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村尾版松下表現集刊行の可否 2007年 RSSフィード
 

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6noharranoharra   5  02.19永里−>村尾 02.24野原−>村尾

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次に、永里氏から村尾氏宛の2月16日付け書簡。p238上の段からp240上の段まで。

これはこのサイトでは下記に存在する。

http://from1969.g.hatena.ne.jp/eili252/20070323

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次に、野原から村尾氏宛の2月24日付け書簡。

これはこのサイトではすでに掲載されてるはずだと思って探したが、ないようだ。わたしのパソコンのフォルダから探してここにコピーする。

村尾さま 

お返事が遅れました。



最初に先に送った手紙に誤字があったので、訂正しておきます。

☆5の松下の文章からの引用中「(正)それらの人々が仮装的*1*1かつ本質的な刊行委メンバーとして作業を持続していく」「(誤)仮想的」。



(1)

村尾さんの手紙を読んで。(最初の感想)



「お手紙に関して、まず今回の『存在と言語』第1巻発行の契機〜経過について説明します。」彼の手紙は低い声で始まり最後までこのトーンは一貫している。それに対比した場合、野原ないし永里の文章のトーンは高いと言えるだろう。

で次の行に「村尾の定年退職が近づくにつれ、職場を基盤にしてきた読書クラブの存続が問われてきました。」とある。定年退職は「仮装」のテーマから見た場合興味深い出来事だ。仕事人間〜職場人間として自己を規定していた「わたし」はその規定を、亀から甲羅を剥がすように強引にはがされる。残った私とは一体何ものか? 

「クラブ通信が職場の範囲を大きく超えるテーマを取り扱ってはいるものの、クラブ自体の取り組みは職場の関係性を逸脱する度合いが少なく、クラブを存続させるのであれば、我々が職場を超える領域に踏み出していくことが迫られていました。」実は村尾氏とわたしは地方公務員という存在規定を共有している。われわれの職場で多量に配布されているのは労働組合関係の文書である。日本の社会を考える場合団塊の世代の活動家が主に担っていた労働組合運動とその大衆への影響力が彼らの定年退職によって何処へ行くのか(左翼はただ黙って消滅するのか)、という問題がある。小さなクラブ通信の問題はこのようなマクロな政治問題と強くリンクしている。「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。」という松下のテーゼが想起されよう。

 ところが村尾氏はそのようには発想しない。「〜考える会として80年代の数年間、松下さん〜の表現過程と交差しようとしてきた試みについての総括〜対象化作業への取り組み」といったテーマがまずある。それは理解できる。むしろ、自己の軌跡の対象化〜その努力という視点に立ったとき、野原燐がそもそも松下の後継者のような顔をして存在しうるのか?と問いを立てるなら、不合格〜不可能とされることになろう。そのことに異議は唱えない。では何が問題なのか。〜考える会/松下さん〜の表現過程 という自/他の分節が固定化されていることが問題である。“〜考える会”内部に松下が無いのなら、そもそも交差は不可能だったはずだ。松下昇というものは80年代の村尾において、「闘争の最も根底的なスローガン」つまり偉大な建前になっていたのか? そうであったとしても「あいまいなふれたくないテーマ」がたえず浸透し交流するものでしかありえないはずである。

「我々は彼の文章の前に〈初めて〉立つつもりで臨みました。」根本的な錯誤がこの文章には露わである。〈初めて〉立つのならその主語は「私」であるしかない。確かなものではない自/他の分節をなんとかあらかじめ確保しなければならないという無意識が「我々」という主語を選ばせている、と解釈できる。どうしても「我々」と言いたいのなら、村尾個人名ではなく出版し返信すればよかった。「我々」と村尾個人名を、村尾氏はもっぱら自分の利害によって(ほとんど無意識に)使い分けているのではないか。ありがちなことではあるが、そのようなありふれた頽落に無自覚であってはならないということも、☆1 に書いたように、松下〜〈 〉闘争過程の教えるところである。



