表現過程としての被拘束空間



前号の(序)に続いて、ヴィジョンを乱数表的に列挙していくが、まず、被拘束状態を一つの表現方法に応用した例から。

*1
〜昭和六〇年(執ロ)第一六号〜受領に関する申立書 共同披告から前記事件の物件の受領が問題になっているという通知をうけていますが、
一、私は~一九八五・一・二八〜付で京都地裁あてに「送達に関する申立書」を送達し、現在、大阪拘置所を含むn個の拘置所を巡礼~占拠しつつあることを告知しているにもかかわらず、貴官からは「通知書」も「先に送付した調書」もとどいていない。
二、かりに、その内容を別の経路で知ったとしても法的な効果はなく、何よりも前項にのべたような状態にあるため、出頭~調査~受領という作業が、釈放ないし国家の解体まで困難である。
三、~従って、貴官が保管されているという物件、調書、それに関連する全ての当事者を私のいるところにとどけ、そこで私を含む審理をおこないつつ判断されるよう申し立てます。
〜一九八五年二月二ー日〜
債務者松下昇
京都地方裁判所執行官藤岡二郎殿
(註−− 二・一五付でA三六七本訴の被告らに通知書が送られ、三月一日までに受領の申し出がない場合には、民事執行法第一六八条第六項により売却するという恫喝がなされたので、前記の表現を提起した。他のさまざまの反撃方法と共に、物品売却=国家による古本市を現在まで粉砕しつつある。)

*2
京大教養部A三六七にあった全物品~表現は被拘束状態にあり、それは、私たちが申し出たり、占拠したりして入手しえない質をもつ。というのは、これらのものは、この空間性を喩として、その拘束にかかわる全ての拘束者(国家の代行者としての公務員など)を拘束している力と、その当事者自体が向き合い、自らを解放していかねば、だれも物品~表現の一片にさえ到達しえない位置にあるからである。いいかえると、A三六七に関しては、排除者や加担者こそが被拘束者なのである。しかも、そのことに殆ど気付いていない。具体例を上げると、私たちから現・大学教官(ら)へあてた提起の原本や、甲山事件について語りたい者が、その前提として読むべき作品~レジュメは永続的に留置されており、それらに、自らの生命をかけてでも出会おうとしない限り、かれらは、いかに陽気にふるまおうと亡者であるにすぎない。私たちの討論や宿泊や生活の場が可視的になくなり、さまざまの{ }闘争資料の応用ができないこと以上に、かれらの〈死体〉の自己救出こそが問題である。私たちも共闘する。

*3
具体例としては、前項でふれており、原則的にはいうまでもないことであるが、拘束を解除せよ、という場合、被拘束状態にある人のみならず、拘束することを法秩序によってしいられている人を含む総体の関係性の解放を要求〜実現しなければならない。また審理する人や、告訴~起訴する人(希望に応じて弁護人や共闘者も)は、共に被拘束空間で生活する時に、はじめて〈事件〉にふれる資格をもつ。

*4
一二・一七の拘束直後、前日の日曜の新宿の歩行者天国を歩い
ていて、午後五時と共に、天国の終焉が、警察のマイクによって告げられた時の光景を想い出していた。車道から追い立てられる群衆。それまでの抑制を回復しようとするかのように急発進してくる車……。与えられた「天国」の虚しさよりも、今これから入っていく〈 〉獄の方が、天国に近いという直感。

*5
拘束室に連行されてから氏名等を黙否していると、ポラロイド・カメラで三枚の肖像を撮影された。(八四年十月の牧師の検定試験場で、私たちの撮影に抗議した受験者は、こんな時どうするだろうか?)三枚というのは、めったにない監置の手続にとまどっている若い職員に、経験のあるらしい年輩の職員が教えているのを聞いて判ったのである。それにしても、なぜ三枚なのだろう。一枚は制裁決定に添付するとして、あとは拘置所用?捜査用?少くともはじめの一枚は第〈一二〉号五ページに見事に応用されている。

*6
拘置所でかりた官本で、最初に印象に残った文章−−ゴールドバッハの推測「二以外の偶数は、二つの素数の和で記述できる。」
かんたんにみえるが、末だ証明されていない、とのことである。私たちにとって〈素数〉は何だろうか?

