松下昇~〈 〉闘争資料

2008-10-12

再開始について/restartについて

本件に関わる〜本件を媒介する中心的テーマの一つは、ある行為を含む何物かを中断〜宙吊りにし得る根拠、そして〈再開〉し得る根拠は何か。なしくずし的回帰としてではなく情況的生命を真に復活〜深化〜応用し得る〈再〜〉の根拠の対象化、にあるといえる。  p3 通信<10>号

上の文章は、「〜」がいっぱいあって読みにくいので全部取ってしまうと次のようになる。これでも意味はほとんど変わらないと思う。*1

「本件に関わる中心的テーマは、ある行為を含む何物かを中断し得る根拠、そして再開しうる根拠は何か。なしくずし的回帰としてではなく情況的生命を真に復活し得る〈再開始〉の根拠の対象化、にあるといえる。」

ある行為とは、やはり占拠〜バリケード化 といった行為が想定されていよう。しかし、そういった行為でなくてもよいのだ。行為の主体が個人ではないこと、それから行為を色づける情況性の存在、自己変革〜超越性という未知の次元への感受性といったものが、あらかじめあるのだ。松下はそれを言葉で説明したりすることなくとも暗示することによりそれを強化し影響力を行使しえた。冷静過ぎる説明だがそうも言えよう。「情況を作っていく」ベクトルを自己に受肉することが当為になる。

橋を、広場を、部屋を、かんたんに通りすぎるな。権力にも、寄生虫的な参加者にも視えない空間が存在するのだ。汝はなぜここにいるのか。もはや、ここから脱出することはできない。

間違ってはならない。(自己とは区別されたものとしての)情況を自己に受肉するのではないのだ。自己つまり仕事や金に囚われているところの自己はわたしにとって疎遠なものにすぎない。であるから、わたしにとってすでに世界は1/3くらい変わってしまっているのであり後は〈再開始〉を愉悦として/苦悩として、行っていけば良いのだ。

*1:上は第一次的には人事院〜国に対する表現なのですがその点を野原は無視している。