Hatena::Groupfrom1969

「松下昇〈全〉表現集」の刊行 RSSフィード
 

ツリー全部最新の50件前後を読む

7noharranoharra   村尾建吉氏へ (2)

          ☆3☆

 今はじめて気づいたのだが(というか最初の友人からのメールにもはっきり書いてあるので、見ながら重要性が低いと判断していたのだろうが)村尾氏の刊行したのは、「松下昇〈全〉表現集」と題する本ではない。それは副題で、題は『存在と言語』というのだ。

画像もある。http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/File0016.jpg

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro11-jobun.pdf で、

「言葉そのものが人間を表現し展開していこうとする体験」「自分の言葉の中に自分を存在させることができなければ」と村尾は書く。これは松下のハイデッガー的歪曲だろう。

「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」情況(現実)と「自分」との格闘の場として松下は世界を捉えていたのであって、「言葉そのものが人間を表現し展開していこうとする体験」などという発想はありえない。確かにスローガンだけでなくテーマも言葉で表現されたものかもしれない。

一つの発語であっても、その発語行為を情況や発語主体の自己史の方へ引きつけて考える。下記のような錯綜する表現過程に於いても、総体としての表現過程情況を名指しうるとする松下の思想と、「言語そのもの」を主語として展開する解説は背反する。

 『存在と言語』というタイトルはどこから見ても松下の趣味から遠い。(「存在と時間」のパロディなのでしょうか。)松下の最初の本にわざわざそうしたタイトルを付けることは、松下の思想を歪曲するものと批判されるべきではないか?


          ☆4☆

『存在と言語』の副題は「松下昇〈全〉表現集」である。

「松下昇〈全〉表現集」から〈全〉を抜かした「松下昇表現集」という本(パンフ)はすでに何度か出版されている。

一九七一年一月にあんかるわ(北川透)から、また1988年8月に「表現集 <>版」が。

今回の本は素材的には上記にいくつかの(それほど重要ではない?)文章を追加し並べ替えたもののようだ。

「表現集 <>版」印刷に当たって松下の書いた文章が、「表現集の< >化について」である。(リンクしている)

ポイントは次の通り。

 表現集も発言集も、私の発案というより、共闘者による、既成の<本>の概念をこえようとする試みであるが、ここには大きい啓示がある。その一つは、表現集の内容が、論文とか小説とかいうジャンルの枠を突破して何かへなだれ落ちる、ないし飛翔する方向性を持っており、<表現>集として辛うじて把握しうる瞬間を示していることであり、

もう一つは、

例えば<情況への発言>が、マジック・インキで記され、掲示板にはり出されて以降の筆写~何重もの活字化~コピーを含む応用の総体が、表現過程情況を<身体>とみなす場合の<発言>という位相を帯びてしまうことである。

一つは内容が「論文とか小説とかいうジャンルの枠を突破して何かへなだれ落ちる」その臨界にあるものだ、ということ。これは逆に言えば論文とか小説とかが自負する自立性(実は既成文化からの許可証)をもたず、読者と情況からの積極的関与無しには読み得ないものだということだ。

もう一つは、インテリが書斎で執筆しブラックボックスを経て本が本屋に並ぶという、主体-作品モデルではないということ。

「マジック・インキで記され、掲示板にはり出されて以降の筆写~何重もの活字化~コピーを含む応用の総体が、」表現であり、発言である、つまり書き公開しマスプリし……という総過程にその都度関わる多様な人々もまた情況の一部を形成し、ある意味で表現の主体となるということ。

 つまり一冊の本を作ることは、内容的にジャンル的水準を超えていると主張することになる。*1

また、それぞれの多様な履歴を持った文章の、履歴については一旦すべて切り捨てて文章自体を読めと主張することになる。この両方とも松下の趣旨とは違うが、村尾氏はなぜあえてそうした出版形態を取ったのか?

(1/13 村尾建吉 の「建吉」の表示が誤っていた数カ所を訂正。)

*1:ジャンルにおける既知の解読コードを前提としそれをわずかしかはみださないという、既成性との共犯関係において読まれることを、期待していることになる。

返信2007/01/13 08:09:41
  • 7村尾建吉氏へ (2) noharranoharra 2007/01/13 08:09:41
              ☆3☆  今はじめて気づいたのだが(というか最初の友人からのメールにもはっきり書いてあるので、見ながら重要性が低いと判断していたのだろうが)村尾氏の刊行したのは、「松下昇〈全〉表 ...