〈第n論文〉をめぐる諸註

松下  昇      


 第n論文に 〈 〉をつけたのは、それを強調するためでもなく、いつか未来にかく予定だという意味でもない。第n論文が、仮構の位相にあることを示すのである。

 またnというのは、いままでかいてきた論文の順序を示す数であるが、第n論文では、他者の作品の分析をするのではない。たとえ結果としてそうなっても、主眼は、この仮構の論文をかかせる何ものかの力を追求することである。諸註とは、このことを示している。

 いま、ここで第(n−1)論文までの文章を構想すると共に第(n+1)論文以後の文章に註をつけていくとすればどうなるか。

 この仮定をするとき、第n論文以外のすべての論文に 〈 〉がつけられ、それは、第n論文が意識的に、また必然的に〈 〉に入り、論文系列の位相から逸脱した結果として可能になっている。

 〈第n論文〉をめぐる諸注が、既成の研究論文の枠内に、どんな影をおとすか。枠をこえて発散するか、枠の中で収束するか、枠をつくっていくか……。

 さまざまの〈私〉たちが、これに似た情念をかすめて通りすぎているとき、私(〈私〉ではない)は、ブレヒトに関する三番目の論文〈以下B3論文と略す〉をかこうとしていた。しかし、どうしても、かく気にならないので、その情念の構造をかいてみようという試みにのめりこんだ。

 反小説に対応する反論文と称してもよいが、むしろ、その発想から遠ざかろうとして〈B3論文〉と題する十数枚のメモを構成しはじめ、〈 〉の記号は、原則として、私が、ある言葉の位相を転倒ないし変革しようとする場合に使用(私用)することにした。

そのときまで私はブレヒトに関する論文を二つ〈以下、B1論文、B2論文と略す〉かいていたのであるが、〈B3論文〉のメモは、はじめのうちB1論文、B2論文をよみかえじて、〈B3論文〉をかこうとする瞬間の私にとって、未熟、不足、欠陥とみられる表現傾向を指摘して、その原因を明らかにしようとする作業が中心を占めていた。

 これを中断したのは、感覚的に耐えがたいためというよりは、それ以上に、指摘の基準自 体が揺れ動くことに気付き、その作業を閉じられた形でなく開かれた形で発展させる契機が見出せなかったからである。

 〈B3論文〉のメモは中断したけれども、破棄したり、忘却したりしたわけではない。他の仕事をしながら、むしろ、時と共に、〈未完了〉への責任が増大するのを感じながら時間が経過し、再びメモを手にとることになった。

以前のメモの方向と、いまとり上げようとする手の方向はラセン状の深渕(そこには、いくつかの記憶すべき〈死〉も横たわっている。)を越えて不変の位相を保っており、私に〈ここから出発せよ〉とささやきかけてやまない。

 〈註〉という形式が引きよせられてくるのは、そのようなときである。註は〈枝〉のように、みかけは非連続で、任意の長さで突出しているようであるが、枝の契機を〈逆行〉していくと、〈樹〉の総体が必然の方向に浮び上ってくる。

 未完了の〈B3論文〉を、いま、ここで、ある完了形へ導くものとしての〈註〉をかいていこう。しかも、〈B3論文〉と〈註〉にはさまれている間隙を縫い合わせ、過去の固有性へ収束するのではなく、逆に、その間隙のむこうに存在しうる全ての問題、ヴィジョンをとらえるために。

 六つの項〈六項←→六甲〉でかきたいが、どうやら、はみだしそうな気配である。

 ある必然性をもって対象としはじめた文学者の全作品を山系へ分け入るようにたどりながら、たとえば、否定の方法とか、テーマの類似とか、描写の背景にある自然とか、動作空間について思いをめぐらせたいという気持がありながらも、〈岬〉についてのみ触れざるを得ない場合がある。

 〈岬〉は、韻律や、構造や、美的陶酔や、有効性などとしても存在しうるが、私は、これまでB1論文、B2論文で、ブレヒトを〈一九五六年〉以後の状況の視点を含めてとらえようとした。

 私はブレヒトの固有の表現には一瞬ふれたものの、いま考えて、はんとうにかきたかったのは、それにむかう契機や手続きであった。いまここで、〈一九五六年〉に関して、わずかな註をしておくことによって、私がブレヒト論からある表現へ接近する場合の必要条件をのべておく。

〈一九五六年〉は、たんにブレヒトが死亡し、その直後にハンガリア〈革命〉がおきた年ではない。資本主義社会と変質した〈社会主義〉社会を相関的に変革する方法を暗示している〈年〉なのである。〈進歩的〉な視点から〈西〉の代りに〈東〉をえらぶことは不毛である。(〈現代〉にかかわる論争点の殆んどは、無意識のうちに〈一九五六年〉以前におしこめられている。)〈一九五六年〉は、他のことばに、まだ本当にはおきかえられていないし、実現されていない。

