2007-11-22
■ 言葉を無理矢理衝き出してしまう反動
〈 〉が時間と空間の鋭い裂け目からどっと押し寄せてきたら、〈 〉をそれ自体として運動させてみよ。
〈 〉を持続させていく力が、唯一、わたしたちの宿命の重力を解き放ち、わたしたちを未知から降ってくる夢、へと誘い出すだろう。
あらゆるものへの理解(伝達)とか、たとえば読書の営為などに対して、〈 〉を媒質としてそれらを拒絶してやれ。
〈 〉は、ひょっとすると、言葉を無理矢理衝き出してしまう表現総体の洗礼として一瞬、見舞っているのではないか。
わたしが、わたしの視界を越えて迫ってくる闘争を、わたしの小さな主体をぶつけて展開し切るためには、どうしてもわたし自身の固有の難所を媒質として不可避的に切開していく必要があるだろう。
(白夜通信第7号1971.8.30 あんかるわ29号 p30-31 上も)
ある意味で、問われているのは引用の無償性だ。
わたしのブログはほとんど引用だけでつまり、引用の無償性を根拠にして成立している。
村尾の「引用」に私が反対しうる根拠は何か?