不確定な予断からの波紋

野原燐      


松下昇の「不確定な論文への予断」(1969年)は、六頁くらいの文章で、数行ごとの断片の連鎖である。断片一つ一つに註というか自由な感想を付け加えてみた。

   たえず一定の照明の下に監視されている空間で、自問した。……帆はなぜ美しいか。風を孕んでいるから。

フラグメンテという言葉がある。英語の辞書を引くと、fragment かけら、断片、断章 とある。ついでに言うと、fragile こわれやすい と fragrance 香り の間にある。フラグメンテというのは普通の文芸用語だと思っていたのだが、そうではないようだ。googleではわずか735ヒットでそれも過半がパソコン用語のフラグメンテーションである。それでもgoogleはたいしたもので、フラグメンテは文芸用語だがむしろ戦前のものらしいと分かってきた。「ノヴァーリスは二百年も昔のドイツの詩人だが、戦前の若者にとってノヴァーリスの「青い花」と「フラグメンテ」(断片集)は青春の象徴でさえあった。」

えーとここで、ベンヤミン『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』を引きながら、ドイツロマン派の人間創生論が(ハイネを経由して)松下においていかに大きく再生してきたのかを論じたいところですが、次の機会にします。(ところで、松下がドイツロマン派にシンパシーを持っていたとは聞いていません。)・・・ ドイツロマン派と松下の共通点を確認しておくために二つのフラグメンテを引用しておくだけにします。

哲学しようという決意は、奴隷解放の行為でありーーわれわれ自身に向けた攻撃となる。  (p195 ノヴァーリス全集1)

ありきたりのものに高い意味を、普通のものに神秘に満ちた外観を、既知のものには未知のものの尊厳を、有限のものには無限の仮象を与えること。逆に、いちだん高いもの、未知のもの、神秘的なもの、無限のものをあつかう場合は、結合によって対数化する。するとそれは、なじみの表現を獲得する。(F・シュレーゲル) (p180 「ロマン主義の誕生」isbn:4582841937)

「不確定な論文への予断」からフラグメンテを、一日1個づつ紹介していこうと考えています。ふと、フラグメンテという言葉にひっかかってこの文章を書き始めました。ノヴァーリスの確信〈自己と世界は、詩的な変革によってよりよいものとなりうるし、しなければならない〉は普遍的であり21世紀にも再生しうるものであるはずだ。

   この詩を絵にかいてみるとすれば、使用する色彩が、ある系列にかたよってくる。

 かたよりとは何か?中央を措定せずにかたよりを語ることは可能か。存在-表現を開始しようとしている時点でかたよりを受け入れているといえる。詩が詩である時点でそしてその作者についてもわたしたちはあるかたよりを先入観として持ってしまっている。上でいうかたよりはそうではなく、絵にかいてみるという変換(翻訳)を経て明確に浮かび上がってきたかたよりの発見である。

 わたし(存在様式)が予め持っているかたよりは、対象化不可能であるかのように思われる。対象化というのが理性的な思考のプロセスである限りそれは正しい。しかし生きるとは変換(翻訳)であり結果として現象するかたよりは、予め持っているかたよりを十分に暗示する。

   万里の長城を構築する無数の手のような動作を文法的に構成すると……。

この文章は謎めいている。だいたい「手のような」動作とは何だろう、「手による」動作なら分かるが。おそらくこれは外国語を日本語にむりやり翻訳しようとして意味不明になったその意味不明さを取り出したものだろう。無数の手が流れるように動いている。その動きは滑らかで音はない。何も生み出さないかに見えたそうした動きがもっとも堅固なものを構築していたと彼女は断言するのだが、わたしには今もって信じられない…… あの気難しい理学者(文法学者)に聞けばその理法を解説してくれるかもしれないが彼女もまたここにはいない……

むりやり「翻訳」してみたが意味不明のままだ。松下の文章はわずか1行の短いそれに、x,y,z、三つあるいはそれ以上の座標軸が組み込まれておりはなはだ難解になっている。そのサンプルとして理解してみた。

   複雑な機械を媒介とする学習から得たのは、聴かないこと、聴かない方法を身につけることであった。

法学部だけでなく多くの講座では、ひとびとの訴えを聞きながら聴かない方法を洗練させている。

   語学の時間へ、私はクラス討論の場として外接し、かれらは体制内の睡眠の場を求めて内接していた。

 授業という権力関係は一定の時間と空間を要請している。耐えがたいノイズに満ちた〈 〉を噛み砕き均質な時間に変換する力能と従順さの身体が20世紀的サラリーマンだった。自己の宿命をその場では受入れ怠惰な身振りでそれをやり過ごそうとする者たち、クラス(学級)という奇妙な所与を政治的討論の場として利用しようとする学生運動家たち。ふたつの円がその存在の根拠において大きく重なっているという直観が松下たちの出発点だった。

   例外ばかり系統的に教えてほしい。その間に私は、一ばん意味のあいまいな言葉や文章をさがしていたい。

 例外を教えざるを得ないのは教師にとって不本意なことだ。世界をこういう角度から見れば秩序立って美しく見えるということに気づいてもらうのが講義であろうから。世界はノイズに満ちており例外にばかり注目していても何も生まれない。しかしその点で興味深い例外があり語学がそれだ。文法のどの法則にもかならず例外がある。そして法則がシンプルな形をしているのに対して、例外は一個一個特異で教えにくく勢い教えるのに時間がかかる。そこでぼんやりした受講生は肝心の法則をきっちり理解しないまま例外が多いなあという印象だけを受けてしまう。

