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村尾版松下表現集刊行の可否 2007年 RSSフィード
 

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2noharranoharra   2007.01.04〜

2007.01.04〜

後記 (その1)

 後記 とタイトルされ、226から259まで 頁の打たれた17枚の印刷物(校正に使用されたもの)が送付されてきたのは夏の*1ことだった。遅れたが、ここに全文公開していく。野原、永里と村尾氏の間の往復書簡を村尾氏が編集したもの(すべて全文を掲載しているようだ)。


           後  記


※ 第一巻の刊行後次のような批判か寄せられ、それに対

する反論を返すというやりとりか続いたので、そのままここ

に掲載しておく。ただし、原文は横書きであったが、収録の

都合で縦書きに変更したことを付記しておく。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

村尾建吉さま

前略。失礼します。野原燐 と申します。

このたび出版された『存在と言語』という本について次の通

り根本的疑問を抱きましたので通信します。下記疑問点に

2週間以内にご回答いただくようよろしくお願いします。ま

た『存在と言語』という本の存在根拠に関わる問題なので、

わたしたちとの話し合いかつくまでこの本の配布を宙吊りに

されるよう要請します。


         ☆1☆

以下

http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13/6 ☆1☆および☆2☆

http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13/7 ☆3☆および☆4☆

http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13/8 ☆5☆および結論

結論部分を再掲しておく。

表現集〈 〉版を含む、パンフレット群は松下昇の表現とみなされるとしてもそれに留まらず、「何かへ向かって深化ないし飛翔し、既成のイメージないし形式からはみ出していく過程にある」パンフ群として定義されている。したがって「この動きに参加し、応用する」刊行委員会という不定型な組織とその公開性こそは、むしろ著作権を主張する。〈松下〉の自由を他者が簒奪することと闘う為には。

松下の表現が目指した自由を、制限してしまうことにしか、今回の刊行行為はなっていないと考える。そうでないというのなら、どのような自由を展望していると言うのか?

したがってわたしたちは次のように考える。

1.公開。

2.参加者の自由な討論ですべてを決定する。

3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

上記の<自主ゼミ実行委員会>の原則を持った討論の場が、現実の場に設定されるべきである。*1

その場で、上の野原の五つの問いかけを含む批判疑問を討議することができる。公開の討論を経るまではこの本の配布は宙吊りにすべきである。公開に極限的に開かれていることを抜きに〈松下〉の表現は成立できないのだから。

  *1:ネット上にも

太線の後、永里氏第一信。

http://from1969.g.hatena.ne.jp/eili252/20070109

波線

以上が野原と永里からの第一信。村尾氏のページレイアウトでは、p226-231と6頁を占める(但し最終頁は上の段半ばまで)。

これはすでに配本されているらしい『存在と言語』第2巻の後書きなのだろう。本の後書きとしては未知の読者に対しはなはだ不親切なものである。未知の読者はこれは一体どんな本だろうと著者の生の声を求めて後書きを読もうとするのだが、そこに村尾の声はなく、4頁以上野原の文章がそのまま載っている。活字の権力作用を考えるときに、わたしたちは北川透が編集していた雑誌(あんかるわ29号以下)に村尾氏の通信が転載された例をまず考える。当時の村尾表現の転載をめぐって北川−村尾間にどのような出会いと分かれがあったのか。そのときなんらかの<活字の権力>批判を村尾は抱いたはずではないのか。だとすると今回、野原 そして死者である松下からの<活字の権力>批判は、当然あらかじめ村尾に予想されていたはずのものである。

