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監獄

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 すでにミシェル・フーコーも述べているように、管理社会の高度化は、最小限の強制から大規模な刑法上の拘禁にいたる監禁連続体をもたらしている。その内容は、労働や生活の監視、管理、体制的かつ画一的な教育等によって特色づけられ、これは社会総体の監獄化を意味するが、それ故にこそ監獄についての明確な判断と批判が重要であろう。その際、日本においては新しい支配システムや設備が、古いものと併用され、抑圧を高めていることに注目しなければならない。その例をいくつか次に示しておく。

 東京拘置所では、蒲原重雄が大正末から昭和はじめに設計した、X字形ないし放射線状と形容しうる旧舎(北舎、南舎に分かれる)と、その後全国の各拘禁施設で採用されたコの字形の重層する新舎が併用されている。 (註一)旧舎は、建築の形態としていえば、各棟の配置が監視台からの管理に適しており、ヨーロッパの行刑施設の伝統の影響を感じさせる。設計が管理者に便利であることは、当然、拘禁されている者には心理的という以上の構造的抑圧として機能するが、それと共に指摘したいのは、この設計は日照の確保において、かなり不利な点である。しかも、一つの棟の南側にのみ房があるならば、斜めからであれ、ある程度の日照は確保できるが、実は、真中の通路の両側に房が配置されているために、太陽に遠い側の房での日照時間は極めて乏しい。これは、週に四日、三〇分づつの運動(雨天ないし出廷日など管理者が勝手に理由づけをすれば中止)しかできない被拘禁者にとっては健康上も大問題である。筆者の経験では、収容時にはまず旧舎にいれ、その後、態度が良好?であれば新舎に移すが、何か拘置所当局に気に入らないことがあると、旧舎にもどされたり、もどすというどうかつを受けたりした。この新・旧の併用による抑圧について、旧舎の建築上の見事さを評価する人々は、どう考えるだろうか。

 たしかに、鳩の形をした塔や、食品倉庫は、それ自体として客観的に、つまり拘禁されていない状態で見れば、ある意味ですぐれているのかも知れない。(註二)しかし、被拘禁者は、それを見ることができるような場所へ連行されることはまずないし、かりに偶然、そのような位置をかすめるとしても、数瞬でも注視した途端に看守の叱責の声が迫ってくるはずである。監獄に眼らず、建築の評価の前提として原則的に必要なことは、だれもが、その建築のどの部分へも自由に行き来できる条件をつくることであり、最終的には、使用方法や破壊方法について対等の決定権をもつことである。

 ところで、新舎の様式は、ほとんど全国の大規模な拘禁施設にとり入れられている。だれが設計しても、この様式を指示ないし強制されるのであろう。しかし、日照の点などでは新舎は旧舎より良くなったとはいえるが、旧舎の机(流し台の上に板をかぶせる形)と椅子(便器の上に蓋をして座る形)の設計が、畳の上の座り机に変化したので、本やノートが水にぬれることなどは減少したとはいうものの、足や脊椎を痛めやすい。しかも、設備が新しくなることは、特に日本の監獄では、管理や懲罰の圧力もきびしくなることを意味しており、新舎にある保護房と呼ばれる懲罰用の房が、より密室性と非入間性を加速させていることに、それは象徴されている。また、新築後の警視庁の新しい留置場(代用監獄-註三)は、旧舎風の放射線状の房の配置と、新舎風の保護房の構造(外のみえる窓をなくし、壁や床をマット状にし、監視台方向は全面を鉄格子とする。)を同時に採用していることに注目したい。日本の支配者は自らの役に立つことは何でも新しく採用するのだ。代用監獄と正式の?監獄の併用による抑圧の高度化という方法的伝統に立ちつつ。

 新しい様式の拘禁施設のそれぞれの設計において、微妙な、しかし決定的な差異もあることを指摘しよう。筆者の体験から、同じ新しい様式によって設計された東京拘置所と大阪拘置所を比較すると、前者より数年おくれて設計された後者では、房の窓の外の目隠しのビニール板は取り払われ、廊下に面した窓口は低くなっているので、看守と話をしたり、食器を出し入れする時に、すわったまま行なうことができる。だだし、ラジオのスイッテは前者と異なり室外につけてあるため、うるさくても自分では消せず、報知器(といっても、赤い印をつけた板がカチャンと手動で下りる原始的なものであるが)を押して、看守が気付いて面倒くさそうにスイッチを押しにくるのを辛抱づよく待っていなければならない。また、 一度消してもらうと、次の番組をききたいと思っても、あらためて看守をよぶのに、かなり勇気がいる。

 ところで、被拘禁者は、生理的身体としての自己を苛酷に意識することを権力から強制される存在であるが、今もかなり残っている警察署の旧式留置場では、水洗トイレがあるものの、水を流ずボタンは、監視台にのみあり、拘禁されている者は、用便する度に、大声で水を流してほしい、と自分の房の番号と共に「お願い」しなければならない所が多い。 一九八六年三月に筆者が入っていた「大阪の警視庁」を自称する天満署にも、依然として、この旧式トイレが残っており、しかも、男子房と女子房は隣り合わせであるから、女性の生理的・心理的苦痛は、より大きいと推測できた。

 過渡的に、しかし緊急に提起したいのは、建築にたずさわる人々に、前述の諸矛盾に対して具体的になにをなしうるか、なしえない理由は何かを考え抜いてほしいことである。もとより、これは一分野への問いとしてでなく、あらゆる人、あらゆる分野への問いとしても提起するのであるが。