 「一ばん意味のあいまいな言葉」に注目するのもおかしい。あいまいなものは良く分からない領域に隠れてしまってうまく対象化できないと人は捉えてしまいがちだ。しかしここではそうではなくそれが素材としてそこにあることはあきらかだととらえられている、そして、そのあいまいさという属性についてさらに考察していくことができると発想される。話は少しずれるが、〈自己の内なる闇〉の対象化といった課題と同じ構図になっている。闇を作っているのは自己である、それを対象化しようとしているのも同じ自己である、このように考えるとこの問題は解けない。儒教が金科玉条とした〈反省〉がこのごろ人気がない根拠である。しかしそれは問題設定が間違っているのだ。

 松下昇は教室を占拠した罪で裁かれた。しかし、国家の罪と自己の罪をあるためらいを押し切って黒板に列挙するそうした〈空間〉は絶対に必要なものであり、罪と考えるべきではない。

   二クラス分再履修して気付いたこと。各クラスで、それぞれちがった教科書、教え方をされているようですが、それらの交差点に何かをねらって、むしろ自分のための仕事の素材として授業を扱っているのではありませんか。

 「二クラス分再履修して気付いたこと。」さりげない文章である。「二つの会社に勤めて気付いたこと」「二回結婚して気付いたこと」その社会において自明とされているが別様でありうるそうした前提が無数に存在することにひとは、一度だけでは気付くことができない。二回めで初めて気付くことができるのだ。

・・・はてなだけでも私はこのブログ以外に、グループ二つを立ち上げ持続している。3つの場所でわたしは別の話題を語るだけでなく、文体や思想まで少しずつ変えてしまっているはずだ。

 わたしという固定的なアイデンティティからの自由。わたしの複数性、複素数性を松下は語った。ポストモダンにおけるそうした言説は、反戦や反体制を叫ぶ言説を忌避する傾向に全面的に流れていった。同じ複数性を語りながら、数十年に渡るラディカリズムの持続を形成しえたのは松下の特質である。

 (さまざまな)対象を取り扱う特権的な主体という関係を維持したままに、わたしの複数性、複素数性を語っても意味はない。そうではなく、世界の矛盾に誰よりも深く傷つき自己身体を裏返さなければ生きていけないといった切迫こそが、他者を自己に巻き込み、自己分裂の耐えがたさをある楽しみに変えうる。

   この作品には、数種類の翻訳があるので、それら全てを友人たちと一緒に比較対照し、各々の日本文のズレが、一つの原文から、どのように屈折しながら発生してくるか調べてみた。そのような個所は驚くべき数に上り……。

 前のパラグラフが教室の〈空気〉の不確定性の記述であったとすると、こちらは学習対象そのものドイツ語を日本語に直す行為そのものの不確定性にふれている。

 翻訳の可能と不可能。一つの言葉(例えば「神」)は二千年以上の歴史を経て使われておりドイツの風土と文化に精通しなければそのニュアンスを取り逃してしまう。しかしにもかかわらず、わたしたちはドイツ文学を欲し読みつづけてきたしそれは理解可能であるからこそである。一つの文の訳というありふれた行為には不可能性が溢れている。

 「各々の日本文のズレといったもの」は通常訳者の個性の違いといった方向に理解される。しかしそれは「表現の私有制」といった文化のなかでの習慣にすぎない。ズレの背後の〈原ズレ〉のダイナミズムといったものを感受し探求しようとするのが松下の方法だった。

   数ヶ月の間に教室でよんだ数個の短篇に共通して、一種の運動様式のように現れてくるイメージは……。

小説を読むのはまずイメージの連鎖を受容することであろう。しかしイメージが「運動様式のように現れてくる」とはどういうことか、うまく理解できない。

   この詩人のやり方で私のたどった遠い夢のような運命を図形で示すと……。

 〈夢〉とは不思議なものではないか。もっとも不確かなものでありながら、自己を脅かす切迫したものでありうる。もっとも不必要なものでありながら、それがなくなると人生を切り開いていく力が失われる。

 離れたものに不思議な暗号を感じることが「運命」であるなら、「遠い夢のような運命」とは必ずしも修辞の戯れではない。不可避性は偶然性と不可分であり自己は自己そのものである錯合を対象化できないが、ある詩人の方法を知ったとき不意に霧が晴れ、錯合が図形の形に投射可能であることに気づく。

突然だが、小さな語彙集を転載する。 「被勾留者所内生活の心得」から抜き出したものらしい。
1.願(がん)せん=いろいろな願い出をするときに使用する用紙のこと。
2.官物(かんぶつ)=施設の所有にかかる物品(施設から貸与されえているもの)。
5. 拭身(しきしん)=身体をタオルなどで拭くこと。
6. 検身(けんしん)=身体に不正物品の所持がないか、検査を受けること。
7. 領置(りょうち)=被収容者の金品を監獄法に基づき、施設において強制的に保管すること。
10. 午睡(ごすい)時間=昼食後、所定の方法により横臥(昼寝)を許可した時間。
14. 懲罰(ちょうばつ)=規律違反者に対して科し、反省悔悟させるための制裁のこと。
洗身(せんしん)、喫食(きっしょく)、糧食(りょうしょく)、横臥(おうが)、指印(しいん)、・・・・・・

