2006.3.26 黒猫さん気付“はらぺこ塾”宛
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「概念集」を読む。 野原燐
テキスト:『概念集・1』
わたしたちはいままで名著と呼ばれるような本をたくさん読んできた。
しかしながら相手がいくら名著であっても読者の側がそれを必要としていない限
り名著も力を持たない。一方で、ありていに言えばわたしたちは金銭とか健康と
かいう概念から自由ではない。そのような自己の〈不自由〉とは別のところで哲
学や思想を学んでもせんのないことである。
「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的
なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれて
くるはずだ。」
http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm
行動し考える主体自体を問おうとするなんていう課題を掲げたとしても、
困惑混乱に陥るだけだろうとの危惧が立ちふさがる。しかし頭ごなしに拒否する
こともないのだ。かなりのところまではいける!と、松下を読めば、思うことが
できる。
「概念集1」という松下昇のなぞめいたテキストから、なるべく平易な
メッセージを読みとっていきたい。
下記の二つのサイトも参照してください。
http://from1969.g.hatena.ne.jp/
http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/
(以上)
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概念集1 送付リスト
ISさんへ 送付 パンフ
MJさんへ 送付 画像
・KNさんへ 手渡し パンフ
・KTさんへ 手渡し パンフ
○○さんへ 手渡し パンフ(例外)
・HIさんへ 送付 パンフ
・MTさんへ 送付 パンフ
KKさんへ 送付 画像
TNさんへ 送付 画像
YGさんへ 送付 画像
4/3 ISさんへ 案内メール
4/3 TMさんへ 案内メール 画像送付予定
あと、TKさんに出席依頼するか検討中。
・印は「はらぺこ」コアメンバー。
“松下昇入門”なんていう問題意識は、禁じられていて口にすると罰せられるような気がします。
下記の文章は、わりとそれに近い。
出会った入々からの問いかけ
93年から94年にかけて初めて出会った人々から受けた質問群の中で私の切実な関心と交差する場合の応答を再構成し、その一部を抽出してみると、次のようになる。
① 大学闘争とか全共闘のテーマは、ごくふつうの人にとってどんな意味があるか。
② これからの日本や世界はどうなるか。どんな政治思想・運動に依拠すればよいか。
③ あなたの表現に< >がよく出てくるのはなぜか。
①に対して--大学闘争とか全共闘のテーマが、あなたにどのように関係があるか説明できる人は多分いないでしょう。いれば、反論するか無視しておけばいいとおもいます。それにより、その入も鍛えられ、自分の軌跡を考え直すことになるでしょうから。しかし逆に、あなたが苦しみ、悩んではいるが、解決の方法が少なくとも既成のレベルでは見当たらないと予感し、その予感が現在の社会で流通している言葉では提出しにくかったり、孤立~排除された体験があれば、あなたはどんな大学闘争や全共闘運動の体験者よりも、そのテーマに近いと考えてよいでしょう。
②に対して--そういう政治思想・運動はない、と考えた方がいいです。より正確には、どこかに依拠すべき政治思想・運動があるかも知れない、という考え方を捨てた方がよいのです。私の、かなり独断的ではあるが役に立っている、ダメな政治思想・運動の見分け方を紹介してもよいのですが、それは私の概念集の全項目を最大の関心をもって読む方が正確に伝わりますから一々語ることは止めておきます。ただし、これまでパンフレットには書いていないいい方で補充すると、
政治思想とか運動が、先験的に存在するとか必要だとする立場は全てダメです。またこの世界には政治思想とか運動などより遙かに重要な問題が満ちており、各人のそれらとの格闘が無意識的集合として投影されたものの断面の一つが政治情況であることを身にしみて判っていない立場も全く信じるに値いしません。
とはいっても、私のパンフレットの内容や、このようないい方に依拠する必要がないのも自明です。もし、それらに少しでも関心を持っていただけたら、私はあなたと対等の友人にはなれますから、その後で一緒にダメな政治思想・運動の見分け方を深めていくことができます。その過程で不可避的に何かの政治思想・運動を作り出してみるのも楽しいですね。
③に対して--説明できたら用いなかったでしょう、と答えるのは、あまりにも失礼なので一生懸命かんがえてみたのですが、
いえることの一つは、この号にも掲載した<河川敷・身体・空間>の中で記している< >広場や< >小屋に対応するモノ(物質)をあなた自身が作ってみようとする過程で判っていただけるかも知れないということです。
もう一つは、< >を表現して(より正確にはバリケード解除~授業再開後の教室の黒板に白ペンキで六対の<<<<<< >>>>>>を出現させて) n次の弾圧(処分理由、損害賠償、刑事告訴、~)を引き寄せてきた過程を現在の情況で考え直してみることです。 (概念集2の<無力感からの出立>の< >発見の瞬間についても乞参照)
ここまでのべてから私が60年代の中期に発表した<六甲>と<包囲> (それぞれ表現集< >版に収録)を読み返してみたのですが、本質的には、ここで提出しているものは今も有効であるし、いや、今後やっと意味を発揮し始めるといっていいと思います。これらの表現以降の全ての表現(行為を含む。)は、これらの応用であり、註であり、解説でもあります。いま<六甲>と<包囲>について語ってはいますが、これを< >に関する<私>の他の表現に変換してかまいません。少なくとも私は、そのようにしてこれからも表現し、追求し続けるでしょう。
(後略)
(概念集10・p20-21)