昨日、子どもが釣りをしたいというので海に行った。空があり時折海鳥が舞う。夕日が海面を照らす。私という時間。わたしは本を読み、それだけでなく小さな音楽プレーヤーから音楽を聴き続けた。私は何を恐怖していたのだろう。私という時間を恐怖しているのか。
(以下 をいったん削除します。)
〈表現のむこうへ〉
斗争の期間に、自己の固有の表現を、ビラや落書きや…… によって提起し、その意味を最後までになおうとする者いがいを信じるな。自分の斗争スローガンを発見するまで、きみは斗争していない。
一九六九年九月一六日 松下昇
わたしの固有の表現をわたしはいまだ発見していない。わたしの固有の表現を求めるのは愚かなことだろうか? 表現とはテキストを生み出すことであり、テキストとは引用の織物である。というポストモダン的定義を私は受け入れてきた。 自己表現というつつましやかな夢をあざ笑うことは、生きることは国家という意味であるという主張すらまねきよせてしまう。わたしたちは敗北*1を受け入れよう。私たちは神なしで生きることができないと認めよう。
〈わたしの固有の表現〉を私は求め続ける。
*1:君たちの意味する敗北とは180度異なった物だが
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060507
■しばらく留守にします
コメントなどへの応答もゆっくりになると思います。
申し訳ない。
■「愛欲の広海」にさ迷いながら、
わたしの今ここの生こそが肯定される!
わたし自身の斗争スローガンを発見せよ、という命令が、わたしの南無阿弥陀仏である。
欲望を否定しなければいけないという命令を立てたとすると今度はその命令が逆に(朱子学のリゴリズムのように)わたしたちを抑圧してくる。否定自体が無明に転化するみたいな感じか。
そこで悪を恐れるな!*1といった意見も出てくる。禁止や倫理自体から自由になる必要がある。
それはそうなのだが、それだけでは足りない。私たちはすでに囚われておりそれから自由になる必要がある。
GW連休にずっとパソコンの前に座っていたのに何も成果が無かったので、
5/7にブログで非存在宣言をしました。というか、
「■しばらく留守にします」といういかにも遠慮がちなものでした。
まあその根性がないということなのか、中毒関係から抜けられないということか、ネットに対する非存在宣言はすぐにおざなりなものになってしまいました。
・・・
でこれからどうしようかな。
・・・
昨日、子どもが釣りをしたいというので海に行った。空があり時折海鳥が舞う。夕日が海面を照らす。私という時間。わたしは本を読み、それだけでなく小さな音楽プレーヤーから音楽を聴き続けた。私は何を恐怖していたのだろう。私という時間を恐怖しているのか。
ところで、ブログは日記に似ているが、日記が自己と向き合い自己を構築してしまうツールだとすると、ブログは逆に自己を言説(自己のコミュニケーション可能な地平)に平板化し自己と向き合う恐怖から逃亡するためのツールだといえる。言えるかもしれない。
恋人を裏切る最高の方法は、十年待ち続けることである。そのとき他者(生きていてあなたの意のままにならない)は消滅し、あなた好みの恋人像だけが残るだろう。偉大な人が死んだ後も同じだ。弟子たちは十年間沈黙する。師の思想を語らなければならないが語ることができない。おまえの発言はわたしの思想からの逸脱だと叱責する師の声が、薄れていくのを十年間待ち続ける必要があったのだ。
そうであるとするならいまさら松下について語ることになんの意味があるだろう?ある核心が死滅した後に、ステージが回り小人たちがしゃべりはじめる。
しかしながらそれが嘘だと私は知っている。わたしの私としての自主ゼミの展開が、たとえ稚くとも一つの核心がそこには確かにあったのだから。
その祈りあるいは核心とは何だろうか? それを直ちに問う前に少し迂回しよう。
これまで見慣れた拠点や人間を〈初めてすれ違う〉感覚で把握し、自己や他者の軌跡を六九年から現在に至る〈 〉過程の全テーマとの関連において、大衆団交位相で(いいかえると、関わりのある全ての人に公開され、声をとどけようとする深さで)共同検証するプランが必要ではないか。
(いいかえると、関わりのある全ての人に公開され、声をとどけようとする深さで)
「深さ」あるいは「祈り」という態度は禁じられているとする俗流ポストモダニズムを私は受け入れていた。というより、若い頃からある思想を思いこみによって深めていくといったスタイルに私は嫌悪しか持たなかった。思いこみを硬直させることと祈りを深めることは何処が違うのか。祈りとはある思いを、自己から解放し世界に関係に開いていくことであろう。私は訪ね尋ねなければいけない。〈何か〉が死滅する前に。
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以上はたぶん5/6くらいに一度UPしてその後、削除したもの。
「削除」は何の為になされたのか?
