2007-12-31
■ 声
ふと思い立って「声」をこのサイトのトップで検索してみた。
しかし、被拘禁者は、それを見ることができるような場所へ連行されることはまずないし、かりに偶然、そのような位置をかすめるとしても、数瞬でも注視した途端に看守の叱責の声が迫ってくるはずである。(松下)
偉大な人が死んだ後も同じだ。弟子たちは十年間沈黙する。師の思想を語らなければならないが語ることができない。おまえの発言はわたしの思想からの逸脱だと叱責する師の声が、薄れていくのを十年間待ち続ける必要があったのだ。
「お手紙に関して、まず今回の『存在と言語』第1巻発行の契機〜経過について説明します。」彼の手紙は低い声で始まり最後までこのトーンは一貫している。
最初の断片は、「看守の声」である。アルチュセールが、ひとが主体化〜従属化するのは警官に呼びかけられたその瞬間だ、と指摘したその〈声〉である。
次の断片では、私は松下昇を指して〈師の声〉と言っている。これは「看守の声」と同じであり、わたし自身の看守化であろう。
最後の断片では、「低い声」を発しているのは村尾氏である。論理的優位にも関わらず私と村尾氏との関わりが敗北の目盛を指しているとすれば、その原因はわたしの声の欠如であるかもしれない。
声の欠如は仮装のそして祈りの欠如である。