2011-04-30
■ すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができる
----問題は、この事故を受けて、エネルギー政策をどう考え直すかということです。いままでの議論は幅が狭かった。原子炉をどう守るかという議論ばかりしていましたが、今回の使用済み核燃料の問題は、「使用済み」という言葉と裏腹に、非常に危険で取り扱いに注意を要するものだということも分かりました。
----個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれるのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしたスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかし、もたもたしているうちにスペースはやがて閉じてしまうのです。既得権益を守るために、スペースをコントロールしようとする勢力もあるでしょう。結果がどうなるかは分かりませんが、歴史の節目だということをしっかり考えてほしいと思います。----
ジョン・ダワー氏の朝日新聞のインタビューより。
原発事故というのはなんでこんなにやっかいなものなのか、まるで地獄の蓋を開けたようだ。
で、それは最初から分かっていたこと。
それを絶対にありえないこととしてタブーにしてきたのは、原発推進勢力の権力的言説遂行の卑小にして膨大な積み重ねである。
このような不自然な思考の枠組み(イデオロギー)はすぐにでも崩れるべきだった。だのに今だに崩れていない。
ここでジョン・ダワーが言っていること、<創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれること>と<それが閉じられてしまうこと>、は、下記で松下が言っていることに近い。
この一年間の変化の根底にある何かをヴィジョンとして把握するための媒介として、地震とオウムを設定してみると、一年前の、これからどのように事態が展開していくかについての、いわば未知なるものへの怖れがあったとして、一年後の現在は、これからの事態がかなり既成の価値判断で予測可能な、いわば既知なるものへの安心ないし諦めが生じているのではないか。これとよく似たパターンを想起すると、一つは45年の敗戦直後の日本は歴史から抹殺され、国民はみな戦勝国の奴隷にされるかも知れないという恐怖から、46年のアメリカ占領政策の賛美に近い風潮への変化であり、もう一つは69年の全国の主要な大学のバリケード封鎖(の象徴としての東大の入試の中止)による全ての学問〜教育体制にとどまらず知識〜文明体系の転倒を予感した者たちの全社会的規模をもつ姿勢から、70年の生活の条件をととのえるために既成の秩序を部分にせよ必要とせざるをえないという、ためらいを含む不可避的ななだれ現象への変化である。
95年から96年の変化は、前記の変化に匹敵する質を帯びているのではないか。
・六甲大地震の痕跡は次第に消去され、人々は地震などなかったかのように生活し続け、地震前の文明〜発想体系が支配的になっている事態に耐えることさえ忘れかけている。
・オウム裁判の進行を季節の移り変りのように感受している人々は、現在の情況が、サリン〜<幻の11月戦争>以降のネガであることを考えずに日々を過ごしている。
http://666999.info/matu/data/b02jo.html (概念集・別冊2 序文)
<いわば未知なるものへの怖れ>と<既知なるものへの安心ないし諦め>という二つの位相を松下は取り出す。
それは<45年の敗戦直後の混沌>と<46年のアメリカ占領政策の賛美に近い風潮>*1 に等しい。
また、<69年の全ての学問〜教育体制にとどまらず知識〜文明体系の転倒を予感した運動>と<70年の生活の条件をととのえるために既成の秩序を部分にせよ必要とせざるをえないという敗北>の位相差にも等しい。
それはさらに、<当事者になりうる位置での苦痛の感覚>から<傍観者の位置での対立ないし拡散>へ、とパラフレーズされる。
2011.3.11の地震。TVで津波が街を押し流す映像を見たとき、阪神大震災の時の数十倍数百倍ひどさの災害であることが直感できた。何かしなければならない。その焦りは時間とともに、わずなかカンパ以外結局何もできなかったなという諦めに変わる。
松下は1年と言っているが今回はわずか一ヶ月でそれは変わった、ように感じる。
いままでの日常は従来の権威や関係性が支配する社会である。それが否応なく崩れたとき、新しい関係が絶え間なく生まれることになる。それは思いがけない出会いであり今まで役割としてしか付き合ってこなかった隣人と全面的な人間として出会うことである。生きることの真の姿。それをそこに発見することは誤りではない。
しかしその感動が持続することは困難である。関係の生成は分配の不公平への不満に変わる、などなど。
<当事者になりうる位置での苦痛の感覚から傍観者の位置での対立ないし拡散へ>、という松下が取り出した図式は普遍的であり逃れがたいように感じる。どう考えれば良いのか。「このように生きていることを疑わない居直りの雰囲気ををもらす全ての人〜関係と闘う」のだと、松下は迷いなく言う。私が感じている〈偽りかもしれない疲労感〉を取り除くことができれば、「~~全ての人〜関係と闘う」というのは理解できるし行為もできるかもしれない。ふむ。
松下昇は全共闘運動を大災害のように捉えた(と言うと批判されるだろうが)、そう言えなくもないと思う。「〈スト〉に入る契機自体よりも、一ヶ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。http://666999.info/matu/data/jokyo.html」
大災害で一切が失われ最初から関係を作り直さなければならなくなった時、すべての友人と制度の真の姿がみえはじた、であろう。そして同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性をもそこに生み出すしかないであろう。
大災害から少し離れた場所で生きている私たちも当事者になりうる位置での苦痛の感覚を持った。それを起点に〈自己とその存在基盤を変革する〉ことに開かれた生き方をしていくことができる。
「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれるのです。」松下の視点はいわば極私的だが、同じ事とは逆に、社会をどのようなパースペクティヴで捉えるのかというマクロの問題としても捉え返すことができる。冒頭のジョン・ダワーはそれを指摘している。
【これは、4月30日に野原のブログhttp://d.hatena.ne.jp/noharra/20110430#p1 に載せたもの。6/2転載と同時に最後の部分を入れ替え追加した。】
*1:口先で賛美しておれば旧戦争推進勢力も生き延びられるという安心感