華蓋・花なきバラ



 六月四日の北京・天安門事件の際に、私は偶然に魯迅の「花なきバラ」を読んでいた。一九二六年三月十八日、「民国以来最も暗黒の日」にしるされた文章は、沈痛な怒りにみちているが、私たちを驚かせるのは、「…政府は衛兵をして歩兵銃と大刀とにより、国務院の門前に、外交を援助せんと徒手で請願に出むいた青年男女を包囲して虐殺させ、その数は数百人の多きに達した。しかも政令を下して、彼らを誣(し)いて『暴徒』という!(増田 渉・訳)」という事態が中国革命後に、時間を越えて一周してくることに対してである。理念としては、六十年安保闘争前から、ソ連や中国などの社会主義圏国家群を資本制国家群と共に否定すべき対象として把握してきたとはいえ、実際にテレビの映像などで見る時の衝撃は大きい。そして、テレビの映像が今回の事件において決定的に重要な役割をもったこと(経過が同時的に世界に伝えられ、かつ反響が直ちにもどってくるという条件が闘争主体に有利に働いた面と、テレビヘの情報はアメリカの軍事衛星の機能水準に支配され、かつ中国政府は事件の弾圧、参加者の割りだしに逆用した面の双方)に注目しなければならないであろう。

 しかし、私は、決してテレビの映像になりえない惨劇を北京の六・四事件についてのみならず、自称「革命」国家や党派について、それぞれの人が、自らの闘争現場で対象化していくことの方が重要であると主張したいし、対象化の作業に際して、虐殺の現場にいなかった魯迅が、「以上はすべて空言だ。筆で書かれたものに、何のかかわりがあろう?」という絶望をこえて、なおかつ、だれよりも本質を現在まで届け得ている意味と、同じ表現が「革命」をはさむ同じ現場に同じ激しさで届き得る意味について考え続けたい。

 この項目の〈華蓋〉とは、前記の文章を含む雑感集・「華蓋集」の著者・魯迅の説明によると、仏教で開祖になるほどの徳の高い僧の頭上に不可視の花々が垂れ下がっている状態を示すそうである。魯迅は、このイメージを転倒して、自分の批評の内容を攻撃したり雑感ではなく創作に専念するように忠告する人々による圧迫の概念として用いている。また〈花なきバラ〉は、当時の中国で流行していたショーペンハウエルの「剌のないバラはない。--だがバラのない刺はたくさんある。」を転倒して〈華蓋〉に対する反論の題名にし、この題名の三連作の2の途中で冒頭の事件を知ったのである。

 私は、これらの転倒過程が詩的かつ情況的に獲得した拡がりに、一九五六年のハンガリア革命(とソ連の軍事的制圧)以来、大きい影響を受け、六〇年六月十五日の虐殺の現場でも想起し、大学闘争の過程では、より内在的に支えられてきた。そして、私の〈華蓋〉にあたる人々に対して〈 〉を武器としてもふるい、バラと異なり刺のない花であるタンポポと親しんできた。しかし…最後に残る不安を記すと、魯迅が自分の文章が「革命」後にも有効であることに気付いていなかった可能性と、現在の中国政府が今後も続けるであろう魯迅の国家的な規模の賞賛、それらの転倒の困難さである。