2008-03-08
■ 新メンバー参加
id:nord-SS さん
が、グループに参加くださったようです。
ひとこと:
> 野郎ぜ!。よろしくお願いします。
日付: Fri, 07 Mar 2008 19:46:27 +0900
いわば異言使いとして死ぬまで迫害された松下昇、といういい方もできるかもしれない。
id:nord-SS さん は、新しい異言使い。と受け取りました。
どうぞよろしく。
2008-03-05
■ ワープロとケータイ
「ワープロによる刊行」に触発されつつ
このパンフは1990年に出されたものであり18年前だ。当時最先端だったワープロ機はいまや使う人もいなくなっている。
しかしいまやパソコンやケータイで文章を書く(作る)という意識すらなく人々はキーを叩きつづけている。すなわち松下の場合は自分がパンフレット作成を継続するという前提がありその上で、「〈時の楔通信〉の刊行に要した費用の数分の一で以後のパンフの刊行が可能になり、原稿作成〜編集〜印刷〜配布の全過程に全責任をもって関わりうるようになっている。」という利点を認めた。
全国民がケータイで文章を打つと言う事態は、松下は想定していなかった。表現はすべて自己表現であり、マイノリティが自己表現できるようになるときが切望された。考えてみれば全国民がケータイで文章を打つことができるということは、いつでも人民の意志を獲得できるということである。
しかし容易にそうはならないであろう要因をも松下は見通していた。
無意識のうちにコンピュータ的論理に包括され、合理化〜管理化されやすい条件を自分で準備してしまう。
自分の直接表現の特性を生かせなくなり、表現内容が装置に逆規定され、画一化や惰性化をもたらす。
「合理化〜管理化されやすい条件を自分で準備してしまう。」というのはまさにそのとおりであろう。というか私たちの現在は「改革」という意味不明の言語が猛威を振るい、合理化〜管理化=善という宣伝が毎日ふりそそがれる状況である。しかしそれだけを原因だとして恨んでもしかたない。従属情況をつくり出しているのは、むしろわたしたち自身である。とすれば、わたしたちが変わることにより情況は変わる。
1 新しい技術に触れる場合には意志的に不快な表情をしたいと思っていても、つい新しい玩具を与えられた子どものようにのめりこんでしまう。
最初の項目で玩具という言葉が出てくるのが注目される。ワープロからパソコンへという流れは当時も予測されていたであろうが、ワープロからケータイへという流れがありうるなどと誰も考えていなかった。〈新しい玩具〉というキーワードはまさに(いまだなかった)ケータイにぴったり当てはまる。
5 この他に気付いていないものかありうるが、それらを含む問題点をおぼろ気に感じつつも使用を開始してしまう契機(偶然ないし必然的条件、それをもたらす時代のレベル)を忘れ、使用習慣を既成事実化してしまう。
わたしにとってはパソコン〜インターネット使用は完全にそこから抜け出せないものとなっている。(自覚不可能な)使用習慣の既成事実化こそが最大の問題である*1という問題意識は、まず可能な既成事実化への挑戦として、インテルとウィンドウズという軛(くびき)からの脱却という問題意識をもたらす。そして<68年思想>の最大の収穫であるオープンソース運動は、素人でも容易にウィンドウズという軛(くびき)からの脱却が可能であるという状況をもたらした。
それが軛(くびき)からの脱却であるとオプティミスティックに評価してよいのかと問を立てるひとがいる。それに対して安易に答える必要はない。問は答えられ得るとする無自覚な平面に世界を平板化してしまうことが、敗北であり、敗北の平面にだけ居住したうえできみの脱出の論理には説得力がないと言いたがる人にはまず憐れみを感じておけば良い。
■ ドメイン開始
ムームードメインというところでドメインを取って、ハッスルサーバーというところでレンタルサーバーしました。
ドメインは 666999.info です。いまつながったようです。
今のところ見れるのは、二つ
連立方程式
http://666999.info/test/php/sam3.html
概念集目次(作成途中)
*1:倒錯した現実へのなしくずし感覚の根底にある自然さを、どのように粉砕するのか
2008-03-04
■ 毎週 2つの項目をUPしていく。
実は一昨日の朝 「計画性」に目覚め次のように書きました。
野原燐 (2008/03/02 07:08)
3月2日
わたしの人生も残りが沢山あるわけもない。
計画的に生きていきたい。というかちょっと違うな。
何かであるわたしをわたしであると信じてはいけない、というのが野原にとってのアプリオリであった。目標は自己をしばることだ。同時にそれは人為的自己を信じてしまうことでもある。したがってそれはわたしに忌避された。
短期的目標を掲げること。
1、概念目次 8−10
4、項目3つUP
2、5種類のソート randの追加
3、頁 次へ
わたしは、冷めやすいタイプだ。1〜2ヶ月以上集中して何かをやったことがない。 それでいて10年前と同じことを考えているのだ。
今日も早起きできたので「今朝は早起きできた。」と書きました。
今朝は早起きできた。目覚めて起き上がる前に、パソコンをつけたら何をやろうか考えておきます。phpなどにむりやり入門しようとしているからです。
で今朝は、phpではなく、松下のテキスト「ワープロ」と「インターネット」に付いてふれたもの をテキスト化しようと予定しました。
2年ほど前に、概念集はすべて画像ファイル(マルチtiff)にしてうちのパソコンにいれてあります。
1年ほど前に、ocrソフトを2千円で買ったので、すべてをテキスト化するのはあまり時間がかかりません。しかし実際にはやっていなかったので今回概念集3の後半からすべてやってました。一昨日。わずか2時間ほどでできました。9割以上変換できています!
それを利用し、「ワープロによる刊行」を校正。このグループのキーワードに登録。目次http://666999.info/matu/mokuji.php から辿れるように設定。ここまで約30分かな。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080303#p3 を書いたりしていたので、いま7.26です。食事し出かけなければ。
毎週 2つの項目をUPしていく、という目標を立て、2年間かけてすべての項目をUPしていきたいと思います。
2008-03-01
■ 長期にわたって勾留
このようにしてNは長期にわたって勾留され起訴された。(G7−8)
概念集の目次を作ろうと、概念集をぱらぱらめくっていると、この1行が目に飛び込んできた。
Nは冤罪で長期勾留された。わたしはNではない。しかしわたしはそのとき本来その場にいるはずだった。わたしはなぜそこに居なかったのか? 今にして思うと、わたしは危険を避けたかったのだろう。そう言ってしまうと身も蓋もないが。
より正確に言うと、わたしは「実践としての仮想被告団」が嫌だったのだ。
・・・
仮想被告団とは、法廷(やほかの空間)で異議申し立てを考えられるすべての方法で展開する方法を特徴とする集団だった。法廷で身体的異議申し立てすれば拘束される危険性があるのは当然だ。当然と言い捨てられるかもしれない領域の行動に、高度な思想的意味付与をするのがわたしたちの方法だった。
わたしの身体が、かっても今も「当然と言い捨てる」側に居るのであれば、わたしは松下たちに敵対しているのであり、松下の代理人のような顔をして松下パンフの広告、普及活動をするのはおかしい。
ベンヤミンを研究するように松下を研究することはできない。「当然と言い捨てる」のではなく、わたしとNとの密接な関係を(それが存在しないなら捏造してでも)くぐらせながら、わたしは〈読む〉ことをしなければならない。