松下昇~〈 〉闘争資料

2019-02-06時の楔通信 第〈0〉号から

時の楔通信 第〈0〉号から

手元に、4つの「通信」がある。とりあえず、その表紙(1ページ目)だけをpdf化した。

時の楔通信 第〈0〉号 1978.11

五月三日の会通信 25 1981.09

五月三日の会通信 26 1981.12

時の楔通信 第〈1〉号 1979.12


時系列から言うと、おかしいがとりあえずこの順番で表紙を読んでみよう。表紙以外のところは必要な限りで読む。

前提としては、松下昇の表現は3期に分けて考えうる。

第1期 松下昇表現集(あんかわる別号〈深夜版〉2)1971.1 (前史的表現と松下は言ったが、文学的価値は最も高いだろう)

第2期 闘争期 五月三日の会通信・時の楔通信 裁判記録が大きな比率を占める

第3期 パンフ作成期 松下昇(についての)批評集α・β・γ 1987.9〜 概念集 1989.1〜

参考 http://kusabi.webcrow.jp/gainen/gb02b.pdf#page=35


概念集については、下記目次のとおり、全文pdf化し公開している。

http://666999.info/matu/mokuji.php (永里氏による)

第1期については、その一部「包囲」の1,2章が、四方田・福間編アンソロジー『1968 文学』に収録され、松下論も載っている。

したがって、第2期の紹介がまったく遅れていることになる。


今回、とりあえず、4枚の紙片から、初めて読む人のように解読していき、松下の思想の全体像をめざしたい。(この3年ほど世界の大哲学者の本を読んできたので、その連続性も意識しながら進めたい。)


時の楔通信 第〈0〉号 1978.11 の1〜2頁、「まえがき」部分を、下記のとおりテキスト化したので、掲げる。


松下のテキストが読みにくいのは、彼が自己の近傍を〈不可視のバリケード〉と化そうとし、それがなされたとしてその〈情況性〉において表現しているからである。

彼の表現から40年経過し、情況は後退の一途であるように思われる。したがって、彼の本来の意図とは多少ズレても現在なんらかの問題に対するヒントとして彼の発想の一部を活かしていくことを、第一の目的とする。そして、彼の〈情況/思想〉の再現的理解を次の目標とする。