<中性>の~
暮れから年度末にかけて職業的繁忙期にのめりこんでいた。それから10日も経ったのに思念が言葉を捕まえられない。日記の更新はおろか、サイトを開いてみることからも遠ざかっていた。久しぶりに開いて驚いた。画面が鮮やかな赤に変わっている。「何を閉じこもって深刻ぶっているんだ!」と頭をどやされる思いがした。
と言うわけで、大げさに言えば宇宙・社会・身体の相関性が引き起こす周期的もしくは偶発的<気象>変化を感情や概念の支配機構の現前と受け止め、少しでも抵抗してみようという気になってきた。
この間、薄ぼんやりと意識を占めていたのは、昨年、何十年ぶりかで手に取った「心的現象論序説」である。母の生前の<異常>を「老化した脳の萎縮による機能低下」といった一見分りやすい解釈とは別の鏡に写してみたかったからであろうか?<心>と<身体>の対応関係から心的領域を抽出することはできないとし、<身体>と外界の現実との双方から疎外された錯合領域に分け入る論理にもう一度触れなおしてみようと思った。基礎体力の無い自分では結局よく理解できずじまいではあるのだが…。
この本では<感情>や<概念>における<中性>という心的水準の重要性が幾度か述べられており、<異常>ないし<病的>ということは、<中性>水準の構造が<病的>あるいは<異常>かどうかの問題として展開されている。かってもそうだったように、私の関心はそういった部分的なところに乗り上げ誤解を上塗りするほかない。
(正確な引用ではないが)吉本氏は「心的な時間性が空間化される強度の中性ということ」とか、「はじめの<感情>を心的な了解の時間性におきかえ、これをふたたび空間化して<感情>の対象にしてえられるような新たな<感情>」といったふうに<中性>という概念を説明しており、環界の空間的受容~時間的了解の心的な構成がさらに遠隔化される構造自体に内発する相関<力>のようなメカニズムを想定しているのではないかと思われた。<感情>を例に取ると<無関心>や<習慣化>といった現象に空間化度の<中性>的な水準が対応させられている。
何処からやって来るのか不確かで理不尽な<力>によって自分の感情や概念が絶えず微妙な変容にさらされ、安定を保持しようとする心の慣性も決して確かでないことを常にさらけ出されるけれども、個体としての統一性を破壊せずに現に生きている心の様式~構造の基本的な現象水準が<中性>という言葉によって指示されているのだと思う。
心の<中性>を社会性に転倒すれば<大衆の原像>が結ばれる、と言うより、概念としての<大衆の原像>を個体の心の像に反転させることで、心的領域の<中性>という価値源泉モデルが概念化される。もちろん著者にとっては一切の還元的発想を許さない厳密な解析結果としてなのだろうが、自分は勝手にそう思い、心的領域の「裏目のない」概念構築を通して人間理解に関わる既存の知的構築物の<権力>性を解体する作業でもあるのだなあ、と思って読んだ。しかし、厳密な論理性もある意味諸刃の剣であると思いつつ。既存を超える論理的構築が社会化の過程で<権力>的機能に逆転して現象する様を<大学>闘争と呼ばれる歴史性は開示しているから…。
一方で、「自己身体を含む環界との交流を通した乳幼児期からの個別な心的自然過程は、<中性>という仮装に包括されながら統一性を保持するが、同時にこの仮装を強いる高次の<自然>との関係に<現場>を形成しているのであり、その位相では<過程>的に個々の<私>の心とも言いうるに過ぎない」と感じていた。この感じ方はお主の<感情>~がある種<宗教>に近接しているから、と言われそうである。
夢見の状態から現実へうまく移行できなかったり、対象を記憶と結合できなかったり、視覚の弱い部分をとっぴな像で埋めて会話したりといった認知症状態は、母の心的統一性が<中性>位相で崩壊しつつある兆候を私に知らしめた。しかし、心の動き方に限定して見れば、視覚の切断や部分性の強調、エネルギー回路の局部化がもたらす逆流や拡散といった状態の自分との違いは大きなものではない。<異常>性自体を疑念なしで演じ(させられ)ているか、演じ(させられ)ていることへの疑念が自己像の歪んだ鏡になっているかの差に思える。この差は天地の差とも言えるが、行為や思考に対する「<私>の」という自覚の強度とは無関係のところで心の構造が成立し崩壊していくことを思わせるのである。
何かを口にしたり書き付けたりした途端に、それまで触れていると思っていた事象の総体性は極端な歪みをきたして元に戻らない。生命現象のさざ波に漂う<中性>的な時空の交差点で、<何かに取り残されているような意識>の感触はいつも同じだ。<異常>と見える言動の後は母も何かに置いてけぼりをくったようなハニカンだ表情を浮かべた。私とそっくりの…。
不可視の心の<現場>に<私>たちの心と言われているものはいつも追いつけないのである。
2008.4.10 eili252s