 被勾留者といい、被収容者というのは、日本書紀の言葉によれば、“獄中囚”(ひとやのなかのとらへびと) ― 孝徳紀大化二年三月条 ― のことである。  私は、獄(ひとや)にとらわれた囚(とらへびと)であり、看守は、獄卒(ひとやつかひ)であった。このような古い時代の言葉が、生々しい現実味を帯びて迫ってくる世界がここにはあった。 (脱税事件で逮捕起訴された公認会計士山根治さんのサイト より)

 私は、いま、かれのことばを訳しているのではあるが、同時に、かれによって、そのことばをかきうつさせられているように思える。……仮説とは、建築に先立って作られ、建築が完成すると取り去られる足場のようなものである。これは、そこで働いている者にとって不可欠ではあるが、かれはその足場を建築物とみなしてはならない。

 うまく注釈できない。以下に書いたことは無関係。

 例えば彫刻を作るときを考えれば大量の削り屑がでる。文章を書こうとするときも同じだ。それはもう大量の廃棄物がでる。廃棄された文章も文章としてそこにあり読むことはできる。それが捨てられたのは、ある求心的目標のための美学的努力という傾斜に人が立ったときだけだ。熱意が失われたとき人はそれがなぜ捨てられたのか分からなくなる。1行の文は一見他の文と同じようにそこにあるのだからそれを削除しなければならない理由はないように思える。何かを作ることができる人は大量に捨てることができる人なのだろう。善意にあふれた人は創造者になれない。

 授業と関係なく思い知らされたことは、次は何かという模索のみが次の対象をつくり、その逆ではないことである。

 授業ではやはりその逆が語られる、世界史の鉄の必然性なんてフレーズは遠ざけても。私たちは模索する。なぜ模索などするのだろう。一方で研究者がいなくなり衰退していく学問があるのに一方で世界中から情熱が惜しみなく注ぎこまれる領域もある。人類が模索していくシステムとして大学というものははたして21世紀に適合的であろうか。大学解体派の問いかけにはこのような問も含まれていたであろう。

 誤りを含み、拡大する私の行動は、なぜきびしく批判されないのだろうか。私の立場にいくらかの正しさがあるのか、私の苦痛に対するいたわりか、口にするとなれあいになってしまうのか、本来、無視にしか価しないのか、……分らないので再び行動に移る。

 それが行動の名に値する限り、必ず「批判」はやってこない、そういうものではないだろうか。もちろんみなはそれに賛成しているわけではなく反感や異和を持つ者の方がむしろ多いだろう。しかしそれを言葉にするためには、自分の価値観が他者の行動を包括し得ているという自信をあらかじめ持っている必要がある。言説的にも行動的にもすでに行われたことの反復に過ぎない行動の名に値しないものでない限り、批判はやってこない。

(たくさんの記号や、文章の滝)

ーー池よ、湧きあがれ、水泡よ、橋の上、森の上を、逆巻き押し流せ、ーー黒布とオルガンよ、稲妻と雷鳴よ、ーー盛りあがり、響きわたれ。ーー海水よ、悲しみよ、押し寄せろ、幾度でも大洪水を引き起こすのだ。 ランボー 「大洪水の後」より

イヴ・ドニという人によれば「大洪水はパリコミューンの嵐の喩」らしい。 「幾度でも大洪水を引き起こすのだ」という荒々しい情念は、この断片集の表にはでてこない。しかし存在しなかったわけでもないだろう。

 忘却していた副詞句などの群が、綿毛のように降ってくる。あのことばは、冒頭と結末で使用方向が正反対になっているはずだ。

副詞句というものをあらためて考える。丁度、富士谷成章の「かさし抄」を見ていたのでちょっとメモしてみたが、あはれ、あな(甚だしい)、あまり、あやに(ふしぎに)、あやにく(いじわるく)、いかに、いかて(どうして)・・・、これらは副詞句ではなく副詞だ。長くて玄妙な副詞句と言えば松下昇、という気がする。

「情況への発言」など から抜き出して見ると、

  1. 「少なくとも、この実現の第一歩が、大衆的に確認されるまで、」放棄する
  2. 「自己にとって最も必然的な方向を創り出して」参加せよ
  3. 「闘争とかアピールから最も遠い位相にある人間を最前線に」押し出してしまう何ものかの残酷な力
  4. 「この世界で最も幻想性にあふれた領域で」「固有のスローガン、戦術を媒介として」問われている
  5. 「ここに集中してくる全てのテーマを一人でも生涯かけて」ひきずっていく

闘争といったものはふつう、二項対立そうでなくともたかだか平面的な構図の上での対立としてしかヴィジョンされない。しかしそうではなく闘うとは、生(世界)全体のn次元のダイナミズムをまるごと受け取ることだ。無理矢理ではなく訪れたものたちを辛うじて受け止めつつ進んでいこう。このようなものが松下のメッセージだったろう。

    〈・・・・・・〉

 十数種の生物の眼の行列に似たそれぞれの表現は、私のかいたものではなく、学生諸君から私にあててこの数年間に提出された答案やレポートや書簡の断片であり、それらが私の記憶をとおつて再現され、その記述のしかたに私が介入しているにすぎない。語学を媒介にして、このような表現がうまれてくること、少くとも再現されてくることは一見、奇妙にみえるけれども、ほんとうは、語学を媒介にしているからこそ、これらの逸脱が可能になり、関係あるものたちの存在基盤も逆照明されてくるのではないか。