 最後に、日本の監獄の実態の国際的水準について述べると、現在の日本では、明治四一年(一九〇八年)に制定された前近代的な監獄法により運営されている。政府は、法律化、近代化、国際化という三つのスローガンにより拘禁二法(留置施設法案・刑事施設法案)を実現しようとしている。しかし、その法案の内実は、国際化という点では、欧米の解放監獄(房に鍵がなく、異性との二人切りの面会もでき、さらには自宅からの通勤服役という形態さえある。)への傾向からはるかに離れ、むしろ近代化、法律化と称しつつも、服従の度合によって、利益を与えたり、処罰を加えたりする振幅を大きくすることによって管理を強化し、獄中者の差別分断をはかる方向をもっている。監獄のあり方にもっともよく象徴される、この日本的特性の根にあるものをこそ、さまざまの方法で解体していかなければならない。


註一- 増淵利行「東京拘置所」(一九八四年)の添付図参照。できれば、時の楔通信第〈十二〉、〈十三〉号の「表現としての被拘束空間」も。

註二- 坂口安吾「日本文化私観」 (一九四二年)、長谷川秦「神殿か獄舎か」 (一九七二年)他参照。

註三- 正式の監獄より、さらに劣悪な条件下の留置場を無期限に代用することを認める、国際的にも異例な制度。この制度の存続は、天皇制の存続と必ず関連しているであろう。

(概念集1-p9-11)

参考1:監獄法改正に付いて

1982年以来政府が監獄法改正案を3回提出したがすべて廃案となっていた。しかし2005年5月18日参議院にて改正監獄法ともいえる「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」が全会一致で可決成立し2006年に施行される予定であるが、この結果監獄法の名称はなくなる。総則に受刑者の人権尊重を明記し、受刑者の処遇向上を目論んだものである。また懲戒的処遇を改善し、目的刑的側面(矯正教育等)を大幅に盛り込んである。

http://www.geocities.jp/aphros67/120100.htm

刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律

http://www.ron.gr.jp/law/law/kei_juke.htm

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/2005_07.html

「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」成立にあたって:

日弁連会長声名

当連合会は、創立以来、監獄法の改正と代用監獄の廃止を訴え続けてきたが、今ようやくにして、監獄から名称を変更した刑事施設と受刑者の処遇が改革されることになった。切り離された未決拘禁者等の処遇と代用監獄問題に関する立法については、これから当連合会と法務省、警察庁の三者により、協議されることになる。

(略)

ただ、今回の改正にあたっては、作業賞与金の賃金化や医療の厚生労働省への移管などの抜本的改革はもとより、1日1時間の運動や単独室原則の法定化、不服審査のための独立機関の法制化などが見送られ、抽象的な権利制限条項や期間制限のない隔離収容と保護室収容の存在、非人間的内容の懲罰の存続、弁護士との外部交通の不徹底など、当連合会が改善を求めた諸点が残された。しかし、国会の修正により5年以内の見直し条項が盛り込まれたので、その機会にこれらの諸点の実現を目ざしていきたい。

当連合会は、引き続き未決拘禁者等の処遇の改善と代用監獄の廃止に向けて取り組んでいくものである。

いわゆる代用監獄(代用刑事施設)について ウィキペディア

代用刑事施設(だいようけいじしせつ)とは、警察法及び刑事訴訟法の規定により,都道府県警察の警察官が逮捕する者または受け取る逮捕された者であって留置されるもの,刑事訴訟法の規定により勾留されるもの,法令の規定により留置施設に留置することができることとされる者を,刑事施設に収容することに代えて,留置することができる施設をいう。いわゆる代用監獄

指摘される問題点

代用刑事施設に収容されることにより、自白獲得のための長時間の取調べが連日にわたって行われ、人権の侵害、虚偽の自白の誘発、ひいては冤罪の原因となっているとの批判が古くから行われてきた。自白の強要を行うことは日本国憲法38条1項2項や人権条約に違反する行為である。

これらを裏付けるように、1970年代には長時間の連続した取調べを理由に自白の証拠能力を否定する裁判例が出されていた。

裁判官の寺西和史によると、寺西は被疑者を代用監獄(当時)に送るべきではないという考えから、令状審査では拘置所に送る決定を常に下していた。しかし、検察官の準抗告によってほとんどの決定を覆されたため、やむなく被疑者が被疑を否認した事件に限って拘置所に送る決定を出すようにしたが、それでも大半が準抗告によって寺西の決定は覆されたという。拘置所への送致が有名無実となり、留置所への送致が常態化していたことがわかる。

また、国連の人権小委員会では日本に関する人権問題として代用刑事施設問題が取り上げられることが多い。多くの場合、人権小委員会はこの問題に対して懸念を表明している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%94%A8%E5%88%91%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD

その他:

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/7136/daiyo.html

http://news.livedoor.com/article/detail/1903200/

http://news.livedoor.com/article/detail/1904530/

直接関係ないが、東京都立川市の自衛隊官舎に反戦ビラを配ったとして、昨年12月に住居侵入の罪で東京高裁から罰金刑を言い渡された例。

http://news.livedoor.com/article/detail/1772540/

東京拘置所の写真

なお、東京拘置所の写真を探した。とりあえず下記があった、雰囲気は分かる。

http://nekosuki.org/landscape/pieces/nd730674.htm

http://nekosuki.org/landscape/pieces/nd730669.htm

(以上 二項目 2007/12/06 野原記 )

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