昨日は、TM氏の「松下昇とキルケゴール」という文章を読もうとしていた。
この文章は「私が松下昇の存在を知ったのは、大学のバリケードが撤去されてから数年を経た頃のことだった。」で始まる。
で、私(野原燐)の場合はどうだったかというと次のようだった。
私が松下昇の存在を知ったのは、高校生とき学校の図書室で朝日ジャーナルを読んでだっただろうと思う。忘れていたが当時私は「大学に入ること」はすなわち「体制的価値観にそった上昇行為」であり、わたしはそのような生き方をすべき理由はないとかたくなに思っていた。現にわたしの友人は大学へ行かず高卒で就職した。(有名な受験校であった私の高校では異例のこと。)とはいってもわたしはおとなしいデモ一つにも、行けないような弱虫だったので、そんな選択はとうてい無理だった。それに丁度うちの高校で運動が盛り上がった時期(の直前)父親が病死した。長男だったわたしは以後も家族に貢献することはなかったが、結果的に逮捕されることもなく22歳で大学卒業以後面白くもない職場で就職を数十年継続したのは、そのことが影響したといえる。自分のことだからわからないがまあそう考えられるね。そのこととは、最低限逸脱しない生き方をすることだろうか。最低限であればよくそれ以上のことは全然考えなかった。上昇志向も下降志向もない。だいたい“就職を数十年継続する”ってどういう言い方だ、おまえは自分の人生をどう考えている、と皆に言われるだろう。だが、わたしにとっては、自分なりの二元論を維持することが最も大事だったのだ。
それだったら妻と子供なんか持たなければ良いではないか、それとも妻と子供はおまえにとって真実ではないのかと問われるだろう。確かにわたしが大きな影響を受けたはずの吉本隆明の思想には、共同幻想(国家とこの場合職場)を否定し対幻想(この場合妻と子供)を肯定するという思想がある。しかしながら吉本対幻想論は、現実に自分の営んでいる家族に即して理解してはならず、何らかの形で〈死〉にびたびたに浸された形態で理解すべきものなのだ、野原の理解では。(特攻隊員とその許嫁みたいな感じ。)(これはうまく書けないがいずれ書かなければいけないな。)妻と子供は私にとって真実であるが、わたしにとって第一の真実はそこにはない。
私にとっての真実は〈正確であろうとすること〉につきる。ちょっと「性即理」に感動する東洋の文人に近いかもしれない。わりにスタティックで積極的ではない。
それに対して松下の思想には一つのメルクマールがある。「ある声の誘いに応じて、長年にわたって手にしてきた〈網〉を捨てて、直ちに歩き出すことのできる魂の飢餓」*1がそれだ。もちろんある場合にはわたしの〈正確〉も直ちに歩き出すことができなければならないのであるが。
松下について書こうとしはじめたのに、わたしのことをつい書いてしまったのは、松下のダイナミックな〈仮装〉論をわたしの平板な二元論に翻訳してしまうおそれ*2がまずあるだろうということを確認しておくためである。
どうも話が外れたのだが、私が松下昇の存在を知ったのは、高校生の時の朝日ジャーナル(69年か70年)と大学の時の『あんかるわ別号・深夜版』とあんかるわ(村尾健吉氏の文章が毎回載っていた)だった。ということを書くつもりだった。その高校/大学という経過に対し受験以外に私にとってはもっと大きな落差があって、その問題はいまだにそっくり残っているのだということを再確認したのでした。