 「たえず一定(いってい)の照明(しょうめい)の下(した)に監視(かんし)されている空間(くうかん)で」に始まる16個の(うち一つは「…」 )断片は、松下昇が書いたものではないことが明かされる。教育という職業では多少のゆとりがあるであろうがそれ以外の職種では言葉は基本的に、効率とおべっか(コミュニケーション)のためにだけ使われる。大学においても初級外国語教育は、語彙と文法の基本を効率よく教えることが要請される。例外に足を取られることは許されない。他の学に入門することが学とは何か知とは何かといったスコラ的な言説を大きく含まざるを得ないことと対照的である。だから語学を媒介にこのような表現が生まれてくることは不思議なことである。

 しかし「語学を媒介にしているからこそ、これらの逸脱が可能にな」っているのだろう。日本語だけの世界で生きていれば気づくことのない、言葉と音、意味と物との裂け目が露呈しそれに刺激された無意識が語り始める。

 この十数種の断片をわたしはあえて松下の表現であるとして解読しようとしてきた。「その記述のしかたに私が介入しているにすぎない」と松下はいうがその文体にこそ松下の本質があるのだという判断のもとに。*1

「十数種の生物の眼の行列に似たそれぞれの表現」と松下は記述しており、他者のものでもわたしのものでものないという文字列の不確定性が異和として松下に感じられたことを表している。

 この十数種の断片(と後の三種の断片)と松下の地の文は、原文(71年刊行あんかるわ版)では組み版上差別していない。「十数種の生物の眼の行列に似た」異和感を感じながらもあえて、差異をわかり難くしている。

そしてこのたび下記のふりがな付きヴァージョンに出会った。ふりがな付き「不確定な論文への予断」

「生物の眼の行列に似た表現(あるいはノイズ)」がまさに生物のようにうじゃうじゃと増殖してしまっている。生物(せいぶつ)の眼(め)の行列(ぎょうれつ) に似(に)たとわざわざ念を押されなくとも、そういうふうに読んでいるので、音をわざわざ強調されることは不要でありあえていえば不愉快である。しかしこの文章の場合は引用断片と松下の地の文の間の差異、二重性がテーマである。それぞれの文章のうちにある健常者は気づかない二重性を可視化することはこのテキストにとっては十分意味のあることだと考えられます。

したがって、「不確定な論文への予断」については
ふりがな付き「不確定な論文への予断」
「不確定な論文への予断」
上記ふたつのHPがいずれも原本であると考えていただきたい。

これは程度の差はあれ他の松下の表現にも言えることである。松下は自己の複数(複素数)性を唱えたが、これは健常者としての自己はそれだけで存在しているのではなく複数の障害者を自分の内に抱えもっておりそれにより深いレベルの交換も可能だとするものだろうから。

  このような抽出の流れを、まだ数十倍にもわたって持続できるけれども、いまは、いくつかの理由によって中断する。いくつかの理由のうち最大のものは、もちろん、私が、この不確定な論文をかきつつあるということである。

 自分がある不確定な限定を受け入れていることが、ある作業を中止する理由だと述べている。この論理は奇妙に感じられる。何らかの確定的限定(目的)があるからこそ中断という行為がなされる。結果を生じさせた時点で確定は行われており、不確定と言いつづけることはできないはずではないか。

 先回りすることになるが「私(松下)のおこなっている作業が、不確定な主体による、不確定な表現を、不確定な方法で展開しつつあるということは確定的である」。

 「論文」とは審査を引き受ける決意である。一見前衛的随筆か何かのように見えるこの文章は、不確定な論文というタイトルと持ち、論文とは別のものだとはアイデンティファイしなかった。70年代の松下は人事・刑事・民事の重層化する審理を招き寄せながら〈大学〉を去ろうとしなかった、この文章が〈論文〉という表題を捨て去らなかった確信はそうした疾風怒涛をも招きよせてしまう。

 十数個の抽出した例は、私が数年間に接した表現の量からいえば微少であるが、抽出の仕方は、数年間に接した全ての表現の質に対抗しうるはずである。それは正確さという意味ではなく、いま発表しうる範囲内で任意に、十分な資料や記憶なしにおこなわれたということによって一層そうである。

 十分な資料というものが論文成立のための必要条件となる。それなしに書き始める。数年聞に接した全ての表現の質に対抗しうるという基準において。松下はハイネとブレヒトの研究者であった。対象文学者が書いたものならささいなものでも尊重しそれ以外の表現には基本的に興味を持たないという差別を乗り越えるために、松下は表現の質という基準を持ち出す。文学は知性や知識や資料や時間に恵まれたものたちによる営為か。皮肉な事に文学史はそうではないことを教えている。反転の契機という啓示。

 十数個の例に抽出したまま中断したことによる欠落を鎮魂するかのように、以前、教科書の中でも出会った文章がいくつか想起されてくる。

 語学の授業というものはエロティックなものだ。*1美しいタレントの歪んだ口元がクローズアップされるから、だけではない。正しく美しく発音される「ことば」。すぐには結び付かない音と意味が、しばらく待っていてくれるその持続。身体がそのために美しく待機~発言するそのあり様がエロティックに感じられる。「オ」なら「オ」という音を理解するためには私たちは口と唇の断面図という、禁断のエロティシズムの聖書の聖図のごときものを想像しそれを身体化しなければいけない。

*1:NHKのテレビ・ラジオ講座の印象でいうのだが。

 それらの表現が、全体としてまとまりをもつようになされていさえすれば、個々の表現は断片のままであってもかまわない。

 切断は20世紀美学の重要な技法となった。ただまあそうした知識は知識としては無用である。〈切迫〉が世界を切り裂くとき降ってくる断片を収集すればよいのだ。〈全体としてまとまりをもつ〉は問われている、ただし私の外で。

