2014-12-31
■ 削られた主要な部分
情況への発言
・・・いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。(バリケード的表現 一九六九年八月〈 〉にて)<ref>http://666999.info/matu/data/jokyo.html あんかるわ別号<深夜版 2>松下昇表現集 p5]</ref>・・・
謎めいたしかしふとしたはずみにまた浮かび上がってくるフレーズで、松下は当時の学生たちに大きな影響を与えた。上の断片は自分の内部にある「ふれたくないテーマ」を取り上げている。考えるとき人は、問題意識を先立ててそれに照らされたものしか見ない。大学闘争末期であれば、大学の卒業資格を得るために「正常化」された大学の単位制に復帰するかどうか、が問われた。いわゆる自己否定論|自己否定?の問題である。「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマ」という言葉は、そうした問題(自己の存在基盤という問題)として理解されるかもしれない。そう考えても良いが、文字どおりは、もっと茫漠としたものだ。異性との関係、親との葛藤、目の前にある闘争に熱中していていいのかという不安、など問題として対象化しきれていない様々なテーマがある。
自分が何にふれたくない、隠したいと思っているのかを自覚できるだろうか?、少なくともそれについて上手く考えることはできないはずだ。しかし松下は、まずそう問うことから始めようとする。政治的スローガン(その正しさを松下は疑っていないのだが、疑っていたとしても同じことなのだ)があってそこから自己と世界を考えるのではなく、世界が姿を変えるのを知っている〈自己の不安〉に定位するのだ。