*7
拘置所のラジオのスイッチは、大阪では部屋の外側にあり、一々、看守(先生と呼ばれたがる!)に頼んで押してもらわねばならず、不便なので、ずっと消したままでいた。東京では部屋の内側にあるが、音量が強弱のみでゼロにならず、弱にしても、放送音をはみ出す不快周波音に苦しんだ。強にすると、この不快周波音の比率が少くなるので、やむを得ず強にして、ラジオ放送を(主として夕方から夜九時まで流されるニュース、歌謡曲等)ずっときき、いくつか楽しい記憶はあるが、時として一種の拷問とも感じられた。設備上の願い事は画一性を重んじる当局から全て却下された。

*8
東京拘置所の座り机は左右の脚を補強するためか、左右の脚の間に直角に棒がはめこんであり、このため座っている者は、脚をのばすことがむずかしく、あぐらか正座の姿勢をとらざるをえない。かなり苦しんでから、机をやや廊下よりにズラし、机の横の廊下と反対側に脚をのばし、荷物をバリケードにして、看守からのばした脚がみえないようにした。このような、わずかな工夫にも、シャバでのある日の闘争に匹敵する配慮が必要である。 *9午後六時からはフトンをしいて横になってもよいので、いつも痛む腰をのばして寝ていたが、今度は、午前七時の起床までは、トイレ以外には、立ったり、座ったりの動作が禁止されているので、横になる苦痛に何時間も耐えなければならない。夜中にはもう眠りが足りて目が覚めてしまう。夜に何かたべるのも禁止なので、空腹も加わって明け方までの時間のすごし方が一番むずかしい。闇の中の監獄の呼吸音や、早朝にやってくる野鳥の声を〈 〉語として聴きとることで少しずつ克服できたが……。

*10
前項までのいくつかは、被拘束空間に存在し、それを一つの方法として生きようとしても、日常の殆ど全ての時間帯は、文宇にしたり、形象として把握する以前のところで圧倒的に流れており、ごくまれに、数秒ないし数分間、ノートに書いたり考えたりできる時間がやってくるということを確認したかったからである。

*11
それにしても、私(たち)は、この十数年間、何を追求し、何を開示してきたのか?世界へ向けた表現としてならば、例えば、時の模通信を含む、可能な限りの表現群に出会って、自分で考え続ける他ないとして、浴場で、廊下にいる看守の視線を気にせずに、タオルにつつんで運んできたミカンの皮を湯に浮かべて、香りをたのしみつつ身体を洗う時のような感じで考えてみると、私たちを、あらゆる意味で拘束している法や幻想性秩序、さらに存在の生理的基盤を越えて生きてみよう、という試みであろう。その場合、具体的方針とか、期限つきの活動ではなく、それら全てを無視するほどの〈無限〉との対話こそが必要であると思われる。〜六九〜年以降の闘争に、今までなかった世界史性があるとすれば、n次の被拘束情況に気付き、この〈無限〉にみつめられ、出会い、愛し合うことが可能になったということかも知れないから。

*12
その場合、生活や発想の拠点を確保してから〈無限〉と対するのではなく、いま呼吸する瞬間に、全世界の〈無限〉点が、いや応なしに集中してくる場に存在することが不可欠であろう。このいい方は必ずしも具体的な被拘束空間にいることを指してはいない。前項の拘束性と同じ拡がりと深さをもって把握するなら、ほぼ正確といえるが。また、そこでの試みが、すぐに何かの有効性に結合しないでもよい。むしろ一見、無効で無力にみえたまま。この暗い過渡期をすごすのが理想的といえる。いつか必ず、〜六九~年の〈 〉に対応する、より高次の{ }が具体化し、爆発する時に、いま無効で無力にみえる中で〈無限〉の接線方向で獲得し続ける武器だけが世界の死命を制するのは確実である。

