんが亡くなった

時点で表現過程はもはや展開されえなくなった、宙吊られて

しまった、という村尾の判断に即しています。彼が展開して

きた表現過程を持続させることはもはや誰にもできません、

我々の誰かが同水準、あるいはそれ以上の闘争を、情況をつ

くりだしえない以上は不可能なことだと考えます。

頁の切れ目で中断を入れたが、文の途中になったので2行は次の部分に回す。

*1:5/22の の誤り。12/27記

*2:野原の判断でイニシャルに変更

返信2007/12/27 10:10:31

3: このエントリーは削除されました

このエントリーは削除されました

返信2007/11/24 12:46:07

4noharranoharra   2  Re:2007.01.04〜

続き p234-235

 あなたがたが〜刊行委員会や〈自主ゼミ実行委員会〉を名

乗っているということは、松下さんの表現過程や、やろうと

してきたことを自分たちか引き継いている、そうしなければ

ならないとと思っているからだと見受けられます。村尾はそ

んなことは不可能だと考えます。だいいちネットを通じたお

知らせ〜販売自体も、書店販売と同様に表現過程的にはあり

えないことでしょう。あなたがたも村尾も松下さんの表現過

程から切断された場所に一様に蹲っているのであり、村尾

そのことに自覚的であろうと思っています。残念なことかも

しれませんが、誰も松下さんの共闘者の位置をつくりだせな

かったことからすれば、それは当然なことなのです。

 村尾はそう考えていますから、自分の全く知らない松下さ

んの文章群とこれからも向き合っていくつもりてす。松下神

話に覆われた松下さんではなく、神話を解体する中で見えて

くる松下さんに新しく出会いたいというのが、村尾の切なる

願望です。したがって、著作権などという資本主義的な考え

村尾にも クラブにも当然ありません。著作権などという

発想は松下さんの中にもないでしょうが、あえていえば、そ

れは我々の誰にもなく、松下さんにすらなく、松下さんの創

出した情況にしかないのではないですか。

 たとえあなたがたのネット販売が表現過程から遠いとして

も、松下さんのパンフレット群が一般読者と出会う通路を設

けている点で、村尾は一つの試みとしてけっして否定はしま

せん。もう少し読みやすくするように、編集や加工を施した

りすることかあってもいい、と思っているくらいてす。一度

も共闘者であることができなかった我々にはそうする以外に

術はなく書店販売もそのIつだと考えています。

 ネット販売は書店販売とは異なる、とあなたがたは反論す

るかもしれません。書店販売は単に商品として売るだけのこ

とたが、ネット販売は購読者とのネットを通じたやりとりが

可能であり、購読者が特定できることによって集会等への呼

びかけも可能であるから、読者への「開かれた通路」になっ

ているということかもしれません。ネットヘの過剰な期待は

村尾には疑問です。いまは、本当にそうでしょうか、という

ほかありません。ネット販売はネット通信販売にすぎないよ

うにもみえます。あなたが書店販売に異議を唱えなから『存

在と言語』を直接村尾からてはなく、書店で購入したという

ことに疑問が起こってきます。

 村尾は松下さんの後継者でもないし、遺言執行人でもあり

ません。パンフレット群の今後も託されているわけでもなく

その管理人でもありません。表現の階級〜私有性と全力て闘

ってきた松下さんが誰かに託す筈はない、というのが村尾

判断です。正統性という発想も松下さんには無縁でしょう。

死亡通知を「風の使りに任せ」、葬儀は一切せず「遺品は私

の文書およびロ頭による指定のある場合を除いて譲渡、複写、

刊行はせず、基本的に廃棄してよい」と書かれた遺書が村尾

にとって唯一、最大の、最後に遺された言葉であり、生き残

っている我々に対する励ましと受けとめています。

 「遺品」の中には村尾にも送られてきたパンフレット群も含

まれているのですか。それらは除外されているのですか。も

し除外されているのであれば、基本的にそれらを活用するこ

とは、その活用の仕方に対する問いかけをその人が引きずっ

ていく限り、構わないのではないですか。もちろん、どのよ

うに引きずっているかはたえず公開しなくてはならないし、

多くの批判にも晒されつづけなくてはならないでしょう。そ

してその批判に言葉で答えるかどうかは別にしても、受けと

めていかなくてはならないでしょう。

 さて『存在と言語』に松下昇《全》表現集(1969年以

前)を収録している問題について、語っていきます。村尾

吉名の刊行物であるのに松下さんの文章群が8割近く収めら

れているのはどういうことなのか、という疑問に対しては、

松下さんの手で書かれた文章を村尾か自分の著作と主張する

ことはできないのははっきりしています。そんなことは誰に

も明らかなことで、村尾は単に松下昇《全》表現集(196

9年以前)として松下さんの文章群を自分の著作の中に収録

したにすぎないのです。本当は全部松下昇《全》表現集とし

て刊行してもよかったかもしれませんが、そうする理由ない

し意味を問いつづけることなしにはありえないと考えたので

それも同時に収録したのです。

 〜関係者の了解を得ているかどうかは別にして、村尾は固

有性を超えて、〜刊行委員会として刊行していくだけの場所

をつくりだしえていないので、いまは村尾としてどの問題も

受けとめていくほかないのです。

 村尾の著作の中に松下さんの文章群をそのまま、かつ村尾

による編集を施して収めた時点で、もはや松下さんの文章群

は松下さんの手で書かれたものでありながら、村尾によって

加工された松下さんの文章群にほかならないと判断して、あ

のようなかたちにしたのです。そこには、村尾以外の無数の

たとえばあなたの松下昇《全》表現集が存在してもよいし、

そのありかたの一つとして提示したつもりなのです。しかし、

あたかも村尾が後継者として松下昇《全》表現集を取り込ん

でしまったかのように受けとめられるのであれば、それは不

本意であるし、無用な曲解は避けねばなりません。そのよう

に受けとめる側にも問題はなくはありませんが、今後は村尾

建吉編著にすればいいという、そんな問題ではないことも確

かです。いずれであれ、松下昇《全》表現集という表記の仕

方は今後再考せさるをえません。

 刊行については〜関係者の誰の了解を得てもいませんし、

話し合いもしていません。誰であろうとも、自分の判断と覚

悟で行えばいいと考えています。たとえば、69年の神戸大

学で入手したビラ群を掲載するのに許可がいるのですか。匿

名のビラや連絡不可能な場合、誰に連絡を取ればいいのです

か。パンフレット群にしても、〜関係者との話し合いを踏ま

えずに掲載されている文書等が多く見受けられます。村尾

文書にしても一度も連絡を受けたことがありません。そうす

べきであったと言おうとしているのではなく、情況の渦中を

乱舞していた無数のどの紙片も文書群もすべて匿名性に貫か

れていたと考えられるし、その匿名性を突き破るのは情況の

中に自分の場所を占めていく度合いで不可避に問われてくる

ことであったのてす。

 松下さん作成の、あるいは松下さんが関わったパンフ群の

刊行に際して、松下さんにとって誰の了解も必要でなかった

のは、彼のつくりだした情況性にどの掲載文書も貫通されて

おり、表現過程として取り込まれていたからです。とはいえ

連絡不可能性の中での掲載〜転載であるという自覚は不可欠

であったでしょうし、連絡不可能性の領域に踏み込む覚悟も

必要であったでしょう。彼は極限情況でそれを引き受けてき

たと思います。ネット販売のパンフ群には書店販売と同様に、

もはや表現過程や情況は刻印されていません。したがって、

もしあなたがたが村尾の刊行に対して〜関係者の了解や話し

合いを持ち出すなら、ネット販売のパンフ群に対してもあな

たかたはそうすべきだったでしょう。

返信2007/11/25 09:54:39

5noharranoharra   4  Re:Re:2007.01.04〜

村尾第一信(最後の部分)

