2008-09-11
■ 誤植が3つも
この間、「不確定な論文への予断」を読んできたが、このごろ中断してしまっている。「とくに労働の場において、いや応なしに接触する不確定な表現を揺括することである。」という文(フレーズ)を引用しようとして気づいた。揺括するなんて言葉はない。総括するかなと思って(あんかるわ版を)見るとそうなっている。それだけでなくその直後にさらに二つの誤植を発見。
ここから何を開始するかは不確定であるにしても、その不確定さの発生する場所から尖端に至る過程で交差する問題は、極めて多岐にわたる。それは〈……〉のむこうの全てだといってもよい位である。その儀域に突入するのは、やりたいことであり、やらねばならないことでもある。そして、この二つが一致するのは、白星のように暗い季節には大変めずらしい現象である。
その儀域に突入、白星のように暗い季節
その領域に突入、白昼のように暗い季節 の間違いである。
わたしの編集〜刊行過程は、誤植を増殖させる過程であるとは、時の楔通信を電子化する過程で気づいたことだ。(ありふれた誤植は面白いとはいうものの) 許されない。この短い文でもさらに誤植は発見できるのではないかと思う。
そのつど直していきたい。
■ さらに3つ 訂正した
誤:一切の表現は出題における私の主観的を形式、内容の制約された上でおこなわれ、
正:一切の表現は出題における私の主観的な形式、内容の制約された上でおこなわれ、
誤:表現論、組織論、情念諭その他
正:表現論、組織論、情念論その他
誤:さまぎまの領域
正:さまざまの領域
UPしてある全松下〜刊行委員会表現について、読者のみなさんもご注意をよろしくお願いします!!
■ 出題という松下の恣意的形式に制約された上で
「更に、一切の表現は出題における私の主観的な形式、内容の制約された上でおこなわれ、評価されている。」
普通、日本語は1字くらい誤植があっても推測で脳内訂正しそれで支障ない場合が多い。だが上記に関わる誤植だけは致命的だったであろう。
というかこの文章にはまだ誤植があるのではないかという不安が消えないほど読みにくい文章だ。
松下はドイツ語教師として出題する。ドイツ語教師は生徒に任意の思想を述べさせることが簡単にできるわけで翻訳を命じさえすれば良い。そのように、(学生にとっては)教師の恣意的な形式、内容に従わざるを得ないのがテストなどの形式である。このような「表現過程」において学生の答案およびそれからの過剰としての「落書き」が書かれる。それを間違った教師としての松下が覗き込んで喜んでいる。いやらしい・・・といった感じでしょうか。 とにかくこの文章は本来少し違った形をしているべきと感じる。