1975-03-08[野原]
■ 単なる評価客体としての学生
野原*1から、O先生への手紙
O先生 お元気ですか
ぼくはいわゆる自主ゼミの一参加者であると同時に、ドイツ語中級ゼミD102の一登録者でもあるわけです。
D102は「参加者の自由な討論ですべてを決定する」という原則をもっており、それは単位認定の問題にも適応されるということには先生も合意されていると思います。それについて先生は参加者の一人として、一律評価「合」を主張しておられたわけです。しかしその時認定される学生の意思or主体性というものはどうなるのでしょうか?
先生のような一律評価では、たとえ評価主体がどこにあるにしろ、学生が何ものかによって評価される単なる評価客体であるという関係にはかすり傷すら負わせていないと言えましょう。ぼくはやはり自分の単位については自分で判断したいし、登録者全員についてもそれぞれ自分で認定するということは、技術的にみても可能であるし、先生のいわれる一律評価にくらべてよりよいやり方ではないかと思います。
このことは部分的には先生ともお話ししましたが、単位に関する討論がほとんどなされないまま、先生は自主ゼミに出席されなくなり、現在に至っております。
先生は制度としてのゼミは2・21で終わったので、それ以後は関係ないとされているそうですが、少なくともD102の単位の問題は結着*2がまだついていないので、結着をつけるためにゼミに出席されるべきであると思います。
卒業予定者(ぼくもこの中に含まれる)については遅くとも、3・25までに成績を出さねばならないでしょう。しかし、今のままでは先生が成績をつけるということは不可能であると思います。単位認定は、Oさんが独断で行うべき行為ではないからです。
3・14か3・21にゼミに出席されるしかないと思います。
なお、ぼくは自分の成績に「不可」をつける意志を持っており、少なくともぼくに関してだけは、先生は「合」の認定をすることを拒否したいと思います。
乱文乱筆お許しください。
お元気で さようなら
三月八日*3
署名がないが、野原燐*4が、制度上の担当教官O氏に当てて書いたもの。
(略)*5