 こう切り返したからといって無断掲載で済まされる筈は

ないし、同様に相手の了解を得たから掲載については問題な

し、で片づく問題でもありません。やはり掲載しようとす

るビラや文章が追求している問題をどう共有していくか、が

問われつづけていることを考えるなら、掲載〜転載そのこと

が自己目的化していくことは頽廃にちがいありません。村尾

が一番気をつけなくてはならない課題だと受けとめています。

 どうもあなたがたは自分たちこそが〜刊行委員会の正当な

後継者であり松下さんの遺志を受け継ぐものだと思い込ん

でいるように感じられますが、あなたがたのそのようなスタ

ンスこそ松下さんが闘ってきた腐敗の根源なのではないで

すか。あなたがたの手紙の中の口ぶりも松下さんに同化し

たような物言いであることに異和感が募ってきます。松下さ

んの発想の共有を目指したとしても、自分の頭で考え自分の

言葉で練り上げていく個人としての作業を怠るなら、松下神

話を強化する使徒の役割を果たすことになるだけではないか

と思います。

 あなたがたは本当に松下さんの後継者なのですか。仮に

「遺品」の中にパンフレット群も含まれていたとして、あな

たがたは松下さんの「文書および口頭による指定」を受けた

者たちなのですか。もしそうであったとするならあなたが

たはそのことを少なくともパンフレット群の読者、松下さん

が〜刊行委員会を仮装して送付していた読者に連絡しました

か。そして自分たちが今後〜刊行委員会を名乗ることの了

解を得ましたか。読者であり〜関係者である村尾には一切

連絡も、なんの通知も知らされていません。もし知らされて

いたなら、今回の刊行のような事態も避けられていたかもし

れません。自分たちのことは棚に上げて、村尾に配布の宙吊

り要請を突きつけることは成立しないのではありませんか。

 あなたがたが〜刊行委員会や《自主ゼミ実行委員会》を名

乗ることは北川透が言いふらしている「松下昇を神格化す

る弟子たち」という中傷に根拠を与えることにならないでし

ょうか。もうそんなものはどこにもないのだという吹きっ

咽しの断崖の感覚で零から出立する必要があるのではないで

すか。そうでなければ、あなたがたと進んで言葉を交わす気

には毛頭なれません。だいいちどこまで行っても平行線で

交差するところはないでしょう。

 あなたがたはあなたがたでやればよいし、私たちは私たち

でやっていきますとは言いませんが、今回の刊行に際して

付け加えますと、どこか間違っているのではないかという感

覚はたえず持ちつづけています。間違っているかもしれない

し、別の方法があるかもしれないとしても、それが我々には

っきりとみえてくるまで試行錯誤を繰り返していくほかない

と思っています。資本主義的なあり方を超えていくためには

そこを自覚的にくぐり抜けていく必要があることは自明です。

松下さんが展開してきたような表現過程や、情況をつくりだ

す力量もなく、衰退する時代の中で沈黙を強いられていく一

方の私たちやあなたがたにできることは非常に狭く限定さ

れているでしょう。

 今回の著作の刊行部数は売れないことを見越して刊行費

用の回収のみを念頭に最少限に抑え価格を高く設定しまし

たが、予想以上に売れ行きは大変悪く次の刊行費用も危ぶ

まれる先行きであります。刊行の仕方もよくなかったのかも

しれませんし、あなたがたのネット販売にも左右されている

のてしょうが、そもそも松下昇《全》表現集自体にも商品価

値がないのかもしれません。松下さの言葉が消費されるこ

とのないはるか地平を突き抜けていることを考えるなら、そ 

れは当然のことなのですが、第2巻以降の刊行も見直さざる

をえなくなっています。当初から赤宇覚悟でしたが、これほ

どとは予測できず、松下さんの言葉が受け入れられる余地が

どんどん狭まっている土壌の悪化こそを何とかしなければな

らないという思いが何度も募ってきます。

 読書グラフに突きつけられていることは松下さんのパン

フ群がどうしても読まれねばならなくなってくる、それらを

読まずには世界に向き合っていけないし、あらゆる幻想領域

に足を踏みだすことはできない、という関係性の構築であっ

て、そのための一里塚として『存在と言語』を刊行しているに

にすぎないのです。

 松下さんのご家族には大変心苦しく思っております。

 この手紙は公開を前提に書いています。あなたがたの手紙

や要請も公開していきますのであなたがたもこの手紙を公

開して下さってかまいません。いや公開して下さったほう

がよい。こちらは今後の手紙についても公開していきます。

 最後に、この頃しきりに感じていることを書きます。

 松下さんのことを考えるとき彼が展開した表現過程に激

しく巻き込まれて、姿を見せなくなった数多くの人たちのこ

とが浮かび上がってきます。松下さんを見つめているだけて

は松下さんは見えてこない、ということがつくづく実感さ

れます。




  1/27(土)に緊急でクラブを開き集まった4名て話

し合ったことを伝えます。『存在と言語』1巻の刊行〜配布は

宙吊りしない、2巻以降の刊行は不確定にするというもので

す。

 そこで出された、いくつかの印象的な感想を記しておきま

す。

《この手紙には、どこに「野原さん」がいるのかよく分から

ないような手紙てした。というのも「松下の思想」(こうい

うものがあるのなら)の枠組みで村尾さんの著作か批判され

ており読んでいて、ほとんど興味深い展開にはなっておら

ず楽しくない手紙でした。(…)この手紙の文体は乾いて

いて、冷たく書いた人の情熱とか意欲とかが伝わってこない

文章であったと感じています。「松下の思想」を「キリスト

の思想」と置き換えてもなんら問題のないような文章しか

そこにはないのではないかと思ってしまいました》

《ただ、野原さんの疑問点、の一番目の「過剰な〈いのち〉の強

力な羽ばたき、情況との交差というものが刊行内容だけて

なく、刊行過程自体にも内在しなくてはならない、だが、そ

れは存在するか」という問いかけは、私たちのあり方をつま

りは「ワープロ打ちに始終してきた自分」に降りかかってき

ており考えねばならぬ課題として受け止めております》

《今回のやりとりは、お互いに生活の安定のうえでなされて

いるだけてはないか、そのことを深く肝に銘じなくてはなら

ない》

                   2007年1月29日

                       村尾建吉

同文書p236〜p238最初の数行まで。

返信2007/12/02 09:46:56

6noharranoharra   5  02.19永里−>村尾 02.24野原−>村尾

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

次に、永里氏から村尾氏宛の2月16日付け書簡。p238上の段からp240上の段まで。

これはこのサイトでは下記に存在する。

http://from1969.g.hatena.ne.jp/eili252/20070323

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

次に、野原から村尾氏宛の2月24日付け書簡。

これはこのサイトではすでに掲載されてるはずだと思って探したが、ないようだ。わたしのパソコンのフォルダから探してここにコピーする。

村尾さま 

お返事が遅れました。



最初に先に送った手紙に誤字があったので、訂正しておきます。

☆5の松下の文章からの引用中「(正)それらの人々が仮装的*1*1かつ本質的な刊行委メンバーとして作業を持続していく」「(誤)仮想的」。



(1)