「彼の文章が視覚的に読むことすら困難であり」

「パンフ群の大半のコピー状態が不良により視覚的にも読みづらく」

「松下さんの〈死〉によって表現過程が宙吊られてしまっている現在」

村尾は、自己と松下の断絶を強調し松下の死を強調することに熱心である。しかし「仮装〜定年退職」を例に挙げて書いたように、松下が教えるところは、われわれはすでに知っているのに忘れたふりをしていることに取り囲まれているということである。

松下を語り始める前に、自己と松下の断絶を強調しなければならないという構えは少しおかしい。



(2)

>>> パンフレット群にしても、〜関係者との話し合いを踏まえずに掲載されている文書等が多く見受けられます。(略)情況の渦中を乱舞していた無数のどの紙片も文書群もすべて匿名性に貫かれていたと考えられるし、その匿名性を突き破るのは情況の中に自分の場所を占めていく度合いで不可避に問われてくることであったのです。

 松下さん作成の、あるいは松下さんが関わったパンフ群の刊行に際して、松下さんにとって誰の了解も必要ではなかったのは、彼の作りだした情況性にどの掲載文書も貫通されており、表現過程として取り込まれていたからです。とはいえ、連絡不可能性の中での掲載〜転載であるという自覚は不可欠であったでしょう。彼は極限情況でそれを引き受けてきたと思います。(村尾

<<<



松下氏の刊行行為についての上記の把握は優れたものであるし基本的に賛成したいと思います。

そして、そのような 情況に支えられ/生み出していく表現(刊行)過程 を野原たちは、現在生み出し得ているのか? 明らかに否であろうという判断もそれほど間違ってはいないでしょう。



とりあえず「掲載しようとするビラや文章が追求している問題をどう共有していくかが問われつづけている」、という問題設定をわたしたちが共有しているとして考え続けましょう。

村尾さんの発想は、「彼の作りだした情況性にどの掲載文書も貫通されており、表現過程として取り込まれていた」といったイメージに基準を置いており、それが失われたとするものです。それは圧倒的な実感としては理解しうるものです。しかし、松下の方法からは、そうした実感はいくつもある〈稜線〉の一つとして相対化しうるものであると告げられているのです。



あなたがたも村尾も松下さんの表現過程から切断された場所に一様に蹲っているのであり、村尾はそのことに自覚的であろうと思っています。(村尾



村尾は松下の後継者でない、といいながら多大なる労力を費やし松下の表現を活字化した。松下からの切断を強調するのは村尾の恣意的自由を獲得するためだ、と評価されても仕方のないところでしょう。



「吹きっ晒しの断崖の感覚で零から出立する必要」を強調するのは結構ですが、それが野原を否定し村尾を肯定することになる論理は提出されていないのです。



>>>あなたがたが〜刊行委員会や〈自主ゼミ実行委員会〉を名乗ることは、北川透が言いふらしている「松下昇を神格化する弟子たち」という中傷に根拠を与えることにならないでしょうか。もうそんなものはどこにもないのだという、吹きっ晒しの断崖の感覚で零から出立する必要があるのではないですか。そうでないなら、あなたがたと進んで言葉を交わす気には毛頭なれません。だいいちどこまで行っても平行線で、交差するところはないでしょう。

<<<



この批判は70年代の終わりに北川氏が(村尾氏たちに)行った批判をそのまま反復したもののようだ。「〈 〉という記号を使用することによって成立する共同性」は松下氏の生前は存在し存在する権利を持っていたが、松下の死によって権利を失ったという把握だろうか?

