序   文

    一九九六年五月〜    刊行委 気付 松下 昇

 概念集・別冊1の刊行以来、それまでの号を読んでいなかった 読者が増加している気配があり、この変化に影響されて別冊2を1との関連で刊行する ことになった。しかし、そのままの持続ではなく、前記のような読者が表面的なテーマの展開の核心にある何かを、私たちの刊行してきた〜していく全過程との 関連において自発的に追求し始めるための契機になるように構成しているつもりである。この号を刊行する私たち自身こそを、「前記のような」読者の中心に設 定したいのであるが…。
 それと共に、この号では、これまでも表現の対象としてきた領域へ、ラセン状に踏み込もうとしている。表紙の副題を<ラセ ン情況論>としているのもそのためである。従って、目次からも判るように、単にオウムのテーマだけでなく、かなり多彩なテーマと交差しているけれども、そ れらに共通するのは、この一年間の変化の根底にある何かとの格闘である。これについては、<サリン事件の一周年に>でも展開しているけれども、別の視点か らのべてみることにする。
 この一年間の変化の根底にある何かをヴィジョンとして把握するための媒介として、地震とオウムを設定してみると、一年 前の、これからどのように事態が展開していくかについての、いわば未知なるものへの怖れがあったとして、一年後の現在は、これからの事態がかなり既成の価 値判断で予測可能な、いわば既知なるものへの安心ないし諦めが生じているのではないか。これとよく似たパターンを想起すると、一つは45年の敗戦直後の日 本は歴史から抹殺され、国民はみな戦勝国の奴隷にされるかも知れないという恐怖から、46年のアメリカ占領政策の賛美に近い風潮への変化であり、もう一つ は69年の全国の主要な大学のバリケード封鎖(の象徴としての東大の入試の中止)による全ての学問〜教育体制にとどまらず知識〜文明体系の転倒を予感した 者たちの全社会的規模をもつ姿勢から、70年の生活の条件をととのえるために既成の秩序を部分にせよ必要とせざるをえないという、ためらいを含む不可避的 ななだれ現象への変化である。
 95年から96年の変化は、前記の変化に匹敵する質を帯びているのではないか。
・六甲大地震の痕跡は次第に消去され、人々は地震などなかったかのように生活し続け、地震前の文明〜発想体系が支配的になっている事態に耐えることさえ忘 れかけている。
・オウム裁判の進行を季節の移り変りのように感受している人々は、現在の情況が、サリン〜<幻の11月戦争>以降のネガであることを考えずに日々を過ごし ている。

 45〜 46年や69〜70年を体験していない人もこの視点から、この号の位置を共有できるのではないか。そして、私たちは、地震やオウムを契機として論じている としても、個々のヴィジョンや時期やテーマではなく、より普遍的かつ切迫している何かへラセン状に迫りつつ格闘していることを感じとり、共闘への提起をし ていただくことを切望する。


1-できれば、読者は、これまでの刊行過程、とりわけ概念集12(95年3月)、批評集α3 (95年6月)、概念集・別冊1(95年10月)、概念集への索引と註(96年1月)、概念集への補充資料(96年1月)の作成〜刊行に関わった主体であ ることを仮装して、この号をどのように作成〜刊行するかを考えてほしい。(もっと別のことをする、あるいは何もしないことを含めて。ともかく、ここにある 号を自明の前提として把握することはしないでいただきたい。)

2-95年から96年の変化の最も主要な特性を、未知の態度から既知の態度へ、と表 現するとして、問題への関わり方として表現し直すと、当事者になりうる位置での苦痛の感覚から傍観者の位置での対立ないし拡散へ、である。このように生き ていることを疑わない居直りの雰囲気ををもらす全ての人〜関係と闘う、といえば少し何かが伝わるであろうか。

3-地震やオウムの論じ方によって、 それぞれの人〜関係の位置が明確になってきたのは得難い成果であるが、あらためて驚いたのは、それぞれの人〜関係が時間を潜ったり基準にしたりする場合の 無数の形態や比重に関してであった。一例を挙げると、刊行委の一人(松下)にとってはオウム教団の86年以降の10年間を直ちに自己の軌跡と対比して発想 するが、他の人にとっては対比すべき軌跡が確実な手触りとしてはないか、それ以外の発想軸に依拠している。相互に立場として等価であると前提しつつ、それ らの関連をより深く追求〜応用していきたいテーマとして記しておく。

4-もう一つの新たなテーマの感触は、それぞれの人〜関係が何かを見たり、聴 いたり、語ったり、書いたりしている場合に、表面上は活気に満ちているようであるが、実際はひどい空虚をかかえ、しかも気付かないフリをしていることであ る。私たちの刊行してきたパンフレットを届けようとする時などに、この感触は明確になる。比喩としても、苛酷な現実としても、「ごちそう」を食べ飽きてい る人々が、私の差し出す<飢えた者たちの食物>へ一瞬しめす当惑の感触と対応している。表現の問題としていい直せば、地震で生き埋めになっている人や、獄 中にいる人には筆記用具や表現意欲さえ奪われている意味をとらえずに表現を浪費している、いや、させられているのであり、社会の総体が浮きドックのように 表現の発生基盤や根拠から、遊離しつつあるのではないか。

5-<地獄>を描き、それと闘う方法としての概念集のヴィジョンに関しては、96年1月に刊行した<概念集への索引と註>に掲載した討論断片のなかでもふ れているが、そのための表現手段を生存の原点から把握しつつ、描く対象や闘う方法、そして共闘者と出会っていきたい。

6-〜

概念集・別冊2 序文