2010-10-28
■ 〈逃走〉論
改めて、私とは(私というスタイルとは)何か?を、問い返された。
「坂本的なもの」に対し、私は違和感以上の、距離の遠さを持っている。
肉体が思想する、肉体が文章を書くみたいなその直接性に対して。
書くとき、私はつねに何らのかの種類の「メタ」的距離を、対象あるいは主体との間に確保しようとする。
その方法は、論理的にはメタの立場に立つこと、である。
修辞的には、言葉(シーニュ)を物として詩人のように矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)することであり、また語法(ディスクール)についてもそうだ。
そして生き方については、日本人として、県庁職員として、子(夫、父)として、生きることから「仮装」と称して距離を置き、常に本気ではないよ、とし続けることであった。
私はまあ文学少年(あるいは哲学少年)のなれの果てみたいなもの、であるとも言えるが、それについても賞を目指すとか本を出すとかいう志向は一切なかった。上昇志向のなさという問題ではなく自己を確定することへの恐怖からであろうか。
昨日、元吉〜坂本のやりとりを読みながら、対象である熊本自主ゼミのことではなく、自分自身のことをつい考えざるをえなかった。
松下グループ*1との関わりにおいても、考えてみると、よく生き延びたものだと感嘆するしかない。燃えさかる溶岩のなかをごろごろ流れてくる巨岩の上をピョンピョン飛び移り溶岩に落ちないようにしながら移動するTVゲームがある。まるでそんなふうに生きてきたのだな、と思った。そういう自覚が一切なかったから逃げ延びられたのだろう。
すなわち私は、いったい何から〈逃げ〉続けてきたのか?
どうかな。*2
*1:「(といった言葉を平気で使ってしまうが)」と書いたが、やはり良くないな。松下昇氏を中心にした関係性、と言い直しておく 10/31記
*2:まず第一には、元吉さんのような目に会うことから、と言うことができる。彼女は大学の非常勤講師であり、学年末に学生の単位認定をするのが制度からみた最大の仕事である。それに対し、「人間を教師が評価するのは正しいことではない」といった青臭い理屈をかざして拒否しようとすること、そのような志を持ちながらそれを貫徹できないことに対する(正当であるところの)激しい批判。普通に生きることが、(私自身からの)激しい批判を免れ得ない、という矛盾。そうした矛盾は大なり小なり誰もが持つものだが、それをなんとかなしくずしにしながら生きている。そのなしくずしに対する拒否感、それが私だ。