松下昇~〈 〉闘争資料

2008-10-07

どのように対処するかに応じて複素数性のプラン

約1月ぶりになります。*1

開廷直後、裁判官が、どのように対処するかに応じて複素数性のプランが用意されていた。法的に準備する次の武器としては、忌避が却下または棄却になることを想定して、あらかじめ次の抗告表現が必要であるが、これまでの経験からは(そして数人の弁護士に質問しても)、高裁における忌避に対する決定の後で可能な方法が、異議(刑事訴訟法428条では 即時抗告はできない。)なのか、特別抗告なのか判らず、また、それぞれの文書を用意するとして提出先が、決定を下した法定か、法定を通じて他の裁判官か、一般的な訴訟受付か不確定であった。従って、被告人としては2n通りの文書を作成し、文書提出先が法廷でない場合には、被告人非在の時間をつくらせないため傍聴席の共闘者が提出してくれるようすでに11.4の神戸大学で<共謀>しておいた。

1983.11.8<大阪>高裁より  時の楔通信第<9>号 p6下

 時の楔通信を読み始めようと思いながらできなかったので今日から読み始めることになりました。ふつう<0>号から読み始めるべきところ、<9号>から読み始めることにしました。8/9に書いたように、<85.2.1>〜<86.3.24>の期間が 私(たち)にとって特権的な時期であった*2ことのを私は最近再発見したのでそれを中心に読むという問題意識からです。

 さて上はそのような絡まりあった歴史から離れて、ちょっと印象的であったので引用してみました。p6上には「主尋問の途中で提起すること。」といっフレーズもあります。これを要するに、現実にベタベタ密着した手練手管を模索しているということです。相手から拒否された時、それでも諦めきれなければどうするか?次のアプローチをするしかないわけですが、同じレベルのそれをしても駄目だとすると?メタレベルのアプローチが必要になります。それも駄目だとすると?二種類めのメタレベルのアプローチが必要になります。それも駄目だとすると?メタメタレベルのアプローチが必要になります。それも駄目だとすると?・・・といったふうに進んでいきます。

 裁判と出会うことさえなく抑圧されている人々の声にならない声、所詮裁判と言い捨てるしかなかった膨大な人々、むしろそれらの人々と身体感覚を同じにしながら、ふとしたきっかけで裁判所に迷いこんでしまった松下たちは、戸惑うことなく、自らの〈惑い〉を武器に裁判所の作った2nの迷路をむしろ楽しんでさまよい始める。

 数学が難解で私たちの常識をはねつける物であるように法学裁判所もそのようにイメージされる。数学には触れることなく生きていけるとしても、わたしたちはふと〈起訴〉されてしまえば裁判に囚われて数年を過ごすことになります。拘束性は、難解で私たちが何を訴えても拒否してくるといったイメージにつながる。しかし実は私たちが何を訴えても拒否してくるわけではない。裁判所はわたしたちの身体(性)を拒否してはいない、拒否するという文書を出すことしかできない。・・・

 まあそんなふうに裁判とはどういうものかという自己のイメージをまず変える必要があるのだが、それは、難攻不落の美女や難攻不落の上司を落とすテクニックにも応用が効くだろう、ということがこの文章を引用した意図である。つまり現実は常に多次元的であり時間がないと言われても常に駆け込める隙は発見可能である*3ということ。

 わたしたちは時の楔通信を美少女ゲームのように読み、美少女ゲームを実践してみることから逆に時の楔通信の<読み>を深めることができるだろう。

*1国語学原論という本を読んでいました

*2:罪深いかもしれない修辞だが

*3:時間の微分可能性