(4)
この取り組みは生涯をかけるに値する作業だと身に沁みているので、我々にとっては刊行作業~配本の宙吊りは絶対にありえないことなのです。どこからの宙吊り要請であろうとも、腰砕けにはならない覚悟を持っています。
(ゲラp246)
語調はきわめて強いが、根拠の空洞を隠蔽するために強がっているのではないか?だいたいかっての村尾であればこれだけの材料があれば数百頁に渡って考察を繰り広げたはずだが、今回総括部分の考察はわずかに1頁強。自分を信じて突き進む点では同じでも信の中身が空洞化しているのだろう。
「そして……いまの刊行作業に行きついている。」と村尾は語る。
刊行作業とは何なのだろうか。村尾にとって。
××書店 御中
貴書店で販売されている「村尾建吉著もしくは村尾建吉編・著」の『存在と言語』については下記のような問題点があります。
松下昇気付刊行委員会が作成配布していたパンフの著作権は現在(ご遺族を含む)刊行委員会に継承されています。自らを刊行委員会として開いていく意志を持たない村尾氏は、松下あるいは刊行委員会の権利を侵害し、松下の著作についても自己の著作であるかのような形で本を出版してしまいました。これは刊行委員会の原則だけでなく現行の著作権法にも違反する行為であることは明白です。
直ちにその本の委託販売を中止されるよう要請します。
この点についてご検討の上、当該書籍の販売について貴店のお考えを文書でご回答ください。
いま上記のような要請文を考えた。*1
これは「刊行作業の息の根を止める宙吊り要請」なのだろうか。だいたい「息の根を止める/宙吊り」というのは対立語である。松下は宙吊りという言葉を愛好した。「息の根を止める」といった大げさで実現することができないことばが、マイナーな目標を追求する小さな共同体を強化する二次的作用を持つ故に愛好されるといった事情を憎んだ為もあるだろう。
(5)
「あるべき掲載」と「あるべきでない掲載」の基準を超えて、「間口の広さ」が追求されなくてはならない。 ゲラp252
いやこれはもう清濁併せのむ自民党みたいな論理であり、論理からの逃亡と批判されるしかないだろう。
(6)
「このことに関連して、『存在と言語』第二巻以降、「松下昇〈全〉表現集」の明記もしない。また『存在と言語』第一巻の村尾建吉著を訂正し、『存在と言語』全巻にわたって、村尾建吉編・著」とする。」ゲラp258
と村尾は書く。
しかしながら、著作権(常識的解釈の)に配慮すれば、第一巻や それと同じくらいの分量の松下表現を含む本を村尾が独断で出すことは不可能である。小細工でごまかせる問題ではない。
(7)
7月に話合いの場を具体的に設定したい。追って連絡します。
「わたしたちとの話合いがつくまでこの本の配布を宙吊りにせよ」と再度要請します。
6月22日までに回答がない場合、おそらく上記のような具体的要請を書店に対して行います。
2007年6月9日
野原 燐
*1:eiliさんの原案を大きく修正