松下昇~〈 〉闘争資料

2012-03-03

フィクション(続)

をUPした。

半年ぶりになるが、概念集の項目を一つUPした。

http://666999.info/matu/data0/gainen96.php だ。


半年間いくつかの出来事があった。ここに書けなかったが。


百年前の中国の思想家、章炳麟を少し読んだ。

少し書いたがブログにUPしてなかったので、とりあえず下にUPしてみよう。

で続きでポール・リクール読んでる。

ノヴァーリスの言葉「哲学とはほんらい郷愁であり、どこにいても家に居るように居たいと願うひとつの衝動である」

http://www.shinyawatanabe.net/writings/content529.html

《哲学はある根本気分において生起する。哲学的概念把握はある感動に根ざしており、この感動はある根本気分に根ざしている。》ハイデガー

http://pratiquestheoriques.blogspot.com/2009/05/blog-post_24.html

「私たちは、常に何かから仮装としての偏差を強いられているのであり、」と松下が言うとき、偏差=頽落とも理解できる。しかし郷愁という後ろ向きのものではなく、未来へ、共生の方へ開くことを持続しえた、と思う。


松下における、未来というベクトルを暗示するいくつかの言葉を、私のtwitter転記(発言)から引いておく。

松浦郡の土蜘蛛、名を海松樫媛という。景行天皇巡幸の時、随従の大屋田子に殺される。  杵島郡嬢子山(おみなやま)に土蜘蛛八十女(やそめ)あり。景行軍を派遣し滅ぼす。 彼杵郡(そのきのこおり)浮穴郷の土蜘蛛、浮穴媛(うきあなひめ)、巡幸に無礼。 敬の心なしと滅ぼされる。 逸文風土記


←1977年1月1日、梨木神社で爆破事件が起こった。5日に、加藤三郎は「闇の土蜘蛛」「浮穴媛のこどもたち」名義の犯行声明文をマスコミに郵送した。


←〈大地の豚〉という戦線名のみならず、声明文に出てくる〈闇の土蜘蛛 浮穴媛のこどもたち〉や、〈われらが戦闘のいのちをささえるこの地上と宇宙のすべての精霊たちに感謝と祈りを〉というイメージは、これまでのいかなる(爆弾)闘争における表現よりも原初的コミューン性に満ち、それゆえ未来的な可能性を秘めている。

(松下昇 概念集・7 p4)より


←今までも読んだことがあったのに気に留めず通りすぎていたが、「浮穴媛のこどもたち」とあるこの「浮穴媛」って一体何だという疑問がでてきて、ググると風土記逸文にある言葉のようだ。反抗者として挙げられている名前に女性が多いのに驚かなければいけない。偽史を作る者は誰だ? (野原)


わたしたちは豚のように生きてきたにすぎない。生きることより、秩序や服従を上位に置きたがる者と闘うことがこれからさらに必要であるようだ。