 私たちの宣伝の利益のためにも、私たちにとって解決不可能とみえる問題の一らん表を作ってみることはできないだろうか。

 つねにわたしたちは無意識のうちに一定の限界を想定した上でものごとを考えている。「解決不可能とみえる問題の一らん表」を作ることはそうした前提を浮かび上がらせる効果がある。「私たちの宣伝の利益」という卑近で計量可能であるかに思える目標を設定することによりかえって、前提への問いが浮かびあがる。

 そして七年後、人間のいない戦場で絶望的な闘いをしている青年のもらす言葉を聞いて理解できる人は禍なるかな。

 この文でつまづいてしまった。

 人間のいない戦場とは何だろう。これはおそらく19世紀以前のテキストでSFではないので、人間以外の異星人と戦っているわけではない。青年自身人間であるはずだというツッコミはしないことにして、さて。何かを守るために別の何かと闘っている青年が言葉をもらす。その言葉を理解できる人が存在するがその人は「禍」として忌避されるべきだ、とテキストは言っている。理解とは何か?「人間のいない戦場で絶望的な闘いをしている」という情況から自己を分離できない存在に対して、他の場所にいる者が、情況と自己との抜き差しならぬ関係というものを抜きにして、言葉だけで理解してしまえるという安易さ、あるいは傲慢さが非難されているのであろう。ある困難があったとき古くは神学者(僧侶)、今では大学から専門家と称する人が登場し「理解できる」という前提で何か言い始める。情況から自己を分離できないというそのことこそが困難であり、そのこと抜きに困難を論じても無意味なのに。

 ところでこの文章にはなぜ青年がでてくるのだろう。わたしの近しい二人暮らしの老夫婦の一方は認知症になり他方もその対応に疲れ酒に溺れている。長生きすればかなりの確率でそうした〈情況〉に突入する。抜け出せず操作できない情況。敵を措定することもできない。「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」闘争とは何か?

 24時間が無意味に費やされる。でもそういうことはないはずだ。私は確かに囚われているが囚われているという意識を変容させれば、情況の別の面が見えてくるはずだ。

 以上の三つの文は、それぞれ原文とは対照しないでおく。というのは、有名な人間たちの表現と、無名の学生諸君の表現とを私の不確定な想像の中で均衡させたいし、また、この論文では、何故か一つも固有名詞を使用したくないからである。

この3つの文章を誰が書いたものか?知りたく思う。

固有名詞。松下の場合は、ハイネとブレヒトであったわけだが、日本の学者はおおむねそうしたヨーロッパの大(文)学者一人または数人を選びその翻訳、紹介、論文作成を業とすることになっている。学問とはそういうものだと、それは今でもおおむねそのとおりである。論文に書かれる固有名詞はそうした研究対象、その関係者以外は同じ対象を研究している研究者に限られる。偉大な文学者が偉大な闘いを成し遂げたのは事実であったとしても、私自身が幾分かでも「偉大な闘い」に変身しない限り、偉大な闘いは理解できない。このアポリアを見ないふりをすることでアカデミズムは成立している。有名な人間たちの表現ならばそこに矛盾や曖昧があればあるほど解釈の余地が生まれ、解釈者はそれを喜ぶ。しかし不幸で無名な学生諸君がその混乱のなかで不十分な表現を発した場合、その表現は読み取られることなく、彼女/彼の不幸は気づかれない。そのような落差は当然だが研究者自身のうちにもある。研究することは、自身の不幸に気づかないふりをして、文学者の不幸を課題にすることだ。この落差がこの論文のテーマだろう。

 おそらく私のやりたいのは実在としての資料に迫りながら不確定な表現の意味を体系化したり、統計化して何かを論じること以上に、このような試みが、私にとって、あるいは、私をとりまく世界にとって、何の、どのような喩であるのかをとらえることである。この推測すら不確定なのであるが、少くとも、いままで私のおこなっている作業が、不確定な主体による、不確定な表現を、不確定な方法で展開しつつあるということは確定的である。

 あまりにも不確定なので読み取りにくい。(不確定であることは左翼的観点からは敗北である。)

「たえず一定の照明の下に監視されている空間で、自問した。……帆はなぜ美しいか。風を孕んでいるから。」

帆船。風を孕んでいる帆、それは確かに美しい。風を構成している無数の空気の分子が反発しあいながら帆に圧力を掛け帆は抵抗であることにより世界全体を一定方向に動かしていってしまう。このような世界情況の喩としてこれを読むことができる。そのときはやはり世界がどちらの方向に向かっているのかが重要である。いま気づいたが、帆船が「反戦」と同音であることに気づくのは無意味ではない。「たえず一定の照明の下に監視されている空間で」とは不能感を表す。世界が動いていく方向に1ミリも触れ得ないという立場に置かれていることが彼に帆の美しさを観賞的に発見させているのだ。でこれはあまり健康的なことではない。ハイネやブレヒトの苦闘を表現論的にたたえることはこれとそっくり同じ体験だ。実際に苦闘しているのは彼らであり、私はこちら側で分析し観賞しているだけだ。そうではなく、そうではなくハイネの提出したひそやかな美しい比喩は、私をとりまく世界のなかで苦闘しているわたし(あるいはもう一人のわたし)にとっての貴重な武器あるいは花束でありうるはずではないか。そしてさらにそのことはもはやハイネ論という形では提出できないものではないか。不確定の発見とはこのようなものだったか。