「あなたがたと進んで言葉を交わす気には毛頭なれません。」とキレてしまうところまで北川の真似ではないのか? その嫌みは忘れていただくとして、「毛頭なれません。」は撤回してもらいたいものです。



機動隊のような明白な敵対者に対してさえ自己の表現の根拠を開いていくというのが、松下のヴィジョンとしての公開性である。

村尾氏による刊行もまた、

「まだ本当には出会っていない「一九六八年」にむかってこちらから手を差し伸べていきたいし、まだ気づいていない多くの問題に出会うたびに、本書で報告し、問題の打開にむけての参加を繰り返し呼びかけるので、」と参加を呼びかけるものとなっている。

批判されたからといって、「言葉を交わす気には毛頭なれ」ないなどとすぐに口走ってしまうようでは、なんともはや、本当には出会っていない「一九六八年」どころではありません。村尾氏はいったい言論〜思想が存在する根拠をどう捉えているのかが問われるでしょう。



(3)

松下氏の遺書の1項目「6.遺品は私の文書および口頭による指定のある場合を除いて譲渡、複写、刊行はせず、 基本的に廃棄してよい。」に関わって、次のように質問されています。

>>>仮に「遺品」の中にパンフレット群も含まれていたとして、あなたがたは松下さんの「文書および口頭による指定」を受けた者たちなのですか。

<<<

「遺品」の中にはパンフレット群も含まれている、と理解します。

わたし(たち)は松下さんの「文書および口頭による指定」を受けている、と理解します。

先にも引用したように「 これら全ての既刊ないし企画中のパンフは何かへ向かって深化ないし飛翔し、既成のイメージないし形式からはみ出していく過程にある。この動きに参加し、応用する人々の一人でも多いことを願う。」および同趣旨の多数の文章によって委託を受けた者であると自己規定します。それがわたしが刊行委員会を名乗る根拠です。



(4)

著作権などという資本主義的な考えは村尾にも、クラブにも当然ありません。(略)あえていえば、それは我々の誰にもなく、(略)松下さんの創出した情況にしかないのではないですか。」

それに対して永里氏は次のように反論しています。

>>>

 生じうる法的<著作権>を巡る自主ゼミ性も視野に入れて、連絡不可能性に引き裂かれている表現主体相互の関係の転倒と、表現の交換契機として<無断>引用や転載も応用したのです。< >焼き業とも情況的清掃業とも自分の仕事を呼び、散乱〜集積している自他の表現の破片群を清掃〜< >焼きしながら、その生命性を取り出す情念を貫きました。<著作権>は或る表現が浮上してくる回路の不可避な下向性を指示します。全く考慮の外に置いて、他者の表現を情況に対応させようとする発想は彼にとってありえないことです。自らもそんな扱われ方を拒否するにちがいありません。<<<

 今回の刊行行為は松下氏の(死後の)著作権を侵害しているだけでなく、松下氏の文章を含む本について村尾氏の著作権を成立させてしまっています。それに対し「著作権などという資本主義的な考えは村尾にない」などと言うことは、すでに近代人として振る舞っている自己の存在様式に対する無自覚を表明しているだけです。

 著作権を盾に自己の文章の公開(的討論)を避けようとする態度と松下は激しく敵対しました。自己の文章がいかなるときも〈訂正〉に対して開かれてあるべきだという発想が、本ではなく軽便なパンフにこだわった理由の一つであったでしょう。

 獲得目標もはっきりしない今回の『存在と言語』について、本屋およびAmazonへの委託を直ちに中止し、我々を含む読者、関係者との討論の場を設定することを重ねて要請します。



                    2007.2.24

                   野原燐

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*1:これはタイプミスであるがそのまま送付しており、村尾氏もそのまま印刷している。12/27註

返信2007/12/27 10:31:37
  • 602.19永里−>村尾 02.24野原−>村尾 noharranoharra 2007/12/27 10:31:37
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    • 72007.2.28 村尾から noharranoharra 2008/01/27 14:28:46
      2007.2.28 村尾から 永里繁行様  とりあえず返信をおこないます。  正直に言いますと今回の本の発行に関して「著作権」の 発想は毛頭ありませんでした。松下さんの ...
    • 8このエントリーは削除されました 2008/01/27 15:17:13
      このエントリーは削除されました