不確定な論文への予断


 
 たえず一定の照明の下に監視されている空間で、自問した。……帆はなぜ美しいか。風を孕んでいるから。

 この詩を絵にかいてみるとすれば、使用する色彩が、ある系列にかたよってくる。

 万里の長城を構築する無数の手のような動作を文法的に構成すると……。

 複雑な機械を媒介とする学習から得たのは、聴かないこと、聴かない方法を身につけることであった。

 語学の時間へ、私はクラス討論の場として外接し、かれらは体制内の睡眠の場を求めて内接していた。

 例外ばかり系統的に教えてほしい。その間に私は、一ばん意味のあいまいな言葉や文章をさがしていたい。

 二クラス分再履修して気付いたこと。各クラスで、それぞれちがった教科書、教え方をされているようですが、それらの交差点に何かをねらって、むしろ自分のための仕事の素材として授業を扱っているのではあり ませんか。
 
 この作品には、数種類の翻訳があるので、それら全てを友人たちと一緒に比較対照し、各々の日本文のズレが、一つの原文から、どのように屈折しながら発生してくるか調べてみた。そのような個所は驚くべき数に上り……。
 
 数ヶ月の間に教室でよんだ数個の短篇に共通して、一種の運動様式のように現れてくるイメージは……。

 この詩人のやり方で私のたどった遠い夢のような運命を図形で示すと……。

 私は、いま、かれのことばを訳しているのではあるが、同時に、かれによって、そのことばをかきうつさせられているように思える。……仮説とは、建築に先立って作られ、建築が完成すると取り去られる足場の ようなものである。これは、そこで働いている者にとって不可欠ではあるが、かれはその足場を建築物とみなしてはならない。

 授業と関係なく思い知らされたことは、次は何かという模索のみが次の対象をつくり、その逆ではないことである。

 誤りを含み、拡大する私の行動は、なぜきびしく批判されないのだろうか。私の立場にいくらかの正しさがあるのか、私の苦痛に対するいたわりか、口にするとなれあいになってしまうのか、本来、無視にしか価し ないのか、……分らないので再び行動に移る。

(たくさんの記号や、文章の滝)

 忘却していた副詞句などの群が、綿毛のように降ってくる。あのことばは、冒頭と結末で使用方向が正反対になっているはずだ。
 
    〈・・・・・・〉
 
 
 十数種の生物の眼の行列に似たそれぞれの表現は、私のかいたものではなく、学生諸君から私にあててこの数年間に提出された答案やレポートや書簡の断片であり、それらが私の記憶をとおつて再現され、その記述のしかたに私が介入しているにすぎない。語学を媒介にして、このような表現がうまれてくること、少くとも再現されてくることは一見、奇妙にみえるけれども、ほんとうは、語学を媒介にしているからこそ、これらの逸脱が可能 になり、関係あるものたちの存在基盤も逆照明されてくるのではないか。

 このような抽出の流れを、まだ数十倍にもわたって持続できるけれども、いまは、いくつかの理由によって中断する。いくつかの理由のうち最大のものは、もちろん、私が、この不確定な論文をかきつつあるということである。
 
 十数個の抽出した例は、私が数年間に接した表現の量からいえば微少であるが、抽出の仕方は、数年間に接した全ての表現の質に対抗しうるはずである。それは正確さという意味ではなく、いま発表しうる範囲内で任意に、十分な資料や記憶なしにおこなわれたということによって一層そうである。
 
 十数個の例に抽出したまま中断したことによる欠落を鎮魂するかのように、以前、教科書の中でも出会った文章がいくつか想起されてくる。

 それらの表現が、全体としてまとまりをもつようになされていさえすれば、個々の表現は断片のままであってもかまわない。
 
 私たちの宣伝の利益のためにも、私たちにとって解決不可能とみえる問題の一らん表を作ってみることはできないだろうか。
 
 そして七年後、人間のいない戦場で絶望的な闘いをしている青年のもらす言葉を聞いて理解できる人は禍なるかな。
 
 以上の三つの文は、それぞれ原文とは対照しないでおく。というのは、有名な人間たちの表現と、無名の学生諸君の表現とを私の不確定な想像の中で均衡させたいし、また、この論文では、何故か一つも固有名詞を使用したくないからである。
 
 おそらく私のやりたいのは実在としての資料に迫りながら不確定な表現の意味を体系化したり、統計化して何かを論じること以上に、このような試みが、私にとって、あるいは、私をとりまく世界にとって、何の、どのような喩であるのかをとらえることである。この推測すら不確定なのであるが、少くとも、いままで私のおこなっている作業が、不確定な主体による、不確定な表現を、不確定な方法で展開しつつあるということは確定的である。

