松下昇~〈 〉闘争資料

2009-10-03

空間的な表現に〈 〉をつける

コブシに〈 〉をつけはじめている……と書くとき、それは序章から第三章までに〈 〉をつけていくことと、第四章以後に〈 〉をつけていくことの二重性を含んでしまう。この二重性を、どのように越えればよいのか、まだ分からない。

六甲 4-3

コブシに〈 〉をつけはじめている:わたしたちというものがすでに天皇制によって汚染されていることを知ること、それはいままで不動であると信じていたモノが浮動することを知ること、である。

コブシに〈 〉をつけはじめている……と書くとき、わたしたちの社会の常識・秩序に〈 〉をつけていくことと、それを分析しているわたしという主体性に〈 〉をつけていくことの二重性を含んでしまう。この二重性を、どのように越えればよいのか、まだ分からない。


〈種〉は育っている。

大学は中世から講義とゼミによって構成されています。講義はlectureですけれども、語源的には「読むこと」です。決められたテクストを皆で一緒に読んだり、あるいはそれをもとにして教師が解釈を加えるというのが「講義」です。他方で、ゼミナールは、むしろ学生と教師がともに真理をめざして議論をする、そういったスタイルです。ゼミナールの語源は「種 same」で、ゼミナールは「苗床」のことです。教師と学生がともに知の種をまくという作業にあたります。講義とは違って、教師と学生とが共に問いを発しあうことがゼミナールでは重要になります。今回のゼミでは学生発表の回も設けていますけれども、それぞれの回で質疑応答の時間をとりますので、その時間に積極的に発言されることを期待します。

http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/10/post-280/