とにかく6頁めの半ばでやっと村尾氏の文章が登場する。

後記 その2 p231〜

 今年の一月に入って 以上の手紙が連続して村尾建吉宛て

届いた。八木氏の手紙には日付が記されていないが先に届

いた順にここに転載している。これらの手紙を転載するのは、

『存在と言語』第一巻で見通していた「予測しがたい困難」

の最大のIつとして今後の刊行に決定的な影響を及ぼして

いると考えられるからである。この「困難」への取り組みも

刊行理由をかたちづくっているとみなして村尾は作業協同

者に以下の「基本的な態度」をもって呼びかけ、話し合った。

 Hさん*2からの手紙に即して 村尾の基本的な態度を以下

に記します。


1.どのような提起も自分たちの曖昧さを照射していると

 受けとめるべきてあり問題を成長〜深化させる方向で歓

 迎する必要があること。


2.疑問を発する場合相手にそれを投げつけるだけでなく

 同時に、必ずそれに対する自分の答えも用意する必要があ

 り相手の返事と自分か用意している答えとの『ズレ』を

 明らかにし追求する必要があること。

  相手の返事を聞こうとするだけの態度は怠惰であること。


3「私たちは十分に討議してこなかった」という反省かよく

 なされ誰もが頷くが、そうではなくさまざまな問いが噴

 出してこないような作業のあり方そのものを転倒する必要が

 あること。事前の討議ではなく作業過程を歩む中でこそ

 多くの問いに出会わなければならないのてはないか。


4野原さんの提起に対する村尾の返信を軸に集まることは

 村尾がかたちづくる文脈の中での討論に終始するので一

 度その文脈を解体する必要があり、そこで対等に話し合う

 必要があるのではないか。したがって返信はその場で作

 成するつもりです。

  その対等の条件についても各自考えて下さい。

5.「なぜ ワープロ打ちだけの作業になっているのてはない

 か」という自問がしばしば起こってくるにもかかわらず、

 自問が繰り返されるだけでその自問がどこにも着地せず

 成長し深まっていかないのかについて根底から考えて

 みて下さい。


6.村尾の提起があるから、誰かの要請があるから動こう

 とする発想〜存在様式を打破する必要があるのてはないか

 一人でも引き受ける覚悟に向かって 足を踏み出そうとし

 ているか。


7.作業の宙吊り要請を、あなたはどの水準で受けとめ作

 業を持続させようとしているか、あるいは作業の宙吊り

 を媒介する問題群へと赴くのか。


8.以上の問いに出会わないところでの作業の繰り返しは一

 般事務の次元にあり、その枠組みを突破しない限り我々

 はどこにも行けないという感覚を引きすることがてきない

 のは、どうしてか。

                  2007年1月19日記

                       村尾建吉

次の手紙との間には今まであった波線などがない。村尾の文章としての連続性からか。

八木孝三様


 お手紙に関して、まず今回の『存在と言語』第1巻発行の

契機〜経過について説明します。

 村尾の定年退職が近づくにつれ職場を基盤にしてきた読

書クラブの存続が問われてきました。終焉するのか、存続す

るのか。存続するのであれば職場を超える関係性をどう構

築していくのか。クラブ通信が職場の範囲を大きく超えるテ

ーマを取り扱ってきているものの、クラブ自体の取り組みは

職場の関係性を逸脱する度合いが少なく、クラブを存続させ

るのであれば、我々が職場を超える領域に踏みだしていくこ

とが迫られていました。

 しかしながら、終焉にしても、存続にしても、読書クラブ

は〜考える会として80年代の数年間、松下さん〜の表現過

程と交差しようとしてきた試みについての総括〜対象化作業

への取り組みもまた、ずっと問われていました。〜考える会

は主に村尾、上野、佐伯が中心になって活動してきましたが

現在のクラブには〜考える会のかつての試みを全く知らない

メンバーもおり、〜考える会の活動を振り返るためには、村

尾が関わってきた69年以降の松下さんの表現過程について

当然ながら把握する必要がありました。

 表現過程が情況の創出と不可分であることを考えるなら、

言葉で説明できる次元にはないことを踏まえて、まずは松下

さんの文章に接することから始めようということになりまし

た。いうまでもなく彼の文章に目を通したからといって、彼

の展開してきた表現過程がわかるということなど到底考えら

れませんが、彼の文章が視覚的に読むことすら困難であり、

また表現過程のわからなさに踏み込むためにも、我々は彼の

文章の前に〈初めて〉立つつもりて臨みました。松下さんの

〈死〉によって表現過程が宙吊られてしまっている現在、誰

にとってもそのような心構えは不可欠だと思っています。し


かも我々は ますます無思考が猛威を振るっている社会の空

洞化の中に置かれています。

 眼球を動かすだけでは、思考を通常に働かせるだけでは、

松下さんの文章群でさえも読み通せないという困難さの前で、

なにかに伸し掛かられて、あるいはどうしても読まざるをえ

なくなる関係性をつくりだすなかで読むということについて

