eili252の日記

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2006-10-30

南無阿弥陀仏

 小林秀雄の1文に誘発されて前回・前々回とブログに載せた雑文が何事なのか、自分でもよく分からないままであった。ありふれた日常を引きずりながら深まって行く己の<秋>を見つめている場面に、錐をもみ込むような情感の痛みがいつものように帰って来る。

 踏み跡の無い時間の痩せ尾根の緊張感と、それとは一見矛盾する悲哀とを伴った古い記憶が<現在>への批判を強めるからか、貫徹できずに放置してきた<ことば>の破片群が存在と心象の深い裂け目を周期的に吹き上がってくるからなのか?反射的に引き寄せようとする言葉は、治癒や緩和のための療法機能を持ちえず、苦痛を加速して回帰円環の軌道上をできるだけ速く遠くへ通過させようとする足掻きなのかも知れない。

 野原氏の本年5月20日付のブログに次のような言葉がある。

『「愛欲の広海」にさ迷いながら、

わたしの今ここの生こそが肯定される!

南無阿弥陀仏

わたし自身の斗争スローガンを発見せよ、という命令が、わたしの南無阿弥陀仏である。』

 翌21日付でも、

『欲望を否定しなければいけないという命令を立てたとすると今度はその命令が逆に(朱子学

リゴリズムのように)わたしたちを抑圧してくる。否定自体が無明に転化するみたいな感じか。

 そこで悪を恐れるな!といった意見も出てくる。禁止や倫理自体から自由になる必要がある。

それはそうなのだが、それだけでは足りない。私たちはすでに囚われておりそれから自由になる

必要がある。

南無阿弥陀仏。どのようにして? 常に虚数方向に〈死〉を励起することによって。』

 

 どのようなドラマが、<念仏>のリズムをここに呼び込んだのだろうか?

 この<南無阿弥陀仏>の影響をどこかで感じていたことに思い至る。

 生前の父の呟くような「なまんだぶ」は、他の言葉にはできない何か深い思いや親しさを感じさせたものだ。年とともに縮んでやがて見えなくなった彼を機縁に身内や坊さんの唱える念仏を耳にしながら、「私だけの言葉に包括できるだろうか」といつも考える。

 「わたし自身の斗争スローガンを発見せよ、という命令が~」と野原氏は記す。おそらく<念仏>の持つ「自由」への希求リズムを自分にとっての意味翻訳してみることが、彼もその時とりあえず必要だったのだろう。

 「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏が信仰的に現象して来る関係の本質に帰ります」という表明であり、同時に、<私>を形成している属性や力の全否定である。何故なら、一切衆生救済の願心(阿弥陀仏)という現象だけが、(その現象を含む)全てを現象させている「苦」自体としての世界に内在する唯一の転倒契機だから…それに帰依しますと表明することだけが<私>の選びうる<最終>的な言葉だから…ということであろう。

 「あらゆる存在に常住不変の実体は無く、存在とは、我も人も、また神も仏も、例外無く縁起(関係という本質)の現象したモノ、ないしはその変化の態様に他ならない」といった存在概念が基底にある。「人たる種と類の(小林によれば)一種の動物状態=無常」に対して自立的であろうとする苦しい観念運動が、生死の実態を包括しようとする壮大な虚構(~フィクション)世界に写像されて<最終>表明を呼び寄せる。

 親鸞は往相還相という時間概念で永久的な無明の死に拮抗する生の過程の空間化を試み、狭い「無常」観から人の意識を救出しようとした。しかし、その苦闘の意味衆生の関係の根に届いているだろうか?権力に収奪される<念仏>を含む言葉の相を歴史は相変わらず写しているだけだ。

 発した言葉の実体は、そのままでは無限に広がる関係の闇そのものに呑まれてしまう。言葉も常に「死」を内在させた現象である。野原氏は~虚数方向に死を励起する~積極的な死の内在化を<自由>に直面させよ、と自問する。観念運動に閉じて行くのではなく、開かれて行く「南無阿弥陀仏」の語感から(~へ)の転倒。

 ところで、<私>という存在はどのような言葉の構造と一緒なら、死を生の理不尽な切断以上のものとして受け止め、駆け抜けて行けるだろう?

