2010-05-22
■ 仮装としての被告とは何か?
仮装としての被告とは何か?
私たちは、法=国家による規定やそれと屹立する固有の存在条件に規定され、しいられた仮装をしつつ生きざるをえない。それをあらためて確認し、転倒していく契機としての裁判闘争が始まろうとしている。
異常な(?!)服装や、歌や、雪のように舞う紙片……などは、すべての闘争手段や表現方法と同じように、〈 〉としての仮装をしいてくる力に対する反撃の模索であろう。
ところで、きみにとって仮装とはなにか。
裁判官、廷吏、検事、弁護士、傍聴人などは交換可能であるのに被告だけが交換不可能であるのは、矛盾していないか。法的時=空間においては、被告こそ、最もしいられた仮装者であり、彼にとっては、被告を出現させるこの世界の仮装性を解体していく仮装者として登場する他に生きる道はない。
一方、権力によって、同じ時=空間に召喚されている、いわゆる被告たちは、まだ、外在的にしいられた統一性しか与えられておらず、真の内在的な統一を創りだす仮装者となりえていない。
従って私は、何かの力にひきよせられて、この裁判にかかわっているすべての人間たちに、仮装とは何か、とりわけ、仮装としての被告とは何か、を追求するように要請したい。
もちろん私自身もこの要請に従って、権力や存在条件の矛盾を逆用しつつ、なにものかへむかって仮装しつづけていくであろう。
一九七〇・一二・一四
なにかのEveに
仮装被告(団)
松下 昇