 ちがったいい方をしてみると、〈政治〉 の対極に 〈文学〉をおく場合、〈政治〉 の中に 〈一九五六年〉をおかず、そのことによって〈政治〉も〈文学〉も固定させ、基準とする発想がある限り、〈一九五六年〉はその発想を告発しているのである。こんをいい方では不足だ……しかし、私はすでに〈一九五六年〉以後の問題へ投じられた者の眼で、ブレヒトの〈岬〉を、ふと、見上げているにすぎない。〈泳ぎ〉を殆んど知らない私にはそれ位のことしかできないが、そのとき、私にとって〈一九五六年〉以後をある怖れと共に予感しえた〈ブレヒト〉が最も生き生きと、創造的にみえたのは確かである。

 政治的にというより、抒情的に〈ブレヒト〉(ブレヒトではない)を見上げる機会が、これからもあるだろう。〈一九五六年〉に限らず、また、状況の側面に限らず、〈海〉から〈岬〉を眺めざるをえない関係が、この世界にある限りは。

ブレヒトの詩「ドイツ」から。”Mogen andere von ihrer Schande sprechen,/ich spreche von der meinen." 汝は汝の恥辱をかたれ、私は私の恥辱をかたろう。

「ブレヒトの方法」 (一九六三年 B1論文)
「ハイネ『北海』における詩と散文の相関性」 (一九六三年 H1論文)
「ブレヒト『処置』の問題」 (一九六四年 B2論文)
「ハイネの序文に関する序論」 (一九六五年 H2論文)

 このように私が、B論文の系列とH論文の系列を交互にかいていくのは、文章が活字になる以前からの傾向であり、私の卒業と就職に形式上の役目を果した論文も「ゴットフリート・ベンとブレヒトにおける表現主義」であった。

 擬似的な図式化や運動に陥りかねないにしても、対比それ自体の〈異質さ〉は、決して誤りとはいえないであろう。いままで私が意図しつつも果していないのは、その先のことであって、このような対比のやり方が、何かの比喩であるはずなのに、それを〈比喩〉たらしめていないことである。

 この方向での表現の可能性を模策している過程で、ある意味では相互に私から極めて遠い(と私には思える)ブレヒトやハイネを論じてしまったのは、我ながら苦笑をさそう。

しかし、H論系列では社会主義生成期の表現を、B論系列では社会主義変質期の表現をさぐり、〈生成ーー変質〉の周期が歴史の位相でも、個人の位相でも開いた〈循環〉をする条件を持つ表現を求める、というのが、根底にある計画であった。

 論述の方向からいうと、ハイネ論の系列では、固有の〈表現〉から出発して、それを弯曲させる〈状況〉へ上昇し、ブレヒト論の系列では、弯曲して論じざるをえない〈状況〉から出発して、私に触れてくる固有の〈表現〉へ下降する。二つの系列のうち、とくに〈ブレヒト〉論が〈非〉文学的な様相を呈するとすれば、それは、このような方向に沿ってかかれているためである。

 B1→H1→B2→H2という〈ジグザグ・デモ〉は、いま一つの壁に直面して、〈デモ隊〉は飢えたまま座りこんでいる。その地点は、B1→B2→の方向と、H1→H2→の方向との交差点ではないだろうか。

 ここから再び動きだすとき、B3→H3→B4→H4……Bn→Hn……というかたちは、とらないであろう。私は、この場所と、一ばん遠い場所の二つを結ぶ〈ジグザグ・デモ〉へ出発する。それが、前述の〈比喩〉の構造へ少くとも一歩は突入することなのだ。

 どこかに〈文学〉とか〈仕事〉が客観的に存在するのではなく、ここから〈文学〉も〈仕事〉も創りださなければならない……といわせる力が私の内外にある。

 そのとき、私は、立ち上って、服のほこりを払いながら、いままで無縁だと思っていた諸条件から、最も強く規制されているのを直感する。それらに対して手にふれる順に、断片的なあいさつをしよう。

 語学が苦手で、声量の小さい私にとって、人一倍〈苦痛〉な労働の場である教室。一方そこで予想しなかった理解や連想も生まれ、しかも殆んど表現にとらえられないまま消滅していく。

 興味があるような、ないような顔をして座っている学生たちの表情、そこには、ブレヒト風にいえば、マイナスの〈疎隔する効果〉Entfremdungseffektがあるといってよいくらいだ。そして、その表情は、〈授業〉をやり、〈論文〉をかいているときの〈私〉の表情でもある。

 教室でかいま見た〈マイナス〉の効果を相乗してプラスになしうるか。〈正確な〉時間割りに支配される教室と対照的に〈自主的〉な時間が流れるはずの研究の場において。

 〈私〉が論文をかくとき最も表層にある情念は次のようなものである。……国家の他の構成員よりも研究や発表の機会が多く与えられているのだから、何かしなければいけない。それに論文の数は奇妙な過程をへて生活に影響を与える。原稿も募集されている。期限は、いくらか延長してもらえるだろう。枚数は適当なところでうちきろう。あとで、ひっかかりのないように、あたりさわりのない文体で自己主張をやろう。

 もっと時間があれば。いつか、よいひらめきが訪れたら。すべての文献をよみつくしたら。本場で見聞をつめば……とつぶやく私の中の他者。そのときも足もとにおしよせる雑用、対人関係、生理的配慮。更に、名づけがたい領域での〈仕事〉。