 数年間にわたって、答案、レポート、書簡をどの表現を私に与えた表現主体は膨大な数になる。しかもそれ自体、全学生の極小部分にしかすぎない。かれらは、はじめに教室へ数十人の群に機械的に区分された存在として半年の周期で現われてくる。私は今まで授業や個々の存在の、かすかな記録としての答案やレポートを、早く処理し、眼前から去らせる対象として扱ってきた。しかし、これら全ての表現主体のとらえがたさ、不確定性は何か花束を投げこまなければすまない性質をもっている。更に、数多くの、私よりも本格的な論文を無意識にせよかきはじめている例、私よりも激しく、記号や空白を残している例の中に、自分の仮装した問題を見出さざるをえない。そして同時に、一すじのためらいが残る。即ち、私に刺激を与えた表現は、膨大な全ての表現から主観的にとりだされており、更に、一切の表現は出題における私の主観的な形式、内容の制約された上でおこなわれ、評価されている。また、個々の表現者は、他の表現を展望しえないのに、評価者である私にはそれが許されているという位相のズレがある。勿論、このズレは逆用可能であり、表現論、組織論、情念論その他へ飛躍もしうるのであるが、まさに可能であるところで最悪の壁に衝突する。バリケード内の落書にくらべてどうしても本質的な課題と思えない。そのため退屈な授業をきく学生のように、私は、祭の対極に近い生活のすきまを偶然かすめて通る、この論文のテーマをもてあましているのである。

 労働とは何か? 短時間に沢山の人と出会いしかも本質的には出会わず、限られた隙間においてコミュニケートししかもその範囲では愛想良くそれを行うことである。日本にはお客様は神様であるという諺があるがこれはまじめに受け取ると労働という制度を崩壊させる危険な諺である。「私は今まで授業や個々の存在の、かすかな記録としての答案やレポートを、早く処理し、眼前から去らせる対象として扱ってきた。」労働として当然のことである。答案用紙の余白にいかに優れた表現が存在しようが設問とシンクロしていなければ1点のプラスにもならない。

 エクリチュールの伝統的な習慣と特権との断絶、主体の不確定性、逸脱や余白の擁護、といったものが文学研究の中核に忍びよってきたとき、その情況は何も知らないはずの生徒たちにも深く浸透し彼らの存在を照らし出していた。それは松下の問題意識の反照にすぎなかったかもしれない。「勿論、このズレは逆用可能であり、表現論、組織論、情念論その他へ飛躍もしうるのであるが、まさに可能であるところで最悪の壁に衝突する。バリケード内の落書にくらべてどうしても本質的な課題と思えない。」という文において松下が何を可能と考えていたのかは分からない。他者性を自己表現の内側に据えて作家への道を選ぶこともできるがそれは本質的な課題と思えなかった、ということだろうか。

 それにしても「この論文のテーマをもてあましているのである」とは何だ。論文とは一体誰に捧げるべきものなのか、業界外のわたしにはピンとこない。しかし何かそこには犯してはならない権威が存在し論文を書くとはその権威をパフォーマティブに再確認することであろう、普通は。松下はタブーを冒した。それにしてもこの文章が「不確定な論文への予断」としてなお論文であろうとしているのはなぜか。この文はなおも論文たりえているはずという内容を持っているのか?

 いや、おそらくこの関係は逆にとらえるべきであろう。さまざまの領域で閉塞を感じている私は、偶然かすめて通りすぎる、どのような対象からも、この論文のテーマの根底を流れているような調子で、何かを論じようと思えば論じられるような段階に追いつめられているのである。私だけではなく、おそらく私にふれてくる一切のものが。従って、先に述べた不確定さ自体が情況的な音速性を帯びているはずである。

 表現の不能あるいは逸脱をその主体の存在基盤の揺らぎとして聞き取ること。ハイネ論が松下にそうした方法を与えた。すると学生たちの落書きやささやきのすべても偉大な詩人の逸脱と同じ比重の表現として松下は受け取らざるをえなくなってしまう。

「私よりも激しく、記号や空白を残している例の中に、自分の仮装した問題を見出さざるをえない。」「このズレは逆用可能であり、表現論、組織論、情念論その他へ飛躍もしうるのであるが、まさに可能であるところで最悪の壁に衝突する。」

ここで松下は自分がそこに内在している権力関係が他者のと関係において決して乗り越えることができない落差を存在させていると言う事実に出会う。

 何かを論じようと思えば論じられる。しかし、論じることが不可能な命令を孕んでしまうという宿命と向き合うことが、むしろ情況的な音速性に忠実であることである。

 この論文のはじめには、十数個の例文しか抽出していないけれども、かりに私にとって時間的だけとは限らない余裕があれば、そこに提出されるのは、試験、レポートなどの表現、その分析だけにとどまらない。この分析をやりながら、必然的に、試験の存在理由、語学教育の条件や研究との分裂に関する批判、他の教育労働や非教育労働との比較、使用した教材、授業のやり方に反映している体制や表現過程の構造などが問題になってくるであろうし、素材としての表現も、語学から、はるかに速い領域まで包括されてくるであろう。

