死を前にして

死を前にして



 会場がすぐには見つけられないためもあって、微かなためらいも潜在していたのだが、ともかく葬儀は、六甲カトリック教会でおこなうことになり、桜の花びらが流れる晴れた一九七六年四月十日に、私は会場へ行き、一番前のベンチに座っていた。ミサが進行していくけれども、まるで自分には無関係な場面のようだ。この二十四時間の経過自体が、まだ信じられない。六才の末宇が、永遠に巡礼してしまうとは…。私の後姿を見ていた友人の一人は、後で私の背中が会場のだれよりも大きく、六甲山系から突出する巨岩のように見えた、と批評してくれたが(末宇が生まれた直後の七〇年四月八日に、大学構内に座り込んだ時の最初の逮捕の瞬間にも、そう見えたと、別の人が批評したこともあるが)、私は果てし無い虚脱状態の中で、末宇、よくがんばったな、それにしても、タバコを吸いたい、トイレはどこかな、などと考えてもいた。こういう状態の身体や想念の一瞬毎の動きを全て〈労働〉価値として換算するE=mc2のような簡潔な方程式を発見したいとも…

 だから、私は、状況は異なるとはいえ、大江健三郎の『新しい人よ目ざめよ』の主人公が、プールで溺れかけている自分の子どもを目の前にして、ブレイクの詩句を心の中で呟いたとしても、私より、ずっと文学的な連想をするものだと感心はするが、ありえないフィクションだとか、人倫に反するとは思わない。人間は、他のだれにも通じない苦痛や自失の中でさえ、それと一見して矛盾する感覚を潜りうる存在であり、その位置や意味を、たとえ人倫に反すると批評されようとも表現していくのが〈文学〉(せまい既成のジャンルを越えたものを、ひとまずこのように措定しておく。)の本質であろう。

 大江の前記の作品を八十年代最後の「すばる」における中上健次との対談で否定的に批評した吉本隆明は、かって斉藤茂吉の短歌「隣室に人は死ねどもひたぶるに帚ぐさの実食ひたかりけり」を批評して、人間は、こういう悠長なことを考えることはありうるのか、と問いを発し、「ありうるのである。」と断言している。(六二年三月「斉藤茂吉-『赤光』について」)このテーマに限らず、この段階の吉本はどこへ行ってしまったのか。

 大江の前記の作品は、概念集の企画から見ても重要な示唆を与えてくれる。主人公は、障害児の息子のために、自分の死後、息子が生きていく時に迷わないように、この世界のなにもかもについて、息子が理解しうる言葉で定義しておくことを構想している。ます憲法からはじめるつもりていたのだが、この定義集をかきすすめる困難にであったまま十年も経っている。その間に、いちはん確かに定義でき、よく伝わったのは「足」の定義で、それも主人公の発明というより、痛風で主人公が苦しんでいた時の息子との接触による、というのである。もう一つ、知人の作家とインドの旅行中に、感情的な対立を和解させる契機として、相手の作家が飛行機の窓から下を流れる川を身振りで示した時の「川」の定義を並列させて記している。それそれのイメージとしては興味深いが、私には、むしろ定義集の構想自体が、最初から危うさを含んているのが気になる。まず憲法について書こうとか、憲法を中心に置こうとする構想が、転倒されねばならないのではないか。


 現実が憲法の規定に反していることが、自分の怠惰と共に定義集の作業を困難にしている、と主人公は反省しているけれども、憲法を痛風の足のように苦痛で満たしている戦後体制の根源に死を突き付ける試みを息子と共に展開する時のイメージ集をこそ、定義集を転倒して構想すべきであろう。大江の全政治思想や行動様式も、定義集の構想と同様に転倒を必要とすることものべておこう。しかし、大江の場合には、誤まった構想にもかかわらず、それを裏切り、越えていく表現力によって、前記のイメージ集に対応するものは、無意識のうちに実現されてきてもいる。核兵器をめぐる右翼の黒幕や、新左翼の内ゲバを背景とする父と息子の相互転移の物語である『ピンチランナー調書』(七六年十月までにメキシコで書かれた。)は、民主主義とか憲法などの自明の死を前提とする身体~状況論のイメージ集てあり、私か概念業の作業の合間に〈未宇〉の位相の子どもたちに読み聞かせようとしている本の一つでもある。大江は、『新しい人よ目ざめよ』 (八三年六月)のあとがきに相当する文章で、今後の自分の小説に息子との現実生活が直接反映することはないだろう、と記している。それは、かれの意識的な表現過程としては判らないでもないが、前記の転倒の必要性や、すでに七年前に『ピンチランナー調書』を書いていた意味に無自覚なまま、自然過程のように蓄積される表現力によって今後いくつもの作品を生産するとしても、息子との現実生活の反映如何にかかわらず、もはや触発力を持ちえないであろうし、それは実際に証明されてきていると考える。

 なお、自分以外の人間の死を目の前にした人間に関する六二年段階の吉本の理解や、前記の私の把握が、甲山事件や反日闘争や内ゲバや宮崎問題、そして自分自身の死の本質に迫る前提条件の一つであることも強調しておきたい。