ニーチェ、エマーソン、フーコー、アーレントらが、自己倫理をめぐる議論を民主的な政治に直接結び付けようとしていたわけではないだろう。しかし、「人びとの間の複数性」と「自己の内的複数性」との間には、切り離しがたい連関があるように思われる(人びとの間の複数性と内的複数性参照)。そうであるならば、ラディカル・デモクラシーが「意見の複数性」を擁護するためには、自己の内的複数性を主張する「自己倫理」の思想と結びつく必要があるのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/sebone8/20081112/1226469290