 試験(の回答)やレポートは評価され批判される。その前提としての試験問題や出題のし方もよりよい教育とは何かという視点から評価され批判されることがある。しかし、回答の方が必ず確定的で多くの場合数量的な評価(百点満点とか)を受けるのに対し、問題に対する評価は必ずあるとは限らない。学生-教師というものが、自動的に被評価者-評価者になる。その場合、その領域についての知識が学生にはないので、教師を評価するのは難しくなる。それでだけでなく、身分的人格的にも教師は学生よりも上とされ学生は教師を批判する権利がないとされる。しかしこのような学生-教師関係は決して自明のものではない。国民に対して一律の学知を強制的に教え込む近代教育制度の結果に過ぎない。「試験の存在理由、語学教育の条件や研究との分裂に関する批判、他の教育労働や非教育労働との比較、」などを問うことは、自己の存在条件を問うことにもつながってくる。

 この論文のはじめに置かれた十数個の例文は、試験といった知の強制的なあり方からの逸脱であり浮世離れしたものといった印象を与えるものであったが、〈風を孕んでいる〉ものでもあった。すなわち近代教育制度-自己の存在条件といった内圧を十分に孕んでいるものであった。

大学での正規教諭と非常勤講師との格差について立岩 真也氏は次のように書いている。(大学院を巡る貧困について)  「すると残るのは二つだ。一つ、仕事がたくさんの人から少ない人に渡す。一つ、賃金の格差を小さくする。  だが第二点は、場合によったら常勤職の給料を安くしろということだ。」

常勤職の給料を安くすることだから、不可能であるわけではない。労働組合的常識(PC)に触れるから不可能なのである。労働組合的常識は目の前の格差問題を取り上げることができず取り上げたら解体する、そうしたものなのか?

 このようにひしめき合う問題群を断片的にせよ止揚していく方向があるとすれば、それは何であろうか。全てのやりたいこと、やらねばならないことを、重層的な一つの仕事として展開したい私にとってこの論文をかかせている契機を追求してみよう。

〈このストを媒介にして何をどのように変革するのか、そして、持続、拡大する方法は何か、について一人一人表現せよ。〉

〈いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。〉(情況への発言)

いわゆる全共闘運動との関わりから生まれたこうした命令。疾風怒号の全共闘運動のわずか5cm上空に存在し続けたこのような静謐で不可視の巨大な命令。それは不可視のバリケードを作り運動しつづけた。いわゆる全共闘運動が消えてからも永く。この運動は、最初にここで、〈全てのやりたいこと、やらねばならないことを、重層的な一つの仕事として展開する〉こととして発見された。(神戸大学「論集」7号 1969年3月)

 この文章より一年半前にかいた 「〈第n論文〉に関する諸註」 との連続性および飛躍の問題がある。「〈第n論文〉に関する諸註」が自分の研究領域の表現を総括することによって何かを語ろうとしているのに対し、いまかこうとするのは、その後の過程を基本的に動かしている生活の場、とくに労働の場において、いや応なしに接触する不確定な表現を総括することである。ここから何を開始するかは不確定であるにしても、その不確定さの発生する場所から尖端に至る過程で交差する問題は、極めて多岐にわたる。それは〈……〉のむこうの全てだといってもよい位である。その領域に突入するのは、やりたいことであり、やらねばならないことでもある。そして、この二つが一致するのは、白昼のように暗い季節には大変めずらしい現象である。

 わたしは生活しているつまり、いや応なしに接触する人やものに対して軋轢しとまどい愛着している。これを考えようとしても漠然としすぎていて何をどうすれば良いのか分からない。いくつもの条件を(暗黙のうちに)満たしている必要があるのだと思う。不確定なものをそれでも何かがそこにあると感受することすら、わたしたちにはひどく難しいことだ。わたしたちは普通考えられている以上に仕事を通して世界を見ている。つまりあらかじめ自分の身についた問題意識で肯定的であれ否定的であれ対応していく必要のない物事は、一瞬異和感があったとしてもそれ以上それについて考えることができず、無視される。

 一瞬気になったものごとを言葉で構成された表現としてとらえる、そしてそれを転記してみる、というのが松下がここでやったことである。それがどうした。主題のはっきりしない落書きは十個集まろうと主題のはっきりしない落書きの連鎖に過ぎない。文学に転化するわけではない。それはそのとおりで松下はそんなことを考えていたわけではない。自分でも予想外なことであっただろうが松下はここで何かの〈初まり〉に出会って、驚いている。

 「みえない関係が みえ始めたとき、かれらは深く訣別している。」(吉本隆明「少年期」)というフレーズは当時広く親しまれていた。この文に逆向する形で、〈関係〉というよりもっと軽く不確定な表現たちに目を向けたとき、松下は学生たちそして彼らの背後にある全世界に対する愛を不可避的に発見してしまった。

 私は、さきほど、歯の痛み程度のことでも、全情況の課題と優に対抗しうることを発見した。そうであるとすれば、私は、この文章の方向係数となっている不確定性をかみしめながらことばの私有制を変革し、ことばのむこうへはみだし、〈……〉論の枠を突破するであろうし、そこが不確定性の原理を真に応用する世界であると予断しておきたい。

 「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」 というテーゼの直前の形態。(バリケード的表現)

 世界は言葉で構成されている。権力関係も。したがって慣習に反することを恐れさえしなければ世界は容易にその像を変える。ことばの私有制とは何だろうか?自己が規制され主体化された限定を進んで受け入れていることにすぎない。

 試験の答案を一片の詩として読んでしまうことはそれほど困難なことではない。アルバイト先で取引先としてであった人物と恋をするのと同じくらいありふれたことだ。そうであろうとする欲望を否定せずそれを方法として純化し、ある特殊な気圧の薄さに耐えることができれば、わたしたちは新しい世界に歩み込んでいるのだ・・・