人と人との言語コミュニケ-ションによる相互理解を否定するわけではないが、いやむしろその不足を攻撃するが、それを拡大することによって世界や小宇宙の矛盾が解決するとは全く信じていない。この点について加藤三郎氏たちとわたしは同じだ。だが彼らは人と人との言説を超えたコミュニケーション(セックスを含む)や神秘体験を体験しその厚みを知り肯定している。それはある種の体験を神秘化し祭り上げることではない。それに対しわたしにはその種の体験の分厚さはない。しかし言説のなかで〈外〉なるものを執拗に語り続けるとか、希望を持ち続けているとか、いわば否定神学的構えが身に付いているとかいうわたしの構えは、神秘体験無き神秘主義者とも言える。
このようなことが今度分かった。ような気がした。
参考:
去年はこう書いたわけですが、
GW連休にずっとパソコンの前に座っていたのに何も成果が無かったので、
今年も同じでした。というか7日もあった休みのうち、パソコンの前に座って松下のことを考えようとしたのは半分以下の日数でしかありませんでした。
1日は三田の湖にバス釣りに息子を連れて行き、1日は神奈川県で親戚の寄り合いがあり行ったので、残り5日は暇だったのに。
久しぶりに、概念集5から「裁判提訴への提起」というのをキーワード登録しました。
実は、4/13から、わたしは、もう一つのhatenaグループ「従軍慰安婦問題を論じる」を発足させました。そこに熱心に書き込んで居たわけです。その熱意は虚偽ではないものの、自己の存在根拠を賭けてとは言えないものであり、であればいったい何なんだ、ということにもなります。
元「従軍慰安婦」が国家を訴えた裁判に最高裁で敗訴判決が出た時に、
「10年を費やして最高裁から「NON」という一言を貰うためなら、わたしの人生とは何だったのか? いままでに数千人(以上)の人たちがそう自問した。
その問いに対する答え(へのきっかけ)が上記にあるかもと思い、突然だが引用した。」
と考え、「裁判提訴への提起」の一部を引用したのでした。
元「慰安婦」を原告とする裁判に関わるなら、当該(元「慰安婦」)と私との対等性というものを、何としてでも確保しなければならない。不可能に近いそういうことがそれでも必要だ、というようなことをぼんやり考えたのでした。
現在の裁判提訴の総体的な状況を見ると、被拘束状態にある人がおこなう裁判提訴としての〈獄中訴訟〉が私たちの裁判把握の本質に最も近い。
裁判提訴への提起より
連れて行かれたところは、とても明るい部屋だった。机の上には缶詰、すいかなどが置いてあり、昨日私に笑った木坂という隊長がいた。隊長は私に『食べろ』と言ったが、私は『いらない』と言って、そこに立っていた。彼はまた私に『そこに座れ』と言った。彼は食べ終わると、私の体を洗った。洗った後彼は私を犯した。私は幼く、何も分からなかった。*1朝になると、また辺高和が来て、私を農家に連れ戻して監禁した。
そして、この日の昼間に大勢の日本兵が私のいる部屋にやって来て、強姦された。それは本当につらかった。夜になると、また隊長のところに送られて、昼には兵隊たちがやってくる。
半月ほど過ぎると私は病気になった。体がもうだめになったと見ると、彼らはやっと私を姉の家に返した。
(郭喜翠さんの話)『ガイサンシーとその姉妹たち』ISBN:4816606106
被拘束状態の最も酷い例として、郭喜翠さんの場合を考えることができる。
しかしながら、中国大陸と日本という距離、戦後60年という時間的隔たり、にもかかわらず、彼女が「被拘束状態にある人がおこなう裁判提訴」を行うことができたというのは、奇跡的な出来事だと評価しても良いのではないか。
安倍首相の「慰安婦」問題での「謝罪」は、彼のレジュームチェンジの根拠が空虚であることを明らかにした。
それはまた、「被拘束状態にある人がおこなう裁判提訴」という松下の方法論の、ある面での勝利だ、と考えることもできるかも知れない。
*1:15歳だった