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全共闘運動

全共闘運動

全共闘運動

 この概念についてのべられた全ての言説を一たん全否定して、長い時間を異質な生活過程で送ってきた人が、何かの機会に、もう一度、思い浮かべる様々の規定のうち、最後に残るかも知れないのは、

 「自分にとっての必然的な課題と、情況にとっての必然的な課題を対等の条件で共闘させること」という規定である、と一たん仮定してみる。(69・5・29 文京公会堂における集会でも語っていることを、発言集を再読して気付いたが、この規定の形成過程には、バリケード内での希望に似た絶望、あるいは絶望に似た希望が深く関与していたことを付記しておく。)

 一方、世代的に何の予備知識も持たない人が、なんかの機会に、前記の規定を知らないまま、<同じ>言葉を呟いていることもありうる。

 双方の人に共通する<何かの機会>を今すぐに、どのように作りだすか・・・について前記の規定と全く異質に表現しうる〜せざるをえない<人>(そうなのだ、もはやひとでないかも知れない)こそが、<全共闘運動>を把握しつつ生きていくのではないか。


註 この概念についてのべられた全ての言説の中で、方法的な否定によっては否定できないもの、してはならないと感じさせるものを、いくつか上げる。

一、「狙撃兵 別冊資料ーー《全共闘運動》論ーー)(71年11月)現在、無期判決を受けて獄中にいる黒川芳正が、原口健吾のペンネームで、都立大学闘争の体験等を媒介して書いたもの。特に、23ページ以下の「永続的授業拒否宣言」が、ノン・セクト

および政治党派のそれぞれの限界を突破する存在的組織論へ展開されていく論理は、その後の実践活動と共に注目に値いする。

二、「全共闘 グラフィティ」(84年3月高沢皓史・文と編 新泉社)この本を、というよりは、この本の収録している写真の向こうにある情況的な熱気の中で、様々な論議を検証しようとする態度が、全共闘を論じる際に不可欠であろう。なお、前記の本には私についての記述も写真も存在しない。これは、ある意味で名誉なことであると考えている。

三、「大学闘争・・・に関する批評〜資料集」(〜1988・9〜10〜)序=断片的ヴィジョン と題する最初の記述から、69年9月という、バリケード解除後の授業再開強行が全国的におこなわれ、かつ全国全共闘結成集会(東京)が党派連合による全共闘概念の解体を逆説的に開示した時期に生まれた〈 〉が、新聞さえ講読できない生活の中で、必然的な契機によって、69年以後の情況の資料的な再検討を、唯一の手掛りとしての図書館の新聞を調査〜コピーしながら開始した熱気が感じとれる。

  作成主体は、仮装被告(団)。問い合わせ先の一つは、概念集作成〜刊行主体。

概念集・1 p21

2007.12.02前半のみ、転写。

2008.07.21後半補充。