Hatena::Groupfrom1969

裁判提訴への提起

裁判提訴への提起

裁判提訴への提起


 解雇処分を受けた場合に地位確認の仮処分申請や解雇取消の請求を裁判所の民事部へ書面でおこない、法廷で処分の不当性を明らかにする方法をさすことが多い。もちろん裁判提訴の一般的な概念としては、警察ないし検察へ何かの事件の被害者として告訴したり、何かの不正を知った公務員として告発することを通じて刑事裁判を成立させることも広い意味で(かつ、身にしみて影響を受けてきた私としては特に)裁判提訴の範疇に入るし、民事においても、弁護士会などの無科法律相談に持ち込まれるテーマは離婚や交通事故が多数を占めており、これらのテーマが大衆にとっての裁判提訴のイメージに密接に関わっていることは確認しておいた方がよい。


 このような確認の範囲からすると、冒頭でのべた解雇処分などにおける裁判提訴は先進的かつ自明の対応と視えかねないけれども、六○年代末以降の闘争過程においては必ずしもそのように把握されてきていない。共産党は別として、闘争参加者の基本的な姿勢は、活動の全領域において裁判所を含む国家権力の介入や、それへの依拠を拒否することであり、この姿勢は処分に対しても、流血を伴う党派闘争においても維持されてきた。私自身も七○年の懲戒免職処分に対して取消請求の裁判提訴をこれまでおこなってはいず、それは前述の姿勢の根拠への共闘からであるが、しかし、だからといって他の人の処分に対する裁判提訴を否定的には判断していない。判断の基準は次のようである。


(1)裁判提訴が闘争の問題点を闘争現場を越える広い場へ拡大し、その波動を闘争現場へ還流させうる時には意味がある。(ただし、現在の裁判制度や裁判官の良心を無批判的に信頼して勝訴を期待するのは論外であり、結果的に勝つためにもこれは鉄則である。)


(2)〈民事〉への裁判提訴は、できれば自分が〈刑事〉事件の被告人となった後で(A)、法律の専門家である弁護士に依拠せずに(B)おこなうのがよい。(A)は時間的な前後というよりは、存在の仕方の前後でいっている。なぜなら、現場ないし法廷でいつでも国家の秩序や法と闘う準備のあるレベルでこそ、裁判提訴によって(さえ)闘争の意味を深化~拡大させうるからであり、(B)は、大学闘争の世界史性は専門のジャンルの解体を前提としつつ法の体系と秩序に立ち向かうことを不可避とするからである。(ただし、この意味を部分的にせよ共有する弁護士との共闘の可能性は残しておく。)


(3)大学闘争とよぱれるものの特性の中でこの項目と関連するものを指摘すると、問題点をとらえる方法自体の情況性や自らの関わり方を問題点に繰り込まざるをえない構造に出会ってしまうことと、発端の問題点を追求する過程が新たな問題点を作り出していくことである。従って、発端のレベルで裁判提訴に意味があるかどうかを固定的に判断するのでなく、裁判提訴を媒介~逆用して何を作りだしていくかということを常に構想している必要がある。この場合、波及効果の範囲を事件の幅だけでなく、可能な限り広く深い領域との関連で構想し、成果を開示していくことが望ましい。(なお、環境破壊原発、選挙権などに関する共同訴訟の可能性と限界については直接討論したい。)


註一

 私の場合には七〇年一〇月の処分以前の同年五月に学内の〈事件〉を仮構する刑事事件の被告人として起訴されており、休職処分を飛び越して一挙に免職処分の理由にされた。この処分に対しては、前述した根拠から民事事件としての提訴はしていないが、(a)七○年処分直後の人事院への提訴

(b)七一年~の国からの研究室明渡提訴への対応

(c)八○年~の国と人事院を相手とする損害賠償等の提訴

(d)八三年~の国と京大を相手とするA三六七号室使用妨害排除請求の提訴

(e)前項から派生する国ないし他の参加者からの提訴への対応

はおこなってきており、民事事件と無関係ではなく、むしろ大いに関係がある。


(a)のねらいは、いくつかの国立大学の処分を(地裁民事の管轄範囲を突破して)全国レベルで統一的に問題化することと、任意の参加者が制限なしに被処分者と同等の訴訟行為の可能な代理人になれるという規定を最大限に応用することであり、処分の取消は中心目標ではなかった。これを中心目標とした代理人(例えば、東大の折原浩)は、私たちのねらいの情況性を理解しえないまま失望して去り、逆に、狭い政治意識に拘束された者は(a)以後の闘争過程のダイナミックな戦略に気付かないまま生活(ないし六九*1以前のレベルの活動)の波にのまれて行く。

(b)は国が研究室の明渡の仮処分を裁判所に提訴したことにより開始され、私からの異議を申し立てを対応条件とする公判と、国からの新たな提訴(本訴)による公判が重層して七○年代を横断し、初期の段階には予測できなかったほどの様々のテーマ(闘争を全幻想性領域との関連で深化させる試み、n次闘争との交差など)を引き出し、大きい成果をもたらしている。それぞれ今後も開示していくが、n次闘争との交差について素描すれば、研究室を拠点とする活動が刑事事件とされ、研究室に関する民事事件の記録が刑事事件や人事院審理の主要な証拠資料とされたことに象徴される。

(c)は(a)に関する審理が十年間も中断されている事態を関連する多くのテーマの宙吊り情況と共に止揚するために、また裁判を含む活動を東京へも拡大するために展開した。法廷での訴訟行為は制裁と起訴の対象とされたが、国家の抑圧過程をもテーマの発見と深化の媒介として逆用している経過は、(d)の場合と共にこれまでの概念集などで示してきているので、ここには詳しく記さない。

(d)と(e)、特に後者は国家の抑圧過程だけでなく、外見?は反国家的な人~関係の頽廃状況をも批判しつつ、(a)以降の全テーマの総括をめざしてきた。


二  前記のa~eの経験と意味を普遍化して現在の裁判提訴の総体的な状況を見ると、被拘束状態にある人がおこなう裁判提訴としての〈獄中訴訟〉が私たちの裁判把握の本質に最も近い。当面は獄外にいる私たちが、これから何かの契機や必然から裁判提訴に関わる場合にも、〈獄中訴訟〉の位置と共闘しつつ、また、具体的な拘禁施設にいないとしても対応する別の〈獄〉にいる意味を自覚しつつ、二つの〈獄〉の統一的解体をめざしたい。これこそ裁判提訴の本質的展開の必要条件である。


松下昇「裁判提訴への提起」 p25-26『概念集・5

*1:ママ 「六九年」つまり1968~69年性の運動の意だろう。(野原)