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技術

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 学校教育をまだ受けていない幼児、病室のベッドで意識がかすんでいる人、獄中にある人、技術的に何の資格も持たない人…の水準から技術の概念をとらえてみよう。というのは、概念集の基本項目として、 〈 〉闘争の過程で出会い、作りだしてきた概念が当面の主要な要素を占める必然はあるけれども、絶えず、物質的かつ全文明的な領域との関連~対応を意図しており、前項目の〈概念と像の振幅〉と共に今後の展開のための楔を打ち込もうとしているからである。その場合の視点を前記の人々の水準に置いているが、それぞれ私とどこかで共感ないし共通性を持つという以上に、それらの視点にとっての技術の概念(あるいは全ての概念)にこそ未来的な意味があると考えている。

 さて、前記の幼児がまだ会ったことのない親の似顔絵を描こうと考え、ベッドで医師の処置を受ける人が苦痛が少なく済んでほしいと考え、獄中者が紙とペンを入手したいと考え、電子的装置にふれたことのない人が機能を停止させるボタンはどれかと考えたとしても、概念としての技術については殆ど考えないであろう。また、前記の人々に仮装して考えてみても、ありふれていて、特に現代の技術的条件と交差する場面とは思えないかも知れない。しかし、かりに前記の幼児は遺伝子操作技術によって生まれ、患者は原子力技術のミスによる放射能を浴び、獄中者は宇宙開発技術の秘密にふれたために投獄され、無資格者はマイクロ・エレクトロニクス(微細電子回路技術)を用いた軍事施設を占拠している、と想像してみると、場面自体の〈ありふれた〉感じは一挙に現代の技術概念と交差することになる。そして、どのような概念に関する、どのような〈ありふれた〉場面も、問題となる概念の現情況における極限的場面に変換して考え、双方の場面で包囲される領域を、前記の人々の行動~存在様式に応じて生きてみようとする時に引き寄せられる全ての問題と解決方向について考えてみるべきである。これを非現実的だと思う人がいるかも知れないが、この発想は、六九年以降の大学闘争を媒介して私たちが獲得してきた、〈ありふれた〉問題点の原則的な把握の仕方の、フリー・ジャズ的な応用であることは強調したい。応用と原則は対をなしているから、原則の方で〈技術〉へ対処してみると、

(1)情報を含む技術の原理や構造や操作について、任意の人に等距離に解放されていない場合は、原則として否定的にとらえる。

(2)社会総体に必要であると認めうる披術を用いる場合には、全ての人が対等に交代で仕事につく。仕事のやり方や内容に異議が出た時には、中止して討論する。

(3)現段階で最高の技術とみなされているものの成立過程を、他にありうる異なる原理~体系の技術の成立過程から相対化する場を恒常的に作る。

という前提が不可欠であると、まず指摘する必然に導かれる。

 この前提は、技術に関してのみならず、行政権力、性的~家族的関係、言語規範に関しても、ある媒介を経て統一的に適用していく視点を作り出したい。

(以上 前半) (p3松下昇『概念集・2』)

 ところで、以上の指摘は、技術への対処に関してなされているが、技術概念自体の検討や提起を以下で試みよう。

 日本の戦後通程における技術論において重要な位置を占める武谷三男は、「技術の本質規定は人間の(生産的)実践における客観的法則性の意識的適用である」としているが、これは現在まで、資本主義〜社会主義の双方で実現されているヨーロッパ近代技術概念の肯定的定義としては、そうもいえるというに過ぎない。しかし、異論を提起すれば、

αー技術は中立的(まして絶対善)ではないし、現在の技術体系が唯一のものではない。そして、このことを前記(1)〜(3)の水準で対象化する政治的条件(国家の解体を含む)を作りだしうる関係性の確立が、技術の前提かつ範囲である。

βー技術は、生産的実践に関連する物質的な装置・手段に力点を置いてイメージするのではなく、生産的実践のみならず、消費的実践や遊びの実践や夢の中の実践を含め、人間の意識が対象としうる全領域における人間の意識〜存在様式を変換する方法〜媒介としてイメージすべきである。 (ヨーロッパにおける技術と芸術の語源的同一性および、その後の分裂は示唆的である。)

γー技術、特に現在の科学技術の安全性の課題を解決しうるのは、科学技術自体ではなく前記βをαの方向で実現しようとする主体だけである。そして、安全性を、人間のみならず全生命体の視点から、既成の技術概念を破棄〜止揚しつつ考えていくための〈 〉的な装置・手段こそ、技術の名と内容にふさわしい。


 この項目の内容は、他の項目と大きい差異をもっているようにもみえるが、それは、私のこれまでの不可避的な軌跡および、それをふまえた、より普遍的な領域への応用の試みの過渡性に関連している。できれば、ここでのべている方法(技術)で他の項目を読み変えつつ、未出現の項目や方向を提起していただきたい。まず私がやらねばならないことではあるが…。


註1ー概念集・1の〈科学〉、2で予定している〈表現手段〉は、それぞれこの項目と対応しているので、統一して読んでいただきたい。

2ー戦後日本の憲法の戦争放棄条項の〈戦争〉概念に、環境破壊(現在の科学技術がひき起こしている〈戦争〉)を包括させてみる場合の法律家や科学技術者や国家の反応を想像している。また、あらゆる現実的〜幻想的な暴力,苦痛の止揚の問題を今後さまざまの場で追求してみたい。

3ー註2の内容を今は註として言及するにとどめたのは、私の無力からきているのは勿論であるが、私の無力感の根源を、私の不可避的な軌跡から対象化するのが先だという表現的技術にもよる、といっておこう。

(p4  松下昇『概念集・2』)

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