ネット依存~Google依存はやはりかなりわたしを偏向させてしまう。
『存在と言語』は下記の11店舗だけでしか最初から扱っていないのだ。ジュンク堂や旭屋に置いてるといっても本社は関知していないのだ。ましてやネット販売部門とは無縁だ。そういった世界はGoogleからは見えない。
『存在と言語』の取り扱い書店は以下の通りです。 1冊 3,500円(税込)です。
(東京)
・模索舎
(大阪)
・旭屋書店(北区曽根崎2-12-6、06-6313-1191)
・ジュンク堂難波店
(中央区難波千日前12-7、06-6635-5330)
(尼崎)
・三和書房(昭和南通7-161、06-6413-1112)
・小林書店(立花町2-3-17、06-6429-1180)
(神戸)
・ 同 三宮駅前店
・ 同 神戸住吉店(シーア4F)
・神戸大学学生会館
そもそもこの本は出版社はどこなのか? まったくの自主出版ということで取次とのコネクションが無く上記を除けば販売所もないということか。
村尾氏は「著作権という問題意識は私にはなかった」とか語っているが、本当か? すでにより公認された出版形態を何度も経ている村尾氏がなぜ今回よりマイナーな形態を選んだのか?
より公認された出版形態では、著作権問題でチェエクが入る可能性が強いと判断し、よりマイナーな形態を選んだのではないのか?
さて、上記に電話番号も書いてあるし、早速電話してみようか?
今回のゲラp253で村尾は「野原氏や永里氏は単なる「批判」を行っているのではない。刊行作業の息の根を止める宙吊り要請を行っているのである。いくら村尾たちの逸脱ぶりが許せないとしても、そのことを自覚してほしい。」と書いている。
ふーむ。この被害者意識は何なのか、ちょっと驚く。「わたしたちとの話し合いがつくまでこの本の配布を宙吊りにされるよう」という要請が何故「刊行作業の息の根を止める」こととイコールなのか。『ドイツ語の本』の編集過程で、松下たちから話合いの要請が来たとき、三一書房の編集部はここまで短絡的発想はしなかった。話合いが長引き決着が付かず最後「息の根を止められた」のは松下ら異議申し立て側だった。実績ある出版社に比べ村尾は弱小な個人かもしれないが、「話合いの要請」=自らの企画の否定 という結論はいったいどこからでてくるのか? 被害者意識というしかない。
「表現集」などの編集・発行主体は、話合いに対して開かれた態度~思想を持たなければならない。これをわたしたちは最初の公理としている。と言っても良い。
これを根拠にして、私は上記書店に電話をしてみようか?
なんだかやる気が少しづつ萎えているが・・・