*13
無限にみつめられ、みつめている以前にも、有限の被拘束情況の中で〜できるならば、一生を獄中ですごしてもよい、と考えた人は多いであろう。その場合の~の全ヴィジョンの集積を、自分と自分から最も遠い自分の双方の身体で支える時の組織論が、最終的に〈革命〉とよびうるものの原点であるにちがいない。

*14
今後どういう形で応用するか不確定であるが、私の被拘束空間での生活期間を、まとめてリスト化しておこう。
一九七〇年四月八日〜一一日兵庫県警灘署独房(〈誤認〉逮補)
一九七〇年五月一八日~二三日同前雑居房(勾留)
一九七一年九月七日~一七日兵庫県警葺合署雑居房(勾留)
一九七一年十月一日〜八曰神戸拘置所独房(監置)
一九七二年二月一五日〜二四日兵庫県警灘署雑居房(勾留)
一九七四年四月一日~二日岡山県警岡山東署独房(拘束)
同年四月二日~二二日岡山刑務所独房(監置)
同年四月二二日~二六日岡山東署独房(勾留)
同年四月二六日〜五封四日岡山刑務所独房(勾留)
一九七九年三月一四日~二I日名古屋拘置所独房(監置)
この後が一九八四年一二月一七日〜一九八五年四月三〇日の〈 〉獄第一〜第五圏である。

*15
「全国監獄実態」(八五・三・二〇発行)は、監獄法改悪とたたかう獄中者の会のメンバーが、弁護士会人権擁護委員会への、改悪に反対することに共闘してもらう申立書として、すなわち、一般的私信や原稿としてではなく、公的書類として、多くの抹消をへつつも獄中から発せられ、はじめて陽の目をみた(二七七ページ「付言」の要約)という意味だけでも類例のない本である。内容も全国規模~二四時間性の抑圧構造が明確に対象化されている。獄外者にとってばかりでなく、獄中者にとっても。特定の人の著作から任意に引用して建築論や詩集などに応用するのとは全く異質の姿勢が獄について表現する時に必要であることを、あらためて感じさせる。一方、このような無名の人々の統計的作業を、たんに対権力の武器としてのみならず、無数の獄中者の自主的〜自発的表現活動の媒介として設定し続けることが今後、不可欠であろう。この通信の「表現過程としての被拘束空間」論の位相も、このような意図をもこめて展開されている。

*16
独房は三歩×六歩。運動場は、東京拘置所では半径一二歩、孤の部分四歩の扇形、大阪拘置所では六歩×九歩(ボール使用可能)、警視庁本部では九歩×九歩(タバコを二本吸える)。いずれの空間も建物のかげで日光が入りにくく、特に、警視庁本部の場合は東京地・高裁のかげに完全に包括されているため、第二圏の期間中ついに一瞬の光にも当たらなかった。検察官の尋問の際に地検ヘ車で連行され、車から建物へ入る一瞬に、光がさしこむわずかな路上で、はいているスリッパが〈ぬげて〉、しばらく立ち止まったのが唯一の機会であった。休日や雨の日(ふっていなくても可能性があると拘置所側が判断する場合を含む)、出廷や入浴の日は、三十分間の運動さえないので、運動のない日が連続すると身体がマヒ状態になる。これも職員の勤務条件を優先した管理体制による症状の一例である。この体制の批判〜変革へむけての行動と共に、〈雨〉の日の面会を獄中に知人をもつ人々によびかけておきたい。

