松下昇~〈 〉闘争資料

2010-06-15

未来において開始される「意味」

「〈 〉闘争の原像・1」第2分冊 p1 から 引用したい。

事実の意味というのは、過去形ではなく、未来において始めて開始されます。だから、過去形の事実を未来形の事実性として論じない限り、粉砕する他ないというのが、私の内部に湧き出ている声なのです。

(松下昇) 発言集1

これを読んだとき思い出したのは、劉燕子さんの、香港での天安門事件20周年の大集会の報告でした。*1

天安門事件とは何か?

 事件で17歳の我が子を失った丁子霖(ていしりん、Ding Zilin)は、たくさんの犠牲者の名前、年齢、職業、被害状況について記録しようとする運動を起こしました。*2

事実を明らかにするために、膨大な努力が必要であり、それは現時点での権力とのいさかい(闘い)を生じさせる。

そしてそれを次の世代に伝えることにより、<未来において始めて開始される>ところの意味が開かれる。

 

実際に言論の自由がかなり制限されている中国では、天安門事件の記憶すらが抹殺されようとしている。一方日本では、あふれる情報のなかでかえって安保闘争や大学闘争の意味は遠ざかり見失われつつある。

 

未来を切り開いていかざるをえないという力強い要請が彼らにはある。彼らからその磁場を学ぶことにより、一見消滅したかに思える日本における〈現場〉を回復していくことができるだろうか、私たちは?