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 レストランなどの食事の品目を記した表であり、運動の練習や訓練の内容をさすことも

あるが、ここでは拘束施設の食事を媒介して考えてみる。

 学校給食や病院給食と同様に、施設の方針による大量かつ均一的な調理・分配という点

では共通するが、材料は国家予算の配分の乏しさから劣悪であり、人工着色・合成保存料

への配慮もない。従って、かりに、さまざまの施設の食事の一週間分のリストを作成して

比較する場合、食事の名称による印象に無自覚に依拠すると、意外に良い食事のように感

じかねないだろうが、まず物質的な側面を料理の原則から正確に測定する必要がある。ま

た幻想的な側面からいうと、拘束施設の食事は、その日その時刻ごとの被拘束情況の中で

飢えや失望を満たすために、ともかく口へ入れざるをえない媒介なのであって、拘束され

ていない状態で同じ名称の食品を食べるのとは決定的に質が異なる。

 ただし、いずれの側面に関しても、拘束施設の食事が、他の施設や家庭や店の食事より

も悪いとは限らず、良い点も指摘しないと公平ではないだろう。いくつか例をあげると、

麦を半分以上混ぜた主食は身体にいいし(強制的な禁酒・禁煙も?)、おかずの質はとも

かくとして、キャベツや大根おろしなどはふつう考えられないほど大量に皿に乗っている

ことがあり、何よりも無料なのが私にはありかたい。食事を配ってくる服役者と看守の目

をかすめて一言二言の会話を試みるのもスリルがあって楽しい。

 拘束施設の食事に関して、文字通りメニューを掲載して論じることはできるし、希望者

にはコピーを配布することは可能であるが、この項目では次の点を強調したい。


一 広い意味の拘束施設(監獄のみならず、学校や病院を含む。)は、社会の一般的概念

 が明確に実行される場であり、監獄においては最も露骨かつ低水準の執行がなされるけ

 れども、同時に、社会の一般的概念の歪み、誤りを逆照射する場でもある。食事につい

 てもそうであり、私の経験では、収容者の残飯(まずさや絶望などにより増加する。)

 は拘束施設内で飼われている豚のえさとなり、食べた豚は屠殺されて収容者の食事にな

 る。この循環系は目の前で機能しているから、私たちの社会の食事を含む全文明体系が

 他の生物とくに家畜の生命の犠牲の上で成り立っているというシステムの蔽いをはぎと

 ってしまう。このような文明体系への異議〜転倒の試みへの衝動を、拘束施設のメニュ

 ーは与えうるのである。

ニ メニューを、押し付けられたプランから、対等に作るプランヘ変換していく試みは、

 まず、監獄よりも条件のゆるやかな場で、食事に限らず、さまざまなプランについて開

 始し、成果を監獄へ還流させていくべきであろう。食事に限っても、家庭ないし集団に

 おける食事の仕方、材料の入手〜調理〜後片付けへの各人の参加様式は、生活〜発想様

 式の比喩である。そして、材料の入手という場合、たんに価格や有害化学物質への関心

 のみならず、入手の全過程(とくに肉食の場合は、前述したような家畜の屠殺)への参

 加ないし容認をなしうる時にのみ入手しうるのではないかと、あえて提起しておく。


 三、食事のメニューを、人間 の生存に必要なあらゆる行為についての選択可能または不

可能な一覧表のテーマに拡大しつつ共通の討論テーマにしていく試みが必要ではないだ

ろうか。

例 1)人間 の生理的な存在に不可欠な行為 (呼吸、排泄、睡眠、医療、運動など)

  2)生存に必要ではないかもしれないが、幻想的には(1)以上に 人間をひきつけうる

行為 (遊び 、対人関係ー性的関係を 含むー、社会的活動 など)

  3)集団的〜国家的水準で強制されたり、すすんで応じたりする行為。(教育、刑罰、戦争など)

 区分の仕方や例示には、他に多様な<メニュー>が可能であろうが、発想の媒介として

掲げてみた。読者との意見交換を経て再構成しつつ、今後さらに展開していきたい。ここ

では69年段階の神戸大学の自主講座のプログラムが、どのように具体化されていたかを

メニュー>論への参考として記しておきたい

(1)教養部正門を入って左手の大教室B109の黒板に、今後一週間の日付と午前・午

  後・夜の枠のみを記入しておき、任意の参加者が、自分の提起したいテーマを希望す

  る時間帯に記入し、実行する。ジャンルの制限なし。

(2)B109教室は全学的な集会の場として使用するのに効果的な位置にあったので、

  集会を自主講座のテーマとして提起する者もあり、参加者の討論を経て了承された場

  合には、自主講座のプログラムに入れる。他の教室や学外での活動についても同様。

(3)一週間を経過した段階で、それまでの活動に関して総括討論を行い、これに参加し

  たものは、学内者・学外者を問わず、次の一週間の自主講座運動の実行委員会のメン

  バーとなる。

 このような原則に基づいて、70年3月の入学試験を理由とする全学ロックアウトまで

約1年間にわたって、殆ど連日の自主講座が展開された。70年3月以後1年間にわたり

B109教室のロックアウトは持続し、自主講座の場や方法も飛翔していく。絶えず原点

にもどりつつ。詳細な経過は<神戸大学闘争史ー年表と写真集ー>を参照されたい。現在

までの自主講座のメニューの総体については、今リスト化しつつあり、重要テーマは、概

念集の今後の項目でも取り上げていく。(このパンフの<自主講座>の項目参照)

 なお、(1)でのべた黒板へ任意に記入されたテーマの中で、現在まで最も衝撃的であ

り示唆を与えるのは次のテーマである。

 <自分にとって実現不可能にみえるテーマの一覧表を、どのように表現するか。>

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