村尾さんの手紙を読んで。(最初の感想)



「お手紙に関して、まず今回の『存在と言語』第1巻発行の契機〜経過について説明します。」彼の手紙は低い声で始まり最後までこのトーンは一貫している。それに対比した場合、野原ないし永里の文章のトーンは高いと言えるだろう。

で次の行に「村尾の定年退職が近づくにつれ、職場を基盤にしてきた読書クラブの存続が問われてきました。」とある。定年退職は「仮装」のテーマから見た場合興味深い出来事だ。仕事人間〜職場人間として自己を規定していた「わたし」はその規定を、亀から甲羅を剥がすように強引にはがされる。残った私とは一体何ものか? 

「クラブ通信が職場の範囲を大きく超えるテーマを取り扱ってはいるものの、クラブ自体の取り組みは職場の関係性を逸脱する度合いが少なく、クラブを存続させるのであれば、我々が職場を超える領域に踏み出していくことが迫られていました。」実は村尾氏とわたしは地方公務員という存在規定を共有している。われわれの職場で多量に配布されているのは労働組合関係の文書である。日本の社会を考える場合団塊の世代の活動家が主に担っていた労働組合運動とその大衆への影響力が彼らの定年退職によって何処へ行くのか(左翼はただ黙って消滅するのか)、という問題がある。小さなクラブ通信の問題はこのようなマクロな政治問題と強くリンクしている。「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。」という松下のテーゼが想起されよう。

 ところが村尾氏はそのようには発想しない。「〜考える会として80年代の数年間、松下さん〜の表現過程と交差しようとしてきた試みについての総括〜対象化作業への取り組み」といったテーマがまずある。それは理解できる。むしろ、自己の軌跡の対象化〜その努力という視点に立ったとき、野原燐がそもそも松下の後継者のような顔をして存在しうるのか?と問いを立てるなら、不合格〜不可能とされることになろう。そのことに異議は唱えない。では何が問題なのか。〜考える会/松下さん〜の表現過程 という自/他の分節が固定化されていることが問題である。“〜考える会”内部に松下が無いのなら、そもそも交差は不可能だったはずだ。松下昇というものは80年代の村尾において、「闘争の最も根底的なスローガン」つまり偉大な建前になっていたのか? そうであったとしても「あいまいなふれたくないテーマ」がたえず浸透し交流するものでしかありえないはずである。

「我々は彼の文章の前に〈初めて〉立つつもりで臨みました。」根本的な錯誤がこの文章には露わである。〈初めて〉立つのならその主語は「私」であるしかない。確かなものではない自/他の分節をなんとかあらかじめ確保しなければならないという無意識が「我々」という主語を選ばせている、と解釈できる。どうしても「我々」と言いたいのなら、村尾個人名ではなく出版し返信すればよかった。「我々」と村尾個人名を、村尾氏はもっぱら自分の利害によって(ほとんど無意識に)使い分けているのではないか。ありがちなことではあるが、そのようなありふれた頽落に無自覚であってはならないということも、☆1 に書いたように、松下〜〈 〉闘争過程の教えるところである。



「彼の文章が視覚的に読むことすら困難であり」

「パンフ群の大半のコピー状態が不良により視覚的にも読みづらく」

「松下さんの〈死〉によって表現過程が宙吊られてしまっている現在」

村尾は、自己と松下の断絶を強調し松下の死を強調することに熱心である。しかし「仮装〜定年退職」を例に挙げて書いたように、松下が教えるところは、われわれはすでに知っているのに忘れたふりをしていることに取り囲まれているということである。

松下を語り始める前に、自己と松下の断絶を強調しなければならないという構えは少しおかしい。



(2)

>>> パンフレット群にしても、〜関係者との話し合いを踏まえずに掲載されている文書等が多く見受けられます。(略)情況の渦中を乱舞していた無数のどの紙片も文書群もすべて匿名性に貫かれていたと考えられるし、その匿名性を突き破るのは情況の中に自分の場所を占めていく度合いで不可避に問われてくることであったのです。