考えなければなりませんでした。彼の文章に関心を持つ者で

もそれを持続させることは困難であるだけでなく、またパン

フ群の大半のコピー状態が不良により視覚的にも読みづらく

その上問題群も重層〜捩れを極めているために、いかに文章

の中に踏み入っていくかに、最大の関心を集中しました。そ

こで彼の文章を写経のようにしてワープロで打ち込むという

作業の中で否応なしに読み、その作業を自分たち以外の多く

の人々の目にも触れる方向で押し進めようという企画に結び

つけて作業の励みにし、持続させようと、してきたのてす。

『存在と言語』はそのような経緯で刊行されたのですが、そ

の作業の中でたえず問われつづけたのは、村尾もまた、他の

メンバーと同様に「新たな読者」として出現することができ

るか、という課題であり、覚悟でした。その覚悟なしにはこ

んな大変な作業を引き受けることなど、とても不可能だった

でしょう。掛け値なしに言いますが、クラブは大変な課題を

負ってしまったのです。しかし、メンバーの中には、作業に

関わらなければ松下さんのことも知らないままたったし、彼

の文章に接することもなかったことを考えると、大変よかっ

た、という感想も出されています。やれるところまでやるし

かないという気持で我々は取り組んできたのです。

 次に、多くの人々の目に触れる機会を求めて、書店に置か

れることの問題に触れます。『存在と言語』所収の「なぜ、い

ま本書を刊行するのか」にも書いていますが、書店に置くこ

とが松下さんの展開してきた表現過程と相容れないことは明

白です。表現過程の発想からすれば、ありえないことは十分

承知しています。ならば、なぜ書店に置いたのか。こう問う

前に、あなたの手紙で知ったことてすがあなたたちがネッ

トを通じて松下さんの文章群に触れる機会を提供しているこ

とを知っていたなら、我々の作業のありかたも変わっていた

かもしれません。村尾たちはそのことを全く知らないまま、

松下さんの文章群をこのまま埋もれた状態に放置してはなら

ない、と真剣に恩い悩んていたのです。

 HPでも刊行を知らせていますが村尾たちが足を運べる

範囲内の書店に置くことによっても見知らぬ読者に知らせよ

うとしたのです。既成の出版、販売ルートに乗っかっている

ことは間違いありませんが、その乗っかりかたを最小限にと

どめる工夫も行っております。あくまでも直接購読性が基本

であり、それが軌道に乗れば、書店販売は縮小し、やめてい

くことを考えています。書店販売は、松下さんが亡くなった

時点で表現過程はもはや展開されえなくなった、宙吊られて

しまった、という村尾の判断に即しています。彼が展開して

きた表現過程を持続させることはもはや誰にもできません、

我々の誰かが同水準、あるいはそれ以上の闘争を、情況をつ

くりだしえない以上は不可能なことだと考えます。

頁の切れ目で中断を入れたが、文の途中になったので2行は次の部分に回す。

*1:5/22の の誤り。12/27記

*2:野原の判断でイニシャルに変更

返信2007/12/27 10:10:31
  • 22007.01.04〜 noharranoharra 2007/12/27 10:10:31
    2007.01.04〜 後記 (その1)  後記 とタイトルされ、226から259まで 頁の打たれた17枚の印刷物(校正に使用されたもの)が送付されてきたのは夏の((5/22の の誤り。12/27 ...
    • 4Re:2007.01.04〜 noharranoharra 2007/11/25 09:54:39
      続き p234-235  あなたがたが〜刊行委員会や〈自主ゼミ実行委員会〉を名 乗っているということは、松下さんの表現過程や、やろうと してきたことを自分たちか引き継いている、そうしなければ ...
      • 5Re:Re:2007.01.04〜 noharranoharra 2007/12/02 09:46:56
        村尾第一信(最後の部分)  こう切り返したからといって無断掲載で済まされる筈は ないし、同様に相手の了解を得たから掲載については問題な し、で片づく問題でもありません。やはり掲載 ...
        • 602.19永里−>村尾 02.24野原−>村尾 noharranoharra 2007/12/27 10:31:37
          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 次に、永里氏から村尾氏宛の2月16日付け書簡。p238上の段からp240上の段まで。 これ ...
          • 72007.2.28 村尾から noharranoharra 2008/01/27 14:28:46
            2007.2.28 村尾から 永里繁行様  とりあえず返信をおこないます。  正直に言いますと今回の本の発行に関して「著作権」の 発想は毛頭ありませんでした。松下さんの ...
          • 8このエントリーは削除されました 2008/01/27 15:17:13
            このエントリーは削除されました