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ワープロによる刊行

ワープロによる刊行

        ワープロによる刊行

 ワープロを使用する以前から使用開始後の現在まで、ワープロ使用に関する気がかりな問題点は、およそ次のようなものである。

1 新しい技術に触れる場合には意志的に不快な表情をしたいと思っていても、つい新しい玩具を与えられた子どものようにのめりこんでしまう。

2 無意識のうちにコンピュータ的論理に包括され、合理化〜管理化されやすい条件を自分で準備してしまう。製造〜廃棄段階の地下水汚染にも加担している。

3 言葉とくに書き言葉をもたない、ないし奪われている存在(少数民族、原住民、障害者などのためのワープロは製造されにくい。)との表現手段の落差を拡大している。

4 自分の直接表現の特性を生かせなくなり、表現内容が装置に逆規定され、画一化や惰性化をもたらす。また、予測しない事故やミスで一瞬に長時間の成果を失う危険があり、経済力に見合う機種の機能の差異への怒りも生じてくる。

5 この他に気付いていないものかありうるが、それらを含む問題点をおぼろ気に感じつつも使用を開始してしまう契機(偶然ないし必然的条件、それをもたらす時代のレベル)を忘れ、使用習慣を既成事実化してしまう。


 ここまでは判っており、これらの解決〜止揚の方法を探り、その方法を全ての技術に対して、公開と平等な使用を要求しつつ適用していこうとしている。前記の問題点にもかかわらず私が使用を開始した要因をのべると、

 ワープロ装置もコピー装置も私有する余裕はないけれども、共有する場をつくりつつ併用することによって、八七年三月に発行委託プランを提起するまでの〈時の楔通信〉の刊行に要した費用の数分の一で以後のパンフの刊行が可能になり、原稿作成〜編集〜印刷〜配布の全過程に全責任をもって関わりうるようになっている。表現論的には一握りの特権的な人々ではなく任意の無名者が一枚の詩篇や一冊のパンフを、いつでも、どこでも出現させる試みを仮装的に展開しているのである。とはいえ、私の場合、作成する文書の全てをワープロで打つのではない。生まれつき怠惰かつ不器用で、何の特技や国家認定資格も持たないというだけでなく、前記の五項目の問題点を、より具体的に確かめるためにゲリラ的に試用しているからである。比喩的にいえは、全情況に開示する〈一行の詩〉を刊行のレベルで具体化する時にだけ、殆ど下書きなしに打ち込む。あらゆる表現をワープロで打つのは、もし便利さに積極性を認めてそうしているのであれは、頽廃の証であると考える。従って、私はメモや手紙や会議レジュメや裁判所あて文書やラクガキなどは手書きでおこなう。必要ならば、どのような表現手段(武器を含む。)でも手にする心構えて。

 いまワープロを使用している人〜いない人それぞれの意見を集めて、前記の問題点を表現情況の変換点としていくためにも、概念集のこの項目を作成している。

註…概念集・1の〈非存在〉、2の〈表現手段(過程)〉の項目でもワープロに触れて論じているので参照していただきたい。

(概念集 3-27)