 この予断を深化拡大していこうとすると、私の運動を支えている文体はその不確定な軽さを増大していくようである。軽さという場合、支え、運ぼうとするときの感覚と云うよりは、吹きさらしの断崖に立っている感覚に近い。対象にとりくもうとしながら抽出に抽出を重ねる操作をしてしまう私の内的な流れ、一方、その操作を一層加速させるように迫る外的な力。私は言葉を失って立ちつくしてしまうのであるが、不思議に明るい気持で、この瞬間は、ある詩の一行から無限に語り続け、行動し続ける時間と交換可能であると思い、また、この状態は、一種の権力に対する黙秘と同じ位相にあるとも思う。では、その詩はどこにあるか、その権力を打倒するために何をなすべきか。

「対象にとりくもうとしながら抽出に抽出を重ねる操作をしてしまう私の内的な流れ」について二種類の理解がありえよう。「抽出に抽出を重ねる操作をする」事自体はだれでも行っているがそれを自覚することは少ないという側面。抽出に抽出を重ねる操作を自覚しそれを高度化することは松下にしかできないという側面。

「この詩を絵にかいてみるとすれば、使用する色彩が、ある系列にかたよってくる。」ある種の人はそういう風にしか詩を読めない。しかしそれは詩の間違った読み方だと指摘されるとき「言葉を失って立ちつくしてしまう」しかないが、次に「抽出を重ねる操作」の方に押し出される風圧を感じるだろう。瞬間的な〈始まり〉が持続として獲得されたとき、松下はプラトー(高原)に立つ。*1

・・・・・・私は言葉を失って立ちつくしてしまうのであるが、不思議に明るい気持で、この瞬間は、ある詩の一行から無限に語り続け、行動し続ける時間と交換可能であると思い、また、この状態は、一種の権力に対する黙秘と同じ位相にあるとも思う。・・・・・・美しい文だが、美しいと言ってはいけないのかもしれない。松下の巨大な巨大過ぎる「闘争」は、そもそも闘争ではなく、この〈プラトー〉から流出したものである。

*1:ミル・プラトーは、ジル・ドゥルーズの本の題。ちょっとコピペさせてもらう。「主流ではないものの擁護による文化総体と人間経験総体のひっくり返しを狙った極めて野心的な書物であるとはいえるんじゃないかな・・・それから文学的にはビートニックなボヘミアン文学の圧倒的加速と敷衍、抽象レベルへの置き換えと進化と深化、そして音楽における実験文脈の擁護―モーッアルト、ブレーズやケージの擁護、それから国家装置と遊牧民の学問というものを対称させることによって、新しい価値の敷衍 (「Mille Plateaux」の簡単なまとめ)

 いま、この原稿用紙にかくという次元ではその追求を中断せざるをえない。私は何を表現したのであろうか。不確定さの極限からいえることは、私のかいてきたことと、かかなかったことが、相互に本文であり、註であること、および、この補完関係が、研究論文以外の領域でも私の根源的な怒りをよびおこし、それを突破する作業の原動力になることである。

「不確定な主体による、不確定な表現を、不確定な方法で展開しつつある」正典化されたテキストをディシプリンの手つきによってあげつらうことによってもたらしうる価値は、もっと身近にわたしの体ですっと受け取りうるのではないか、という予感。

「根源的な怒り」とはなんであろう? わたしがこの文章から受けていた印象は静かな植物的な繁茂あるいは降下であったので、「根源的な怒り」は唐突に感じる。不確定を語り得るのは自分の内に何か確かなものがあるからである。「たしかなこと」とは書かれていないが、体制内で論文を書くという表現方法への絶望である。教室に閉じ込められて退屈している凡庸な生徒たちのように閉じられた与えられた制度から出ようとせず、退屈を退屈と名指すことすらできずに腐っていく頭脳たち。(それは勤続30年の私自身のことか) おそらく決して語られなかった「根源的な怒り」とはそういったものへの怒りであったろう。

 この予断が、既成の表現形式から制約されるのではなく、創り出すように、方法的に孤立して収束するのではなく、全体性や他者の活動を包括するようにしなければならないし、その一歩は踏み出されている。まさに、そのために、ここで筆をおこうと私は決意する。

 松下は「不確定な主体による、不確定な表現を、不確定な方法で展開しつつある」と語り得た。既成の表現形式を制約として感じとることは当たり前にできても、新しい方法を創り出すことは容易ではない。しかし松下は自信に満ちている。この自信は何からくるのだろうか。学者が論文という方法を捨てることは、表現メディアとして学者を止めることにもつながる(事実として松下はそうなっていったのだが)。自己否定を肯定しうるこの自信は何からくるのだろうか。

 この文章は1969年3月に発表されている。1969.2.2の日付を持つ「情況への発言」と同時期に書かれたものだ。「遠嵐」「北海」「循環」という小説的散文の模索を経て、「六甲」「包囲」に至り、言葉ならざる言葉としての〈 〉を発見、獲得し得たという自負。

いつかは、放蕩息子のように回帰してくるだろうと恥じらいなしに予測する〈 〉。(「包囲」(5))

激しい終わりのない闘いに微笑みながら入っていく松下は、自己の不確定な方法がすでに「全体性や他者の活動を包括する」可能性に開かれていることを知っていたのだ。

引用テキストは松下昇「不確定な論文への予断」(『松下昇表現集』 p165-170)である。表現の時と場所: 神戸大学「論集」2号 1969年3月とされているもの。

(2008/10/28)