 私は、水たまりに空を映しながら、泥んこになって遊ぶ〈幼児〉の楽しさをもって、このような情念やつぶやきをみつめたい。もちろん、やむをえず足をふみこむこともあろう。その場合は、〈やむをえない〉強制力を測定しつつ、このような〈職業〉の幻想性を、どこまでも下降していくのだ。おそらくは、この 〈職業〉が存在しなくなる未来社会へまで。

 慣性に従って、この幻想的な職業に埋没することを拒否する度合いは、生ぬるいと同時に苛酷な世界全体を拒否する度合と〈どこかで〉対応しているはずだ。〈どこかで〉を明らかにしなければならない。しかし、このような発言が許容される場に生活しているのは怖しいことだ。

 すると、私は、いま意外にも、この註と関係〈なく〉次のようにかきはじめている。

 〈私〉が、省略し、付け加え、変形したときに消えていったもの、激越に、不正確にかたるとき、あいまいに沈黙するときに消えていったもの……が、〈反世界〉のようなところで、時と共に巨大に膨れ上っているにちがいない。いつかよんだことのあるブレヒトの短篇:"Gaumer und Lrk"を教科書版でよみなおそう。……〈B3論文〉へむかって粗い網のように投げた〈 〉は、〈B〉や〈3〉や〈論文〉ではなく、〈 〉自体を、まず包囲しているが、それは苦痛であるばかりでなく、私は〈 〉を乱用しながら、〈ブレヒトは殆んど用いていない〉このような位相での放蕩もありうることを味わっていた。

 〈 〉についての中間報告。私が使用(私用)する〈 〉という記号は、欧文や日本文にみられる記号と一応無関係である。それらは殆んど引用、発言、題名などへ無意識に使用されているにすぎないから。

 しかし、ごく少数であるが〈 〉(あるいは《 》や、その他の類似した記号)を、強調や、逆に、不確定の意図をこめて使用する例が、次第に目立ってきている。

 表現に文字以外の要素(イタリック体や、傍点、傍線を含めて)が現われてくるのは、何かを暗示しているように私には思えてならない。言語や、それを使う意識、それらをもたらす現実過程に、ある動揺がうまれはじめ ているのではないか。その〈動揺〉は、表現の皮相では、私の場合次のように現われてくる。自己や、他者の表現や、既成の一般的な表現への異和感を運動させたいとき。
この予感から私は、〈B3論文〉への註で、〈 〉を、あえて乱用してみたが、それは、いま別のいい方をしてみれば、私の表現から逸脱していったものを求めるためであった。〈B3論文〉をかきながら、かすかに示されている〈 〉の特性を、いくつかのべておく。

 〈B3論文〉をかいているときの〈 〉の位相は、かこうとするときの情念に対応する空間性の弯曲を帯びていたが、その後〈B3論文〉への註、といいなおしたときには、記号は時間性の弯曲を帯びている。もしも、いいなおさずに放置したならば、空間性のままであったろう。ここから〈 〉は、働きかける力によって、時間=空間のかたちを変えることがわかる。

 〈 〉をつけるのは、それによってある効果が生まれた、という終止の記号としてつけるのではなく、それによってある効果が運動圏に入る、という開始の記号として過渡的に、やむをえず、つけられるべきである。使用者が、それを自覚するかどうかにかかわらず、運動〈縮小、肯定、否定、対応、交換、状態への介入……〉をさせていく責任を背負いこむ。

 記号でない〈 〉(いまは、文字で、どう表現してよいかわからないが)が、つねに、表現の切断面を昇降しており、表現者と読者が記号でない〈 〉の原理から応用までをとらえるのを待っている。

 〈 〉の中には、名詞だけでなく、あらゆる品詞が入りうるし、一つの単語だけでなく、文章〈群〉でもよい。また〈 〉をつける対象は、過去の表現に限られず、未来の表現へ罠のように置くことが可能である。

 歌、呻き、呼吸、沈黙……にもつけることができる。そしてつけることによってつけられるという関係も生じる。

 無秩序になるのを怖れる必要はないだろう。記号にさえ固執せねばならぬ〈私〉とは何か、記号にさえ固執させる〈表現〉とは何か、という問いかけの方が、はるかに切実である。〈第n論文〉の記号から、まず出発することになるとしても、それは〈ここ〉から最も遠くまで行くための準備なのだ。あえて誤りや矛盾をおかすにたるだけの苦痛あるいは必然が、その背後にあるから。

 冒頭で……〈第n論文〉が、仮構の位相にある……とのべた〈私〉にかわって、私は、次のように註をしておこう。

 〈第n論文〉を仮構のまま放置しておいてはいけない。いまここから、〈 〉の領域へ弯曲した力を逆用して、〈 〉を出現させるカヘ向って矢のように飛翔していけ。その的は、すでに〈第n論文〉だけとは限らない。


(表現の時と場所:「ドイツ文学論集」1号 1967年3月)

(『松下昇表現集』 p156-164)