昨日、二つの郵便物が届いた
坂本さんからと村尾さんからだ。(いま「さん」と呼びかけて分かったがお二人に会ったのは私が21歳の時の自主ゼミでだった。)
<坂本>こと~ さんからのには、「言葉の質量をさかのぼる」「<“衆己”>の前史をさぐる」と、相変わらず初めてみる言葉と語法がある。「いつ頃からだろう?<あれ>を探していた」・・・
さて村尾さんからの封筒は大きい。「偏らないようによく注意した結果、このような形になりました」という文章を読んで、わたしは<初めて>深い強い怒りを感じた。
「『存在と言語』第2巻のゲラ刷りですが、往復書簡のやりとりの部分を送ります。」
『存在と言語』については、すでに1/13付けで「わたしたちとの話し合いがつくまでこの本の配布を宙吊りにされるよう要請します。
http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/13/9 」との要請を送っている。
その要請を拒否したばかりか、その要請を含む私の文章を「本」として出版しようとしている。
おそるべき権力性への居直り をわたしは感じた。
明日になればジュンク堂ほか2,3の本屋を回り、村尾との取引停止を要請しようと考えた。もうすぐ行かなければならない。
しかしながらいま書いてみると、わたしの怒りは「出版が権力である」限りにおいて成立しているのか? 「出版が権力である」ことは村尾本のようなほとんど売れそうもない本においても真実か。 「権力」というなら、私がこの文章をUPしようとしているインターネットも権力であろう。
誰も読んでくれなくても良いと思って安易にUPしてしまっているが、読んでくれる人は永里さん以外にもおそらく10人以上はあるだろう。意外と読まれているかもしれない。一定の影響力はあるのだ。
わたしがやっているのはすべて無料のブログや掲示板であり「誰でもできる」ことである。しかし実際には誰でもできるわけではない。ネットの中でだけ考えているとこの落差は見えないがこの権力差は歴然と存在する。わたしはこの掲示板でも村尾発言を引用し批判しているのだから、村尾が彼のメディアで同じ事をするのを否定するのはおかしいことにならないか?
確かにそれはそうだ。そうではなく、
第一巻の松下(彼は死んでしまっているので反論できない)テキストの転載を批判した野原の論理に対し理の通った反論を提示できないにもかかわらずその行為を止めようとしないことに、私の怒りは向けられている。
さて、ところでここに対する野原の書き込みが4ヶ月半近くも途絶えていた理由を考察する必要もある。
α:野原の別名問題。
β:相続人の権利の問題。
γ:??
である。
で村尾からの「ゲラ」読んでみる。 朝食のあとに。
さて村尾氏から送られてきたのは、「後記」のゲラp226-259 34頁、17枚(A41枚に2頁)。
p226の最初の行は、
「※ 第一巻の刊行後、次のような批判が寄せられ、それに対する反論を返すというやりとりが続いたので、そのままここに掲載しておく。」である。
p259の最初の行は、「* 椹木野衣の秀逸な大竹伸朗論」云々とある。おそらく、この*は※の誤りであり、p226からp258の最後の行までが一つのパートであるのだろう。
さて以下に今回読んだ紙片から2点だけ触れておきます。
村尾氏 4.05付けに
「村尾は単に「書くこと」を続けているだけの人間であり、かつてのビラや資料をコツコツと拾い集め、並び替えて本をつくろうとしているだけの職人にすぎないのであって、」p251
この文章は(少なくとも主観的には)50%以上の真実があるのだろう。書くことについて、自分の書く態度を確立しているとはいえない野原から見ると、尊敬を交えた他者性を感じる。ただ村尾氏は松下から「長すぎる」と批判されていたが、書くことは得意でも編集し読者の前に提示するのは得手ではないのでは。だとするとだとするとその気がなくとも、松下の悪しき村尾化を提示することしかできないのではないか。(この批判は野原に返ってくる)
「松下をめざさないなかで〈松下昇〉に出会う未知=途を探し出そうとする、というのが村尾の考えていることである。どうがんばっても、村尾は村尾以外の存在にはなりえないし」p251
「松下をめざさないなかで〈松下昇〉に出会う途」という修辞はわたしも自称してもよい。ただし「野原は野原以外の存在にはなりえない」とはどういう意味なのだろうか? 自己を思想的あるいは文学的だと思っているのでないとこうはいえないのではないか。意識からではなく外側からみればたかだか定年退職ですら私の存在様式に大きな影響を及ぼす。そんな風にとらえる方が「存在様式の変換」という松下の発想に近づけるように思っています。
・・・