 小林山王権現付近での心理体験も、親鸞の六角堂の夢告体験も、苦闘の限界点で意識が引き寄せた(られた)一種の<臨死体験>であり、<性>の究極的励起とも言いうる質が予感される。

 松下昇にも同質のエピソードがいくつか自他のメモとして残っている。或る宗教教団の全国的な集会に参加~発言しての帰途、「レットイットビー」の聞こえて来た駅構内で、製作者の意図さえ超える楽曲の極限的イメージ共振して松下は失神する。生活的~身体的<疲労>度もさることながら、自己の<悪霊性の凝視>の果てに、聖母マリア言葉に仮託された或る<誘い>の旋律やリズムが、不可避な彼の<現在>を全的に肯定し包括する<ことば>となって交差したに違いない。

 親鸞小林松下と、勝手に引き寄せた脈絡のない3者の体験に共通するイメージを、私は<極限のエロス>とでも言って見たいのである。おそらくは万人に訪れてくるであろうこういった体験を、各々の生死の際立つ<場>に出現して来る<性>の本質としてイメージしたいのであるが、小林の言う「その一つ一つがはっきり分かっている様な時間」や、親鸞の言う「正定聚」や、野原氏の記す「虚数方向に死を励起すること」とも無関係ではないと思う。<念仏>、否、広い意味での<祈り>の原初性を想像しながら、<死>を駆け抜けて行く自身の<最終>的一句一節を幻視しているのだろう。                 2006.10.30 eili252

noharranoharra2006/11/23 07:10永里さん

いよいよ本格的寒さがやって来そうなこのごろですが、
お元気でしょうか?

永里さんの書き込みは10.30に書かれて数日後に読んだのですが、
返事を書こうと思いながら、長い間書けずにいました。

いまやっと「無情といふ事」を読みました。ひどく短いものですね。
彼が「歴史の新しい見方」といったものに反発していることはよく分かります。
(マルクス主義や進歩主義の歴史観と同時に、皇国主義のそれも批判対象なのか?)
ですが、「歴史の動かし難い形」って一体なんだというのはいっこうに分かりません。「當麻」のように美として語るならまだしも、なぜ「歴史」という言葉を使うのか?


さて、「南無阿弥陀仏。どのようにして? 常に虚数方向に〈死〉を励起することによって。」なんて文章をわたしが書いたこともすっかり忘れていました。

ブログを書くことにより〈自己否定の最も軽薄な意味〉をそれなりに実現しえている、あえて自負として おきます。何をする気も出ずネットサーフィンしているときふと気に掛かった(自己に親和する、あるいは自己を挑発する)文章の断片を引っ張ってきてコラージュするといった手法によって。

「何を言い出すのやらしでかすのやら」仕方のない生きている人間。それをマルクス主義などのさかしらで捉える事への批判がまずある。そのようなさかしらを捨て去って生きている人間の原形質に徹しきったとき、逆説的に祈りや美が生まれる。こう考えると分かったような気もするが、どうなのか?

明確な主張を説得力ある文章で書くべきというベクトルに対し、そうして作られる自己に自足することなく常に垂直方向から自己否定のベクトルを差し込むべきだ。「南無阿弥陀仏。どのようにして? 常に虚数方向に〈死〉を励起することによって。」と書いたとき私が考えたことはこのようなことだったと思います。

>> 発した言葉の実体は、そのままでは無限に広がる関係の闇そのものに呑まれてしまう。言葉も常に「死」を内在させた現象である。野原氏は~虚数方向に死を励起する~積極的な死の内在化を<自由>に直面させよ、と自問する。観念運動に閉じて行くのではなく、開かれて行く「南無阿弥陀仏」の語感から(~へ)の転倒。<<

このように読みとってもらったことに感謝します。

宗教教団の全国的な集会に参加~発言しての帰途の松下の〈失神〉の描写もわたしが全く気付かなかったことでした。

 「あらゆる存在に常住不変の実体は無く、存在とは、我も人も、また神も仏も、例外無く縁起(関係という本質)の現象したモノ、ないしはその変化の態様に他ならない」といった存在概念が基底にある。
「わたしはわたし」といった自同律が動かし難く成立する底には、非我であるところの縁起がダイナミックに動いているといったイメージでしょうか。


永里さんの表現の切っ先にたどり着けない凡庸な対応になりました。
とりあえずの返書 とします。

             野原燐

追記:105円で買ったちくまの小林秀雄集とは、1977年に出た吉本が編集した奴だと思っていましたが、ここには「無情という事」はありませんでした。これは「近代日本思想体系29」であり(筑摩書房日本文学全集42)とは当然ながら違うものですね。三段組のものですかね。
今回はメールでお返事しようと思ったのですが、読み返してみるとブログ上のことに終始しているので、コメント欄にも張り付けます。

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