松下昇~〈 〉闘争資料

2019-02-06時の楔通信 第〈0〉号から

まえがき

{時の楔}通信の出現の契機は、{私}たちを包囲する関係性の切迫がうみだしたパンフ{時の楔}――〈 〉語…に関する資料集――が提起しつつある問題群を、時間性との格闘の中で持続的に展開していこうとする過程が示している。

 この通信の前史過程には大学斗争を媒介として持続してきた表現媒体、とりわけ五月三日の会通信があることは明らかであり、その二三号、二四号において、すでに{時の楔}通信への転位が、名称や時期は不確定ながらも予感されていたといえよう。

 {私}たちは、五月三日の会通信が表現媒体として七〇年代に果してきた役割を十分に尊重しつつも、その発行にかかわってきた人々の主観的努力をはるかにこえた領域で発行の{不}可能性が深化していることを卒直に認めなければならない。七〇年代のはじめにおいては、処分~起訴の進行速度に応じて、問題を共に考えようとする人々がその意味を提起し(その読者が、決して、いわゆる五月三日の会の会員だけでなく、想像を絶する、さまざまの領域に及んでいることを{私}たちは知っている)、いくつもの応用の武器となってきたが、現段階に至るこの数年間に、前述の方法での掲載〜発行だけでは、情況の本質につき入ることが困難であることが明らかになりつつある。

 これは、〈資料〉の量的増大や多彩さ、という点からでなく、{私}たちを、ここまでつき動かしてきた大学斗争の世界(史)性がこの領域でも問いをつきつけてきている、という風にとらえかえす必要がある。〈 〉~{ }斗争にかかわりつつ持続してきたいくつもの自立的な表現媒体が可視的に終刊~廃刊の危機にさらされており、個々の発行者~読者も自らの位置や問題群の把握~追求の困難さの前に立ちすくんでいる。この危機は、七〇年代の現段階で深刻になっているとはいえ、七〇年代性だけから発しているのではない。その意味と打開の方向を{私}たちは、さまざまの機会に提起してきたし、これからも提起していくであろう。しかし、だからといって、{私}たちに十分な見通し(方針のみならず発行費用や配布方法も)があるわけでなく、むしろ、他の、どの表現媒体にかかわる人よりも不確定であるとさえいえる。

 {私}たちは、パンフや通信の発行が、それ自体としてプラスであると考えたことはなく、すべてを表現論的にもとらえなおすところから出立しているが、同時に、権力や存在から一瞬ごとに迫ってくるテーマを放置すれば、たちまち、風に散り、忘却されることも味わってきた。〈十〉年をこえて、きざみつけてきた原則や方法を死滅させてはならないし、過去の事実性を完結したもの、転倒不可能なものとみなす一切のものに、戦いをいどむことなしに一瞬も生きていけない、という、うめきの中で{時の楔}を構想している。

 これらの言葉の飛沫の根源にある、なにものかから{時の楔}通信は生誕していくのであるが、その形態や内容や応用に全ての人が前記の位相を媒介して参加しうることはいうまでもない。整数としての号数をたえず、どこかで自由に往還することを前提としつつ、第〈一〉号への前史としての第〈0〉号を、まず、ここに提出する。

〜一九七八年十一月十一日

{自主ゼミ}実行委員会

(過渡的な連絡先の〈一〉つとして

神戸市灘区赤松町一―一

{松下昇 〜 未宇}