 松下さん作成の、あるいは松下さんが関わったパンフ群の刊行に際して、松下さんにとって誰の了解も必要ではなかったのは、彼の作りだした情況性にどの掲載文書も貫通されており、表現過程として取り込まれていたからです。とはいえ、連絡不可能性の中での掲載〜転載であるという自覚は不可欠であったでしょう。彼は極限情況でそれを引き受けてきたと思います。(村尾

<<<



松下氏の刊行行為についての上記の把握は優れたものであるし基本的に賛成したいと思います。

そして、そのような 情況に支えられ/生み出していく表現(刊行)過程 を野原たちは、現在生み出し得ているのか? 明らかに否であろうという判断もそれほど間違ってはいないでしょう。



とりあえず「掲載しようとするビラや文章が追求している問題をどう共有していくかが問われつづけている」、という問題設定をわたしたちが共有しているとして考え続けましょう。

村尾さんの発想は、「彼の作りだした情況性にどの掲載文書も貫通されており、表現過程として取り込まれていた」といったイメージに基準を置いており、それが失われたとするものです。それは圧倒的な実感としては理解しうるものです。しかし、松下の方法からは、そうした実感はいくつもある〈稜線〉の一つとして相対化しうるものであると告げられているのです。



あなたがたも村尾も松下さんの表現過程から切断された場所に一様に蹲っているのであり、村尾はそのことに自覚的であろうと思っています。(村尾



村尾は松下の後継者でない、といいながら多大なる労力を費やし松下の表現を活字化した。松下からの切断を強調するのは村尾の恣意的自由を獲得するためだ、と評価されても仕方のないところでしょう。



「吹きっ晒しの断崖の感覚で零から出立する必要」を強調するのは結構ですが、それが野原を否定し村尾を肯定することになる論理は提出されていないのです。



>>>あなたがたが〜刊行委員会や〈自主ゼミ実行委員会〉を名乗ることは、北川透が言いふらしている「松下昇を神格化する弟子たち」という中傷に根拠を与えることにならないでしょうか。もうそんなものはどこにもないのだという、吹きっ晒しの断崖の感覚で零から出立する必要があるのではないですか。そうでないなら、あなたがたと進んで言葉を交わす気には毛頭なれません。だいいちどこまで行っても平行線で、交差するところはないでしょう。

<<<



この批判は70年代の終わりに北川氏が(村尾氏たちに)行った批判をそのまま反復したもののようだ。「〈 〉という記号を使用することによって成立する共同性」は松下氏の生前は存在し存在する権利を持っていたが、松下の死によって権利を失ったという把握だろうか?

「あなたがたと進んで言葉を交わす気には毛頭なれません。」とキレてしまうところまで北川の真似ではないのか? その嫌みは忘れていただくとして、「毛頭なれません。」は撤回してもらいたいものです。



機動隊のような明白な敵対者に対してさえ自己の表現の根拠を開いていくというのが、松下のヴィジョンとしての公開性である。

村尾氏による刊行もまた、

「まだ本当には出会っていない「一九六八年」にむかってこちらから手を差し伸べていきたいし、まだ気づいていない多くの問題に出会うたびに、本書で報告し、問題の打開にむけての参加を繰り返し呼びかけるので、」と参加を呼びかけるものとなっている。

批判されたからといって、「言葉を交わす気には毛頭なれ」ないなどとすぐに口走ってしまうようでは、なんともはや、本当には出会っていない「一九六八年」どころではありません。村尾氏はいったい言論〜思想が存在する根拠をどう捉えているのかが問われるでしょう。



(3)

松下氏の遺書の1項目「6.遺品は私の文書および口頭による指定のある場合を除いて譲渡、複写、刊行はせず、 基本的に廃棄してよい。」に関わって、次のように質問されています。

>>>仮に「遺品」の中にパンフレット群も含まれていたとして、あなたがたは松下さんの「文書および口頭による指定」を受けた者たちなのですか。

<<<

「遺品」の中にはパンフレット群も含まれている、と理解します。

わたし(たち)は松下さんの「文書および口頭による指定」を受けている、と理解します。

先にも引用したように「 これら全ての既刊ないし企画中のパンフは何かへ向かって深化ないし飛翔し、既成のイメージないし形式からはみ出していく過程にある。この動きに参加し、応用する人々の一人でも多いことを願う。」および同趣旨の多数の文章によって委託を受けた者であると自己規定します。それがわたしが刊行委員会を名乗る根拠です。



(4)

著作権などという資本主義的な考えは村尾にも、クラブにも当然ありません。(略)あえていえば、それは我々の誰にもなく、(略)松下さんの創出した情況にしかないのではないですか。」

