はてなグループ「(仮称)仮装被告団~刊行委員会」のために書いた文章ですがこちらにも転載します。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051210#p3 に引用したが、松下は「自分の関心のある任意の行為や、その持続が何らかの評価を受ける場合、どのような動詞として規定されているかを調べてみること」を推奨している。
松下は
- 授業再開を威力をもって妨害、阻止しようと企図した
- 学生ら数一〇名と共謀した
- B棟一〇九号室に侵入した
- 教壇中央に座り教卓を占拠した
- 登壇を阻止した
- 大声を発した
- 第一時限目の授業を不能ならしめた
- 威力を示し同教授の業務を妨害した
とずいぶん悪いことをした、ようである。それに対し
(国家が)逮捕する。
という反動(抵抗)が起こってくる。
で、10年、20年かかって裁判をしても結局「悪いものは悪い」というが確認されるだけだったりする。だったらあの膨大な時間と文書量はなんだたのだ!
立川ビラ配布訴訟の被告人大西さん他、だけでなく、この間取り上げた、早大ビラ撒き逮捕者も、市議戸田氏も、ビルマ人スージーさんも、WTO逮捕者も、わたしだけでなく普通の市民の感覚からすると「悪いことはしていない」。
それに対し松下は「悪いことをした」。もちろん、わたしは松下支援者だから(過去形だが)「(本当は)彼は全然悪くない」と言いたいわけである。だがそのためには手数がいる。それに対し大西さん他は最初から全然悪くないわけだ。であるのに少なくとも長期間拘留されそれを覆すことができない。
ここでわたしたちは二つの問いに出会う。「悪い」とは何か?国家とはなにか?
教壇中央に座り教卓を占拠した
という事実が、悪であり、刑罰に値するのか。
それとも
第2527号
(略)
昭和四五年五月四日
というオーソライズされた書類が悪を名指すのか。
現実を作っている二つの面のうち、後者が透明化され自明とされること。そのことによって国家という抑圧体制は存在している。