*17
新しい設計と称する拘置施設では、建物がカタカナの「ヨ」をタテに連結した構造になっており、平行した房を南と北にかいまみることができるので、一種のパラレル・ワールドともいえる。どちらかの棟の窓に、わずかに人影がうつり、体操したり、トイレで用便しているのが影絵のようにみえると、平行世界にいる〈自分〉へのなつかしさがやってくる。ただし、この平行性にも死角があることに気付いた。タンポポの咲き方から示唆をうけたのであるが、南に向いた窓からは、南側の棟のすぐ北にある空地のかげの部分しかみえず、自分のいる建物の南側の足許はみえない。北側は廊下があるために、視界が妨害される。従って、よほど注意しないと、それぞれの自分の南の足許に、ひっそりと力強く咲いているタンポポの存在を想像することさえできないのである。これは、さまざまのテーマに関連するはずである。建造物について、もう少しのべると、拘置所であれ、空港であれ、最高裁であれ、ある建造物について何かの評価をするためには、その建造物のどの部分へも自由に行けるという条件が不可欠なのである。さらに、その評価が建造物の具体性と対等の具体性をもちうるためには、使用方法や破壊方法について対等の決定権をもたなくてはならない。このことを忘れている、ないし気付かない建築(論)は、当面、破壊の対象でしかない。破壊方法は、まだ十分に具体化しえていないとしても。

*18
予告なしに、数人の看守が、ドカドカと房内に入りこみ、「捜検!」とどなって設備や所持品を調べることがある。その間は、廊下に出て、窓のない壁の部分に顔を接して立っていなければならない。実は、前項のタンポポの発見は、この数分間に少しずつ窓の方へ身体を移動させつつおこなったのである。捜検の周期は、第五圏についていうと、三・一、三・一八、四・八、四・二三であり、この周期を考慮に入れて、いくつもの作業をした。この対応は、全区間の切符をもたずに仮装乗車する時の検札に対する感じに似ている。また、看守らは、何といってもたかが公務員であり、よほどのことがない限り、周期の密度を高めたり、夕方の勤務時間後にやることはない。従って、私は夕食後、食器や顔を洗う動作を仮装して、房内にとどいた郵便物の切手を切りとり、水にひたして消印をとり(発送時、ノリをつけてあるため)、廊下を巡回する看守の視線の死角である廊下側の窓の下においた食器のふちで朝までに乾かし、翌日以後、応用していた。

*19
独房にあるせんたく物を干すヒモ(〈自死〉を防止するためか三枚位かけると切れそうな程細い)に、紙をコヨリにして作った振子を宙吊って実験してみたことがある。







仕事とか家とか遊び、という命名は、過渡的なものであり、その投入によって波紋を拡げる水面下の全容量の概念と考えてよいが、図1の生き方を図2(回転を含む)の生き方へ変換することが、~六九〜年以降の〈大学〉闘争ともよばれる世界史的うねりから発する関係性としての〈声〉であると思われる。ぜひ〈独房〉で実験し、〈雑居房〉としての自主ゼミヘ経過を報告し討論に参加していただきたい。

*20
物理的バリケードが解除された後、封鎖中足を踏み入れた範囲しか、解除後も入れない社ずだという情念で、再開された授業にやってくる教職員や学生たちをみつめていた時期があった。今もそうであるが、もう一つの発想を媒介させて、である。すなわち、バリケードはつくったり、解除したり選択できるものではなく、また、体験の有無と直接の関係はなく、つねに足許に潜在している〈断絶〉の転倒の一瞬の具体化にすぎず、〈大学〉闘争のバリケード方程式(未知数はひきよせられるテーマの数だけある。)の解がまだ得られていない以上、〈バリケード〉の形成は持続し深化している。その持続を自らの身体ににない、応用する方法のみが、バリケード以降の世界認識の拠点ではないか?

*21
被拘束空間(逆バリケード)と、その突破方法は何か?と問う場合、すでに何かの被拘束情況と格闘せざるをえない場に不可避的に存在し続ける位置を見出していることが必要であるが、それはある意味で〈 〉を記号としてでなく扱う、扱わざるをえない場合の希望~絶望の深さに全く等しい。この意味の追求が〈六甲〉~〈包囲〉以降の表現過程でもある。
時の楔通信 第〈13〉号  p33〜38

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