それに対して永里氏は次のように反論しています。

>>>

 生じうる法的<著作権>を巡る自主ゼミ性も視野に入れて、連絡不可能性に引き裂かれている表現主体相互の関係の転倒と、表現の交換契機として<無断>引用や転載も応用したのです。< >焼き業とも情況的清掃業とも自分の仕事を呼び、散乱〜集積している自他の表現の破片群を清掃〜< >焼きしながら、その生命性を取り出す情念を貫きました。<著作権>は或る表現が浮上してくる回路の不可避な下向性を指示します。全く考慮の外に置いて、他者の表現を情況に対応させようとする発想は彼にとってありえないことです。自らもそんな扱われ方を拒否するにちがいありません。<<<

 今回の刊行行為は松下氏の(死後の)著作権を侵害しているだけでなく、松下氏の文章を含む本について村尾氏の著作権を成立させてしまっています。それに対し「著作権などという資本主義的な考えは村尾にない」などと言うことは、すでに近代人として振る舞っている自己の存在様式に対する無自覚を表明しているだけです。

 著作権を盾に自己の文章の公開(的討論)を避けようとする態度と松下は激しく敵対しました。自己の文章がいかなるときも〈訂正〉に対して開かれてあるべきだという発想が、本ではなく軽便なパンフにこだわった理由の一つであったでしょう。

 獲得目標もはっきりしない今回の『存在と言語』について、本屋およびAmazonへの委託を直ちに中止し、我々を含む読者、関係者との討論の場を設定することを重ねて要請します。



