2016-08-05全教団のメンバーの対等な討論の場で検討する
7ヶ月以上、ごぶさたしていた。
この間、いくつかのできごとがあった。ひとつは、私が兵庫県を相手に裁判を起こしたこと。
これは、取り下げれば私の要求を認めるといったので、3月に取り下げた。
3月から大阪の梅田の隣の中津という街で、弁当屋をやっている〈共同体〉に出会い、すこし手伝ったりした。従業員に給与は払わずその代わり食と住は保証するというシステム。
興味深かったのだが、6月はじめに従業員と中心人物(F氏とH氏)の間で紛争が起こり、なくなってしまった。その解体過程でいくつか文章を書いたりした。
その過程で、〈共同体〉という言葉にであったのだが、松下の志向したのも共同体といえば共同体かもしれない。中津というちいさな情況に対して、私は自分の思想を試されることになった。
さて、今日はひさびさぶりの試み、概念集の1項目をテキスト化、html化、UPするという作業をしてみた。新しいサーバーに引っ越してからはじめて。
世界の作品化から見たオウム
http://666999.info/matu/data0/gainen190.php
さて、これは文章の内容も非常に問題なものである。
テロリストが「人を排除~監禁したり、消去~殺害するとしても、その方針は全教団のメンバーの対等な討論の場で検討し、選出される実行者は実行後に同じ処置を受けるいう原則を確立しておくならば、これまでいかなる国家も反国家集団もなしえなかった救済をなしうる証明となる。」と言っているからだ。
「全教団のメンバーの対等な討論の場で検討する」というプロセスに圧倒的な思想的比重を掛けているのが分かる。〈公開された討論の場ですべてを決定する〉という原則である。
それに対して、討論の場が、「自己批判要求の場」といったものになると、それは連赤の惨劇を招いたものになるという切実な危惧に基づいた批判が、S氏からあった(この文章に対してではなく、中津の会議について)。
その問題をしっかり考えるために、改めてテキスト化してみたが!