http://from1969.g.hatena.ne.jp/bbs/8/12 の続き
今日はどうしても書かなければならないことがあるという気がしているのだが、もう夜になったしどうしたものか。
タイトルは「掲載の困難性について」とした。わたしたちは概念集などの仮装被告団~刊行委員会がかって刊行したパンフ類を、コピーし、販売し、またはこのサイトに公開しようとしてきた。そのような作業をかりに掲載という言葉で代表して書いておく。作業を進めようとする気持ちとは裏腹に、その作業が孕んでいる困難の度合いが増しているのかもしれず作業はいっこうに進みません。(実際には作業は進めていきます。)
この問題を考えるために{時の楔}に関するレジュメという文章を読んでみる。これは1978年に<占拠中のドイツ語ゼロックス室>気付{自主ゼミ}実行委員会 によって編集~発行されたわずか16頁ほどの薄っぺらなパンフである『時の楔 < >語…に関する資料集』の主要な部分を占める文章(レジュメ)である。
{時の楔}とは何か。色々な答え方が可能であろうが、いま私たちは「掲載の不可能性」というテーマを考えているので、わたしたちが、このサイト(グループ)で行おうとした「掲載」活動“がつくりだし,同時に出会っている<資料>の対象化作業の一形態”がそれである、と答えることもできるのだ、と考えておく。
{時の楔}というものは、規定されているのかと思うと平気でそれを飛び越えるかのような不定形で人に不安を与えるもの、という印象を与えてしまうのではないか。わたしたちは例えば金を出して本を買うことにより、本を読むのも読まないのも百%「私」の自由である、といった私の特権性を手に入れる。しかし本来わたしたちは現実つまり関係性のからまりの中にしか生きていないわけであり、関係性から自由な主体でありうるという前提は虚偽なのである。「すでに自らもその出現過程にどこかでかかわってしまっているのではないか,という位相に自らの関係性を発見していただけれぱ幸いである。」という発想は、丁寧な語調とは裏腹に押しつけがましさを感じさせるが、そこで直ちに拒否感に走るのではなく、「自由な主体」というアプリオリを疑ってみるという示唆を受け取るべきである。
なおこの文章では、<占拠中のドイツ語ゼロックス室>が強調されているが、これは1978年現在において占拠中であったがその後排除されるという経過をたどる。概念集3のp20「空間や留置品と共に成長する深淵」(未掲載)などを参考のこと。
(続く)