                    2007.2.24

                   野原燐

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

*1:これはタイプミスであるがそのまま送付しており、村尾氏もそのまま印刷している。12/27註

返信2007/12/27 10:31:37

7noharranoharra   6  2007.2.28 村尾から

2007.2.28 村尾から

永里繁行様



 とりあえず返信をおこないます。

 正直に言いますと今回の本の発行に関して「著作権」の

発想は毛頭ありませんでした。松下さんの表現過程に「著作

権の発想は皆無か、非常に遠いと思われていたからです。



これまで村尾は三冊商業ルートで書物を刊行しており引用

に際して著者の了解を求めたことがありました。たとえば

上野千鶴子氏であれは著作を明記さえしてくれれば構わな

い、という返信でした。大体他の著者もそのような対応で

した。出版社への問い合わせについてもまず著者の了解を

取ってほしいとの対応でした。それが書物を刊行する際の作

法であることは承知していましたが、松下さんについては全

く念頭にありませんでした。あなたがたからの指摘や批判で

松下さんにも著作権なるものが絡んでいるのがわかったしだ

いです。

 「生じうる法的《著作権》をめくる自主ゼミ性〜」云々の個

所との関連で言えば『批評集γ篇 7』(〜1993・9

〜)には村尾の「無言録」の一部が数力所掲載されており

そこには「刊行委の註-証言録だけでも百ページ以上あり

力作ではあるが、記述を〈一〉行ないし〈一〉ページに変換

しうるような支点、をどこにつくりだすかという課題を、量的

ないし質的に読み通せない、と率直に感想を述べる人々のた

めにも検討してほしい」と書かれています。その註記につい

ては村尾の中では半分は今後の課題として受けとめていこ

うと思っていますが、後の半分は釈然としえなさがいまも残

りつづけています。掲載の仕方についてもそうです。

 そこでは「発行連絡先」も入っていますが、これまて読

者の誰からも「無言録」を読みたいとか、その註記に関する

問い合わせは一度もありません。また同じパンフには佐伯庸

介氏の「《無言録》3註記・・・・雑感」という文章も掲載されて

います。村尾にも佐伯氏にも掲載についての連絡は一切あり




ませんでした。更に、村尾にはパンフがその都度送られてき

ていますが、佐伯氏にはパンフも送られていませんから彼

は自分の文章が掲載されていることすら知りませんでした。

それはこの手紙を書くなかではじめて確認されたことなので

す。

 村尾に対しても佐伯氏に対しても「連絡不可能性に引き

裂かれている〜」というようなことはパンフ送付の点からも

ありえないことであったと思われます。このようなことを書

くと松下さんだって〈無断〉転載じゃないか、などと鬼の

首を取ったかのように受け取られかねませんが、そうではあ

りません。あなたが「可能な限り表現主体ないしその関係者

との連絡を試みておられたのも事実です」と書かれていたか

ら首を傾けたくなることも松下さんといえどもあったと

いうことを示しておきたかったのです。

 それだけのことで、松下さんの手落ちだなどと責めるつも

りもあげつらうつもりも毛頭ありません。だいいち我々に

は松下さんの表現過程における展開の困難さを想うだけても

そんなことはとても言えないし、パンフとして出現している

だけても感謝しています。松下さん刊行のパンフ群について

は前の八木さん宛の手紙にも書いたように、少なくとも村

尾は了解しています。しかしあなたがたが松下さんのパン

フ群を「ネット販売」していくにあたってはやはりあなた

がたは自身の手で自分たちのパンフを刊行するようにして

読者〜関係者に連絡を取り、パンフヘの掲載の了解と「ネッ

ト販売」することの確認を改めて求める必要があった、と村

尾は思っています。



 疑問は、あなたがたが刊行委を仮装してどんな問題を展開

しようとしているのか、という根本的な点にもあります。単

に刊行を引き継ごうとする思いいだけでは、決定的ななにかが

欠損していると言わざるをえません。あなたがたが自分たち

の直面している問題群に取り組み展開していこうとすれば

どうしても松下さんのパンフ群の刊行作業にも交差せざるを

えないのだ、というようなところが感じられないのです。『存

在と言語』刊行を見据えて言うのですが「思い」だけならや

めたほうがいいと思います。パンフ群には生命が吹き込まれ

ないからです。問われているのは刊行ではなく、パンフ群を

