はみがき粉  



 場所によって異なるかもしれないが、私の七〇年~八○年代の体験では、生活用品を持たずに身柄を拘束された場合に支給されるのは、タオル、石鹸、チリ紙、歯ブラシ、歯みがき粉の五点セットである。(新品とは限らず、釈放された人の使い残しの応用もある)
 これらの内のどれかを持っていても、何か仕掛けがしてあるかも知れないということで使用は認められないし、前記の五点以外の生活に必要な物品を持っていても取上げられ、領置(釈放の時まで保管)されるから、生活用品を持たずにというのは、こちらの生活意識からの規定に過ぎず、権力からみれば、ここへ連れて来られた者は、最基底から保護~拘束しておくべき幼児ないし宇宙人的存在なのであろう。持病や負傷のための薬品類を持っていて持続的使用を主張しても拒否され、翌日以後に拘束施設内の医療機関で支給される、必ずしも症状回復には役立たないもので辛抱させられる。
 五点セットについては註が必要である。タオルは自分の首を吊ったり誰かの首を絞めたりできないように半分の長さに切ってある。(はいている靴下も、同じ理由で足首から上の部分は切断される。)石鹸は使い過ぎるといけないので半分。チリ紙は一番粗悪なものが二十枚ほどなので下痢などをしている時は文句をいわれつつ追加注文することになる。歯ブラシはビジネス・ホテルなどの使い捨てレベルのもの。歯みがきチューブは中に針などを隠しても検査しにくいし、金属製のチューブをひきちぎって凶器にしてもいけない、値段も高いという理由で粉末を元の紙の箱の半分だけ支給される。それぞれ数日中に領置されている自分の金で施設内の購買部で買う手続きをして服役労働で配ってくる灰色の仲間から受け取るか、差し入れ(ただし購買部で買ったもの)を看守から受け取ることもできるが、規制は前記と殆ど変らない。

 以上から、日本の国家権力が、人間の生存~一般的生理維持に対して何と貧しいイメージしか持っていないか、一方、秩序の生理が脅かされることに対して何と豊かな想像力を持っているか、ということが判るであろう。勿論、現在の地球上の国家群の全ての拘束施設の実態を調査してみれば、より劣悪なケースは多く発見できるであろうし、国家権力によらない、内ゲバや家庭内暴力(それぞれのいい方は正確ではないが、ここでは記号として使用する。)における拘束状況での、法に形式的に依拠しないゆえの凄惨さも知らないわけではないが、それらの止揚のためにも、私たちが無意識の内にも包囲されている、共同幻想のレベルによる自らの生理の扱われ方を把握しておくことは必要であろう。

 ところで、この項目を〈歯みがき粉〉としたのは、五点セットを媒介する生理位相からの国家批判をしながらも立ち昇ってくる香りへの一種の偏愛のためである。初めて五点セットを受け取った時、それぞれの質や形態に異和があったが、歯みがき粉には異和が最も長く持続した。どうしても、磨いた気にならないのである。谷川 雁の詩にある、東京へ遊学中の学生が、てのひらに歯みがき粉をのせて吹きとばしながら故郷に想いをはせる姿や、佐々木幹部の詩にある、早朝の歯みがき粉の色が開示する感覚に立ち枯れている姿などが記憶からよみがえるほどの余裕もなく、ひたすら監視される孤独に耐えていた。しかし、何度か歯みがき粉のお世話(歯をみがくためだけでなく、空腹時になめたり、タバコ代りに□や鼻に少量つめて呼吸して有効であった!)になってからシャバヘもどってくると、逆にチューブに入ったものは気持が悪くて使用しなくなった。また、タバコ代りに有効であったことに示唆を受けて、一本百円もする禁煙パイポの再利用を思いつき、使い捨ての運命にある使用済みのもの数本を歯みがき粉ひとつまみと共にビニール袋に入れ、密封して良く振り、一晩ねかせると、見事に復活することが判り、以後ずっとこの方法を愛用している。ただし、歯みがき粉のにおいになじめない人や、再利用前にパイポのまわりに付着した粉をぬれタオルでふきとる手数がいやな人や、そんな苦労をしてまでタバコ的な頽廃?にこだわる必要がない立派な人にはすすめない。味が判るのは自分だけでも充分だと思いながら、そっと吸っている。(考えてみると激論中の会議などでも堂々と!)

 ところで、この一年の間に大部分の小売店、スーパーから歯みがき粉が姿を消しているのに気づいた。私は行動の遊行性もあって、立ち寄り先は全国的にかなり広範囲にわたるのであるが、ついにどこでも入手できなくなった。拘束施設ではまだ使用しているという確信?があり、取り組んでいるテーマ総体との関連で必要~必然なら入って入手する機会を避けるつもりはないが、念のために製造している会社へ問い合わせてみた。回答と私の調査によってわかったのは、歯みがき粉の売行きが極めて悪いために、メーカーは八○年代に日本での製造を中止し、まだ良く売れている東南アジアに工場を移し、日本へは例外的に必要な場所への数量だけ輸入していることであった。

 例外的に必要な場所?そこに拘束施設(の購買部)が含まれるのは当然として、また、幻想的~物質的な抑圧が厳しい地帯が殆どであろうことは想定しうるとして、読者の方々の共闘により、日本国家内の分布図を作成してみたい。この分布を強いる力を把握し、逆用していくためにも。ためにも?そう、私はむしろ楽しい作業でもあると予測している。タンポポの花の下の萼を支える小さい飾りの部分を調べて、くっついていれば周りの自然環境が良好であり、そりかえっていれば周りの自然環境が悪化していることを示すので、私はタンポポの花が咲いていると確かめて歩く習慣があり、目的以外のヴィジョンに出合うこともしばしばあるが、今後は歯みがき粉の有無の確認も習慣に加えたい。たんに、逆らい難くみえる現象の加速を怒るだけではなく、これらの加速を支える力を上回るゲリラ戦の構想を展開しつつ…。

   松下 昇
         (概念集 4   ~1991・1~ p15~より)
          参照 概念集目次