☆5☆
1/8に梅田の旭屋書店で、『存在と言語』なる本の現物をはじめて手に取ることが出来た。
予想よりもずっとひどいもの!であった。「『存在と言語』の副題は「松下昇〈全〉表現集」である。」と書いたのは間違いであった。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/File0016.jpg
の画像をよく見てもここには松下昇〈全〉表現集の名はない。しかし画像にはないところの帯の背表紙の部分は2.5センチ角位の大きな活字で村尾建吉の名前が表示されている。帯に“「松下昇〈全〉表現集」(1969年以前)を収録”とある。松下表現は収録されているだけであり、これは村尾個人の著作である。それが村尾氏のこの本に対する法的、実務的規定であるようだ。
しかし中身の8~9割は松下ないし〈松下〉の前史的表現である。これは詐欺ではないか。
松下のものを村尾が売りに出している。そう批判されることは村尾は予想した。そして、松下は著作権を放棄していたはずだという反論で対抗できると考えたのではないか。
自由を求める表現活動と著作権を巡って、著作権を放棄するだけでは背理に陥る可能性があることは、私たちから遠い領域でも早くから気付かれていた。オープンソースやコピーレフトと呼ばれる運動である。
あるプログラムをフリーソフトウェアにする一番簡単な方法は、 パブリックドメイン、すなわち著作権が放棄された状態に置くことです。これにより人びとは、その気さえあればプログラム自身と彼らがそれに加えた改良を共有することができます。しかし、パブリックドメインに置くということは、非協力的な人びとがそのプログラムを 独占的 (proprietary)ソフトウェアにしてしまうことをも認めるということなのです。彼らはプログラムに、量の多少を問わず、なんらかの変更を加えてその結果を独占的な製品として頒布することができます。そのように改変された形でプログラムを手に入れた人びとには、元の作者が人びとに与えた自由がありません。作者とユーザの中に割り込んだ連中がその自由を奪い去ったのです。
村尾氏のやったことは上記の「なんらかの変更を加えてその結果を独占的な製品として頒布すること」に他ならない、と考える。もちろん村尾氏としては「作者(〈松下〉)とユーザの中に割り込んだ連中(村尾)がその自由を奪い去った」とは毛頭思っていないだろう。村尾の思想は松下のそれを継承発展させたものだから、松下思想の私有化には当たらないと思っているだろう。
すでに内容を把握してきた人々には感受されているであろうが、個々のパンフの区分は過渡的なものであり、かつ、ある集合の形態は他の全ての集合の形態と区分されていると同時に全てを内包している。
これら全ての既刊ないし企画中のパンフは何かへ向かって深化ないし飛翔し、既成のイメージないし形式からはみ出していく過程にある。この動きに参加し、応用する人々の一人でも多いことを願う。そして、たとえわたしが身体的条件などでこれらの作業を展開することが困難になった場合にも、それらの人々が仮装的*1かつ本質的な刊行委メンバーとして作業を持続していくことを切望する。
~一九九三年五月~ 刊行委 気付 松下 昇
p3「既刊表現の総体と今後の作業方向」『概念集・9』
表現集〈 〉版を含む、パンフレット群は松下昇の表現とみなされるとしてもそれに留まらず、「何かへ向かって深化ないし飛翔し、既成のイメージないし形式からはみ出していく過程にある」パンフ群として定義されている。したがって「この動きに参加し、応用する」刊行委員会という不定型な組織とその公開性こそは、むしろ著作権を主張する。〈松下〉の自由を他者が簒奪することと闘う為には。
松下の表現が目指した自由を、制限してしまうことにしか、今回の刊行行為はなっていないと考える。そうでないというのなら、どのような自由を展望していると言うのか?
したがってわたしたちは次のように考える。
1.公開。
2.参加者の自由な討論ですべてを決定する。
3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。
上記の<自主ゼミ実行委員会>の原則を持った討論の場が、現実の場に設定されるべきである。*2
その場で、上の野原の五つの問いかけを含む批判疑問を討議することができる。公開の討論を経るまではこの本の配布は宙吊りにすべきである。公開に極限的に開かれていることを抜きに〈松下〉の表現は成立できないのだから。