含むかつての全文書、ビラ〜等がもう一度乱舞することので

きる場所の構築こそにあるだろうからです。


 村尾にしても、たぶん佐伯氏にしても松下さんが仮装

ている〜刊行委員会だからこそ、どのような掲載の仕方であ

ろうとも、了解しようとしているのであってあなたがたが

松下さんを引き継ぐように〜刊行委員会を仮装するのであれ

は、村尾としてはその仮装に対する疑問も含めて先の「証

言録」の掲載についてはどうしても納得できません。掲載の

削除を要請したくなります。あなたがたが『存在と言語』の

刊行の宙吊りを要請するように、村尾たちだって松下パン

フの村尾〜関連の全個所の削除についての話し合いまでパン

フ刊行の宙吊りを要請できるわけです。

 村尾がこう問いかけるのはあなたがたの〜刊行委員会の

仮装や「ネット販売」の方法についてあなたがたがあまり

にも不問に付しているように感じられるからです。自分たち

は問いを免除されているように思っているのではないでしょ



うか。その分だけ、他や村尾たちの刊行への糾問が先鋭化し

ているように感じられます。村尾たちが深く問われているよ

うに、あなたがたも深く問われているのではないですか。お

互いに大きく「ゆれる」吊り橋をずーっと渡りつづけている

ことには変わりないはずです。




 本当はそれらの問いにはほとんど関心がありません。あな

たがたは好きなようにされればいいというのが本音です。今

回の事態で村尾は何度も刊行について自問を繰り返していま

す。もう一度振り返ると、村尾には生涯を終えるまてに ど

うしても「1968〜年」的情況を現在の場所から問い返し

たい欲求が内心に渦巻いています。その作業を押し進めるに

あたって、どうしても松下さんの表現過程を抜きにはできな

いか故に、作業の視野に松下さんの発言やレジュメや文書群

を収めざるをえなくなっているのです。

 松下さんは彼の場所から自らがやってきたことをパンフ群

のかたちでまとめようとされた。そのパンフ群には当然のこ

とながら、各段階の表現運動へのかかわりに応じて出現した

ビラや文章や論考が収められています。だが、それはいくら

松下さんが運動の《中心》を占拠していても、あくまでも彼

の場所からの視野であって、運動にかかわってきた者たちに

は各自の場所からの視野があり、さまざまな場所からの視野

が展開されなくては運動総体は見えてこないでしょう。村尾

は自分のやり残している思いに突き上げられるようにして

自分の場所が直面している問題にどう取り組みなから、運動

にかかわってきたのか、を明らかにすることを思い立って、


読書クラブのメンバーに呼びかけ『存在と言語』の刊行作業

に踏み入ったのです。

 松下さんの表現〜発言集は人類史的な次元で非常に稀有で

貴重な公的資料ですし、このまま埋もれさせてはならないと

痛切に思っていますが、だからといって刊行を継続するだけ

では形骸化するだけです。松下さんの表現〜発言集が本当に

一人一人手に取って読まれるだけでなく、読まれる以上のと

ころへ連れ出されていく基盤をつくりだす必要があるけれど

も、それでも松下さんの表現〜発言集ばかりに視線を注くわ

けにはいきません。松下さんといえとも〈部分〉なのです。

大きくとも〈部分〉なのです。我々は全体に、総体に向かわ

なくてはならないでしょう。そのためにも松下さんの表現〜

発言集が不可欠であるということで『存在と言語』に収めて

いるにすぎないのです。それでも収めるにあたってはいい加

減にはしたくないので、四苦八苦しているのです。


 この取り組みは生涯をかけるに値する作業だと身に泌みて

いるので我々にとっては刊行作業〜配本の宙吊りは絶対に

ありえないことなのです。どこからの宙吊り要請であろうと

も腰砕けにはならない覚悟を持っています。しかしながら

松下さんの文書群を掲載する以上、あなたがたが指摘するよ

うに「著作権」問題が起こってくることも不可避でしょう。

我々のやろうとしていることが「著作権」問題をはるかに超

えるかもしれないとしても、それを避けて通ることができな

いことも理解できます。「著作権」が誰にあるのか、はそちら

で論議下さるとして、村尾にも読書クラブにも「著作権」か

ないことを明らかにするために、そのことを第2巻ではっき





りと明記することも考えています。

 刊行を宙吊りせずに、しかも「著作権」問題を解決するた

めにはそうする以外にないと考えます。他の方法があれば

提案して下さい。ただ第2巻以降は運動に村尾もかかわっ

てくるが故に「著作権」問題は発生しないと考えます。いず

れであれ、問題を展開していくのに「著作権」問題が障害に

