2008-01-14
■ 成長し包括する図書館として
脈絡を記さないが、ある人宛のメールの一部を転写しておく。1/14
原点の確認をしている。
11/27付けのメールに返信が遅れたことをお詫びします。Kさんの書かれていることの具体的な意味がはっきりとは分からなかったのでお聞きしなければいけなかったのですが。村尾本問題を一区切りさせてからと思いながら、一区切りができず返信ができないままでいました。
さて、村尾本問題についてはわたしの「はてなグループーー(仮称)仮装被告団~刊行委員会」の記事
http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13?mode=tree などおよび
http://from1969.g.hatena.ne.jp/noharra/20071011 以下
でたらたら書いていますので、できれば見てください。(村尾さんとの全やりとりがまだUPできていないのが残念ですが)
村尾氏は著作権について「それは我々の誰にもなく、(略)松下さんの創出した情況にしかないのではないですか。」と述べている。
そして、野原が「松下さんの表現過程や、やろうとしてきたことを自分たちか引き継いている、そうしなければならないとと思っている」と指摘し「村尾はそんなことは不可能だと考えます。だいいちネットを通じたお知らせ〜販売自体も、書店販売と同様に表現過程的にはありえないことでしょう。あなたがたも村尾も松下さんの表現過程から切断された場所に一様に蹲っているのであり、村尾はそのことに自覚的であろうと思っています。」と言う。
Kさんに購入していただいたパンフレット群は、松下によって「 これら全ての既刊ないし企画中のパンフは何かへ向かって深化ないし飛翔し、既成のイメージないし形式からはみ出していく過程にある。この動きに参加し、応用する人々の一人でも多いことを願う。そして、たとえわたしが身体的条件などでこれらの作業を展開することが困難になった場合にも、それらの人々が仮装的かつ本質的な刊行委メンバーとして作業を持続していくことを切望する。」という規定を与えられています。
「仮装的かつ本質的な刊行委メンバーとして」という規定を村尾氏の主観が拒否しようがしまいが、その規定は生きつづけていると思います。
ただまあ<刊行委員会によるパンフレット群>というのは、ボルヘスの図書館とはだいぶ違うがでもそうしたものも参照項にしうるそうしたイメージ、としてわたしにとって存在しているような気もしている。インターネットとそのリンクシステムを利用したハイパーテキストとその公開性に何を夢見ることが可能か、と。
「思想も完成も、再生されてくるものです。」というのは興味深いです。だいたい教祖に対しその弟子たちは、教祖の思想を歪曲通俗化したと口を極めて罵られる(後世の研究者から)というイメージから逃れられずにいるのですが、私は。
とりとめない手紙になり失礼しました。
2008.1.14
野原燐
追伸:
(略)
■
彼から教えてもらったことは、村尾本はすでに3まで出ているということ。
それと、示唆されたわけではないが思いついたのは、村尾本の中身を全部ネットに掲載させ、ミラーサイトを造るというプラン。
これは実行していきたい。
(この日の記事は1/27に掲載)