 数年間にわたって、答案、レポート、書簡をどの表現を私に与えた表現主体は膨大な数になる。しかもそれ自体、全学生の極小部分にしかすぎない。かれらは、はじめに教室へ数十人の群に機械的に区分された存在として半年の周期で現われてくる。私は今まで授業や個々の存在の、かすかな記録としての答案やレポートを、早く処理し、眼前から去らせる対象として扱ってきた。 しかし、これら全ての表現主体のとらえがたさ、不確定性は何か花束を投げこまなければすまない性質をもっている。更に、数多くの、私よりも本格的な論文を無意識にせよかきはじめている例、私よりも激しく、記号や空白を残している例の中に、自分の仮装した問題を見出さざるをえない。 そして同時に、一すじのためらいが残る。即ち、私に刺激を与えた表現は、膨大な全ての表現から主観的にとりだされており、更に、一切の表現は出題における私の主観的な形式、内容の制約された上でおこなわれ、評価されている。また、個々の表現者は、他の表現を展望しえないのに、評価者である私にはそれが許されているという位相のズレがある。 勿論、このズレは逆用可能であり、表現論、組織論、情念論その他へ飛躍もしうるのであるが、まさに可能であるところで最悪の壁に衝突する。バリケード内の落書にくらべてどうしても本質的な課題と思えない。そのため退屈な授業をきく学生のように、私は、祭の対極に近い生活のすきまを偶然かすめて通る、この論文のテーマをもてあましているのである。
 
 いや、おそらくこの関係は逆にとらえるべきであろう。さまざまの領域で閉塞を感じている私は、偶然かすめて通りすぎる、どのような対象からも、この論文のテーマの根底を流れているような調子で、何かを論じようと思えば論じられるような段階に追いつめられているのである。私だけではなく、おそらく私にふれてくる一切のものが。従って、先に述べた不確定さ自体が情況的な音速性を帯びているはずである。
 
 この論文のはじめには、十数個の例文しか抽出していないけれども、かりに私にとって時間的だけとは限らない余裕があれば、そこに提出されるのは、試験、レポートなどの表現、その分析だけにとどまらない。この分析をやりながら、必然的に、試験の存在理由、語学教育の条件や研究との分裂に関する批判、他の教育労働や非教育労働との比較、使用した教材、授業のやり方に反映している体制や表現過程の構造などが問題になってくるであろうし、素材としての表現も、語学から、はるかに速い領域まで包括されてくるであろう。
 
 このようにひしめき合う問題群を断片的にせよ止揚していく方向があるとすれば、それは何であろうか。全てのやりたいこと、やらねばならないことを、重層的な一つの仕事として展開したい私にとってこの論文をかかせている契機を追求してみよう。
 
 この文章より一年半前にかいた 「〈第n論文〉に関する諸註」 との連続性および飛躍の問題がある。「〈第n論文〉に関する諸註」が自分の研究領域の表現を総括することによって何かを語ろうとしているのに対し、いまかこうとするのは、その後の過程を基本的に動かしている生活の場、とくに労働の場において、いや応なしに接触する不確定な表現を総括することである。 ここから何を開始するかは不確定であるにしても、その不確定さの発生する場所から尖端に至る過程で交差する問題は、極めて多岐にわたる。それは〈……〉のむこうの全てだといってもよい位である。その領域に突入するのは、やりたいことであり、やらねばならないことでもある。そして、この二つが一致するのは、白昼のように暗い季節には大変めずらしい現象である。
 
 私は、さきほど、歯の痛み程度のことでも、全情況の課題と優に対抗しうることを発見した。そうであるとすれば、私は、この文章の方向係数となっている不確定性をかみしめながらことばの私有制を変革し、ことばのむこうへはみだし、〈……〉論の枠を突破するであろうし、そこが不確定性の原理を真に応用する世界であると予断しておきたい。
 
 この予断を深化拡大していこうとすると、私の運動を支えている文体はその不確定な軽さを増大していくようである。軽さという場合、支え、運ぼうとするときの感覚と云うよりは、吹きさらしの断崖に立っている感覚に近い。対象にとりくもうとしながら抽出に抽出を重ねる操作をしてしまう私の内的な流れ、一方、その操作を一層加速させるように迫る外的な力。私は言葉を失って立ちつくしてしまうのであるが、不思議に明るい気持で、この瞬間は、ある詩の一行から無限に語り続け、行動し続ける時間と交換可能であると思い、また、この状態は、一種の権力に対する黙秘と同じ位相にあるとも思う。では、その詩はどこにあるか、その権力を打倒するために何をなすべきか。

 いま、この原稿用紙にかくという次元ではその追求を中断せざるをえない。私は何を表現したのであろうか。不確定さの極限からいえることは、私のかいてきたことと、かかなかったことが、相互に本文であり、註であること、および、この補完関係が、研究論文以外の領域でも私の根源的な怒りをよびおこし、それを突破する作業の原動力になることである。
 
 この予断が、既成の表現形式から制約されるのではなく、創り出すように、方法的に孤立して収束するのではなく、全体性や他者の活動を包括するようにしなければならないし、その一歩は踏み出されている。まさに、そのために、ここで筆をおこうと私は決意する。

(表現の時と場所: 神戸大学「論集」2号 1969年3月)
(『松下昇表現集』 p165-170)


(参考 野原燐 不確定な予断からの波紋)

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