ならないことを願うばかりです。その方向でなら討論の場

への参加も考えていきます。



 第2巻では六甲空間で撒かれ村尾がその場で手にしたビ

ラ群が多く掲載される予定ですが、連絡不可能なビラの書き

手からもし問い合わせがあれば喜んで対応したいと思って

います。というより、そのような彼らへの40年ぶりの便り

としても刊行していきたいということです。そのことが共同

作業への道が開かれる契機になるなら、刊行自体が実り多き

作業になるでしょう。



 八木さんからも返事が来ていますが、あなたがたの文章に

は松下さんの語法が強く感じられ、読書クラブの他のメンバ

ーから大変読みづらいという感想が出ています。松下さんの

言い回しからの脱却が必要ではないですか。そして、どこで

でも同じように語れる平易な言い方を心がける必要がないで

すか。松下さんがいくら影響力の大きな抜きん出た存在で

あっても、松下さんとつねに対峙する姿勢を保ちつづけなけ

れは、彼が見えなかった問題や場所を探り当てることはでき

ないでしょう。

 もう一つ気づいたことは、松下はこう考えていたとか、松

下はこう言っていたとかのロ調が非常に多く、代理人の発想

のように感じられることです。村尾は誰の代理もせずに考え、

言葉を発していくように心がけています。たとえ間違ってし

まうことがあろうとも。その範囲内でしか通用しない独特の

言葉遣いはやはり閉ざされているように思えます。


 村尾もあなたがたも老年期に入り、自分の生命曲線を見通

すことのできる域に達しつつありますが、精力を浪費せず、

本質的な試行のみを遠く見据えて、跛行していくほかないよ

うに感じ入っています。「清掃」という言葉との関連で言うな

らけっして清掃されないゴミを敷き散らしたいというのが、

今回の刊行の試みの一つのような気がしています。

                 2007年2月28日

                      村尾建吉

 追記・次頁に読書クラブのメンバーからの感想も載せてお

きます。

 早速、永里さんへの手紙を読ませていただきました。著作

権のことてすが、村尾さんが書かれているように「表現過程

に著作権の発想は皆無」という印象をもっています。松下さ

んが主張すればそれは成立したかもしれないけれど、たぶん

そんなことは松下さんはしないだろうし、著作権といった発

想が生まれる余地のない場所で「表現過程」は展開されたの

ではないかと予想しています。だから現在も著作権はどこ

にも誰にも存在しないのではないでしょうか。遺族にもそ

れは存在しないようにおもいます。私の予想ですが、松下さ

んはそのように考えていたような気がするのです。ビラ、私

信等がある運動の中に放り込まれたら、それらを著作権云々

という地平で切り取っても、なんら生産的ではないと思いま

す。村尾さんも書かれているように、この著作権の問題は

多分どうでもいい問題のような気がします。松下さんは自分

の表現が、著作権問題などに振り回されずに「タンポポの綿

毛」のようにいろいろな場所と時間に飛んでいくことを望ま

れていたのではないでしょうか。

 それと討論の場への参加は歓迎します。八木さんがいう

ように村尾さんの本の刊行中止を前提ではなくて、そのこ

とを含めて、ぜひとも討論の場をもってほしいです。手紙だ

けでは、いっぱい分からないこともあるので実現していき

ましょう。

 それと、八木さんの手紙を読んでいてびっくりしたことが

あったので、ついでにここに書いておきます。松下さんの言

葉「いま自分にとってもっともあいまいな、ふれたくないテ

ーマを闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ」を引用

しつつ「ところが村尾氏はそのように発想しない」とかか

れている部分でした。この松下さんのことばを、あたかも八

木さん自身の言葉のように使う無神経さにはあきれました。

多分、この松下さんの言葉は松下さんしか使えない言葉で

あったとおもいます。八木さんは、使ってはならない言葉を

使いながら村尾さんを批判した気になっているとかんじま

した。それとAmazonへの委託はされていませんのに

かってにそのように書かれているのはどうしているのでしょ

うか。取り急ぎ、思ったことを、間違いを恐れずに印象のみ

で書きました。



                     2月28日広内

返信2008/01/27 14:28:46

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返信2008/01/27 15:17:13