松下昇~〈 〉闘争資料

2008-08-24

< >の自覚的発生

fufはいわば正社員ヒキコモリの団結を創造しようとしているが、その団結を、僕たちは単なる労働形態ないしは社会階層として分類される「フリーター」ではなく、新たな主体としての<フリーター>という名前で表現しようとしている。

http://fnfukuoka.jugem.jp/?eid=168


もう一人のNさん

と私は私のことを呼んだ。

20年以上前、<85.2.1>〜<86.3.24>といった時期に十数人の大人たちがなにやら必死に活動していたわけだが、なんだったのか。わたしは局外者だったわけではなく、だれより熱心な参加者だったはずだ。わたしは何よりももう一人のNさんであったことは間違いない。体験を疎外せずにどのように語ることができるのか?

http://from1969.g.hatena.ne.jp/noharra/20080809/p1


Nさんとは誰か?

処分結果回答書という書類のコピーが本棚から出てきたので、転記する。

昭和61年4月

○○○○○長 殿

      大阪地方検察庁

処分結果回答書

被疑者被告) N・N*1

検察官処分

  起訴年月日 S61.4.15

  罪 名   公務執行妨害

  検察庁名  大阪地方検察庁

判決(決定)

  空白

備考

 大阪地方裁判所刑事15部3係係属中

 大阪拘置所在監中

 

<86.3.24>に何かがありその結果起訴された男性がNである。

それがわたしに何の関係があるのか。<86.3.24>にその場にいるのを避けた私に。

人事院公平委員長殿

なんていうのもでてきた。

1987.9.1付け

請求者 N・N

請求者代理人 野原燐*2 である。

未決収容者 生活のしおり

大阪拘置所 というのもでてきた。

B4版41頁、別紙5枚を

丁寧に手書きで写したもの、N・N氏が。

「オオシマという男  −−N・N裁判を傍聴する」

という、B5版2頁の手書きミニコミ原稿(私の書いたもの)もでてきた。

そのうち紹介しよう。86.10.3付けの「○○君の復職をかちとる会ニュース」に載せたもの

制度上の京大自主ゼミ1年目

33年前に、わたしが書いた文章が出てきた。掲載しておく。

http://from1969.g.hatena.ne.jp/noharra/19750308/p1

 

*1:イニシャルではない

*2:の「本名」